劣等感と結果
これは、大学のゼミの教授が、最終回に仰った言葉だ。
普通こういう場面では学生に対して、ポジティブに頑張ろう!とか、真面目に頑張ろうというものだと思う。
名門官庁でキャリアをスタートさせ、国際機関で仕事をしたこともある
華麗なキャリアを歩んできた教授が、あまりにも生々しいことをいうので印象に残っている。
卓越した成果を出す時、頑張り続けられる時には、狂気に近い強い感情が背後にあることが多い。
大山永世名人は死ぬ直前まで、将棋界の最高峰A級で戦い続けた。
猛者たちを薙ぎ倒し続け、最終的に挑戦者プレーオフまで進んだ。
癌になって、肝臓を切ってもなお、死ぬ直前まで戦い続けられたその理由はなんだったのだろうか。
ある人が、升田幸三に、香車を落とされて負けたことが、本人の原動力となっていたのではないかと考察していて、得心した。
昔の王将戦には一方が3連勝したら香車を落とす、つまりハンディ戦にするという厳しい規定があった。香車を落とされる側は屈辱である。しかし、1956年の王将戦で升田幸三は当時名人の大山に3連勝し、第4局では香を引いたのにも関わらず勝利した。
大山としては名人に関わらず香車を落とされて負けたわけである。その悔しさはいかほどであっただろうか。
真実はわからないが、十分にあり得る仮説だと思う
大山名人の話と比べるのは僭越だが、私も似たような事象を観察したことがある。
それは大学のサークル活動であった。
私が所属していたサークルの競技では、年に数回大会が全国各地で開かれていた。サークルでは、2年生くらいまでは多くの人が活動や大会に参加するが、その後は多くの人が、サークルから離脱し、就活や別の活動に切り替えていく。
しかし、中には3年生や4年生、大学院、ひいては社会人になってまで大会に出続ける人がいる。
その多くは、1、2年生の時に結果が出ず、悔しい思いをしていたが、上級生になるにつれ強くなった人だったと思う。
早めに大会で結果を出せた人はすぐやめていく印象があった。
私も、頭を叩き割りたくなるほど、怒りや悔しさを感じた後は、結果が出ることが多かったように思う。
おそらく、ネガティブな劣等感というのは、ポジティブな楽しさや、嬉しさよりも強い感情なのだろう。
そして、その強い感情が圧倒的結果を出すガソリンになるのだと思う。
しかし、最近、ネガティブな感情だけを原動力にして動くと、長期的には、戦えなくなるのではないかと思うようになった。あまりにも火力が強くて、内燃機関が壊れしまうイメージだろうか。
また、たとえ結果を残したとしても、それは幸せとは結びつかないのではないかと思っている。
必要なのは、劣等感から、頑張り始めたとしても、
どこかのタイミングで、ポジティブな感情を使って、自分を動かせるようにすることだと思う。
今やっていること、それ自体が楽しめるようになれば、無理なく努力することができて、結果はついてくるし、何よりそれは素晴らしいことだと思う。