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日本のアイデンティティ

アイデンティティがない
生まれない ララララ
『アイデンティティ』
サカナクション

アイデンティティを肩書き的社会的価値ないしは自分の将来性「のみ」に置いて生きてると、つまずいた瞬間に全て失うような感覚に陥る危険性があるように思います。

①肩書き的社会的価値

(例)
「ワシは中学校で学年一位や」
「自分は県内トップ高校の人間だぞ!」
「我は旧帝大の人間なり」
「私は日系大企業の社員よ」

色々な(凄そうな)肩書きがありますよね。それが、社会的信頼にもつながってるし。

ただ、例えば退学になったり、クビになったりとか色んな可能性は全然あるわけですよね。まあレアケースですけど。

②自分の将来性

こっちの方がよくあります。これは①にある例を参考にすると、次のステップへ上手くスライドできなかった時に起こります。

例えば
学年一位なのに合格は滑り止めの滑り止めのみ
県内トップ高校なのに無名大学しか受からない
旧帝なのに無名企業

「無名」ってだけで将来が失われたってイメージを抱き、自分の有用性の証明ができなくなったことでアイデンティティがなくなると感じる場合です。

いわゆる挫折って言い換えることもできるかも知れないんですけど、マジでできるだけ早く経験したほうがいいですよね。アイデンティティが別に必要って気づけるし。若ければ若いほどいくらでも挽回効くんで。

そもそも「道を踏み外した」って考えがおかしいんですけど、後で話しましょ。

日本の社会課題じゃない?

総中流社会である日本だからこそ起きやすいんじゃないかなって思うんですよ。

例えば貧乏な家庭に育ったら、どんなステップアップをしても上昇でしかないわけで。ある程度真面目に生きていれば、どこかで挫けても「将来今の実家よりマシにはなれる」って思えますよね。

逆に上流階級家庭は子供がステップアップをミスっても実家が太いのでその資本でなんとかリカバーできるわけで。ex留学、コネ採用

「父母の合計年収が500から900万くらいで、兄弟2、3人いる程度、ちょっといい家に住み・ちょっといいご飯を食べてる程度の、留学資金は出せるか出せないか微妙」がモデルケースな総中流的世帯の子供は成長過程で上も下も見るわけで

「貧乏にはなりたくない、、、」
「友達のAちゃんはお金持ちでブランド着てる、、、私も買えるように稼ぎたい、、」

っていう背水の陣的な思考に陥りやすいというか、それが日本らしいというか。

どこかで別のアイデンティティ見つけるor人生全て上手くいくって場合なら考えなくてもいいですけど、微妙にいい感じに人生進んでった場合、この日本的アイデンティティクライシスに陥りやすい気がします。

本当に道を踏み外したの?

ここを問うていくのが本質ですよね。


締まりのない終わりになってすみません。
今僕がパッと思ったことをツラツラ書いてるだけなので、僕自身も答えは持ってません。

一人一人の答えを考えていくことが大事なんだと思います。

「今、就活うまく行かず、アイデンティティ失ったって感じてる自分」
「来年は心から笑ってることを祈って」
                byオコエ類

心の中では ガンバレって言っている
聞こえて欲しい あなたにも ガンバレ
人にやさしく 
The Blue Hearts

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