[雑感]キム・ステレルニー『進化の弟子』勁草書房


キム・ステレルニー(田中泉吏・中尾 央・源河 亨・菅原裕輝 共訳)2013『進化の弟子ーヒトは学んで人になったー』勁草書房

キム・ステレルニーは、1950年オーストラリア・ニューサウスウェールズ州で生まれ、1977年シドニー大学Ph.D.取得。オーストラリア国立大学社会科学研究所およびヴィクトリア大学ウィリントン校の教授を兼任している。主著にSex and Death(Uuiversity of chicago Press,1990)〔『セックス・アンド・デス』太田紘史・大塚 淳・田中泉吏・中尾 央・西村正秀・藤川直也 共訳、春秋社、2009年〕などがある。


本書の印象は、日本の科学哲学者らにより和訳された哲学者による人類史である。著者は、人を人たらしめているものは何かという問いに対する最大公約数的な解答を求める。
第一章 新奇性という難題
従来有力視されてきた進化心理学によるモジュール仮説ではその理由を十分に説明できないことから、著者は新たに「共進化的なフィードバックループ」「徒弟学習モデル」という概念を提示する。
第二章 認知資本の蓄積
ここでは、上記の2つの概念を説明する。
共進化的なフィードバックとは、

第三章 
学習しなければならなかった
「本書の中心的主張は、人類の社会生活に独自の特徴が、認知資本の蓄積・保存・世代間伝達に依存しているということである。」(p.91)
ネアンデルタール人の絶滅の要因について、環境への適応、認知能力の違いといった仮説を批判し、考古学的遺物からネアンデルタール人が十分に高度なコミュニケーションと技能を有していたという前提から、その要因を述べている。
気候変動により、ネアンデルタール人は分散・孤立したことにより、文化資本の蓄積は困難となり、重要な専門知識を保持する能力が脅かされた負のフィードバックループを繰り返す悪循環に陥ったからだと説明する。

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