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レズビアン自分史 〜高校を出るまで〜

レズビアンといっても、性的指向は人格全体に
関わることであるという観点から、関係のないことも盛り込むつもりなので、そのへんはテキトーに流してください。自分のなかでの整合性なんかのはなしなのでね。

誕生〜3歳ごろ

長子として、田舎の若い夫婦(ふたりとも20代前半)のもとに生まれる。母親は遠くから嫁いできたので、母親をはじめとした母系の人間はわたしのことを田舎とはまた違った価値観のもとで育ててくれたが、基本的に田舎の価値観のもと育つ⛰️
3歳を目前に弟が産まれる。こちらは長男ということでかなりまわりから喜ばれたらしいと母系の人間から聞きました。それはそれとして家族に
愛されて育ったとは思います🤱
母も長男を産まねばならないみたいなところでちょっも息苦しかったんじゃないかな。
当時は乳児の弟を抱えた若い母もいっぱいいっぱいだったと思うけど、細かいことは覚えていないがかなりさみしい思いをさせられた!という記憶はある。夜中に泣いたり、ドーナツを食べながら泣きだしたりしていた。今もドーナツ大好き🍩
ここでさみしい思いをしたところをはじめとした長子としての経験が、恋人の前でのふるまいに繋がっている気がする。
母も長子だったので、思うところがあるらしく、かなり気を配って育ててくれていたようです。
このころ、はじめて髪を切ることに。美容室に連れて行ってもらったのですが、おにいさんが髪を切ってくれるときに号泣。母はそれ以降「女性で!」と指名を入れてくれていたのですが、10代になってから「別に男の人なのが嫌なんじゃなかったし指名しなくていいよ」と母にカミングアウトしたのですが、最近は一周回って女性美容師の美容室に通っています。男の美容師さんって「ボクはこれがかわいいと思うんです!」みたいなのが多くて、結局自分が思ってたのと違うスタイルになっちゃうことが多いから(偏見)。

幼稚園に、入園!母からの質問

母から「好きな男の子とか、いないの?」と聞かれたため、当時いちばん好感度の高かった「○○くん!」と答える。母から尋ねられたため、いるものだと思って無理矢理答えていた。面倒だったので進学で小学校が離れるまで変えなかった。
バレンタインは母が「○○くんにチョコレートあげよう!」と張り切っていてくれたのでなんとか
バレンタインに適応できました💌
当時はキュアアクアが好きで、この頃からおねえさん系が好きなのは変わっていない。初恋の相手かと言われればちがうけど、憧れのおねえさんでした。2つくらい年上の、やさしいおねえさんや、若い養護の先生が好きでした。
同じクラスの男の子が、「あっちいけ!」とか「ドジ!」とかつよい言葉を使うのが苦手で、
男の子が苦手でした。「好き」ということにしていた男の子はそういう印象があまりなかったのできっとそれで好感度が高かったのでしょう。
戦いごっことか、プリキュアごっこ、おままごとよりも(役を演じるのが苦痛)、絵を描くとか絵本を読むとかが好きでした。体を動かすのは苦手だったし、不器用だった(線に従って紙を星型に切ることもできない)から工作とか手芸も苦手でした🧶
内向的なのはおそらく小さい頃から変わっていません。

小学校!

近くの保育園の子たちとも面子が混ざり、幼稚園のクラスメイトたちとは学区でお別れすることも。そんなこんなで小学校へ。
勉学では苦労しませんでしたが、「みんなで」が苦手でした。休み時間のスポーツや体育ではミスをするたびに男の子たちにどやされ、機嫌を損ねて物にあたる男の子を目の当たりにするたびに、怖いし嫌!と思うようになって、スポーツをするのがかなり憂鬱に。中学・高校で男女別の体育になるまでかなり体育が憂鬱でした。そして男の子も苦手でした。新しいものを持っていると「見せて!」と手にとり、投げるフリをする子もいて、ジョークさえも合わないのね……と思った記憶が。
ちょっかいをかけてくる子も苦手でした。大人は「好きなのね♡」とマトモに取り合ってくれないようなあの感じ、最悪😡
そんな感じで男の子への苦手意識を拗らせていく一方で、上級生のおねえさんには懐いていました。しかしかわいげがないのでとくに気に入られることもなく。
小学校に入学して、幼稚園で好きとしていた
男の子が別の学校に進んだので、つぎはクラスで足が速めの子を好きとしておくことに。これも
母の質問のせいです。ちなみに、この頃から学校でもいわゆる恋バナが流行り始めるわけで、
ちょっとずつ「好きな男の子」を置いておくことに弊害が出てきます。小さい学校だったし。
「おまえの好きなアイツ、あの子が好きらしいよ」とか言ってくるなにがしたいかわからんやつが出現するし。
小学3年生のころ、母から「りぼん」を買い与え
られました。面白くて読んでいたのですが、マセることはなく。
思春期に片足を突っ込む小学校高学年でも
「告った」「告られた」みたいなことがせいぜい10数人の学級でさえ繰り広げられているなかで、無関心を貫き通しました。そうしていたら、
クラスの女の子から「元気ないよね、失恋した?」とか言われるように。そうじゃない😎
かといって、女の子が好きなわけでもなかった。いまでも、ほぼ全員幼馴染でそのなかから好きになるのは無理があるとさえ思っています。

中学校

自覚するのはここ!ここです!!!!!
好きな男の子を据えることもせず、母からの質問にも答えず、いつしか母は「好きな男の子いないの?」とか聞いてこなくなりました。
きっかけはけいおん!なんだけど、インターネットでいろいろ調べてたら百合CPにされてるのを見ちゃって、女の子が好きでも、エエんですね!!となったわけです。
そこからはもう、ね……
中2のころ、フラットに話しかけてくれる、ノリのいい女の子が好きになりました。体格はわたし(153cmあたり)よりすこし小さいくらい、華奢な子でした。小学校も別で幼少期にあまり関わりがなかったので、幼馴染じゃないってことにしといて……!!
おなじ塾に通ってたし、成績も近かったし、部活も一緒でした。あと、彼女が好きなコンテンツを見たり、一緒に自主練(部活)したりと、近づく努力もしましたが、この小さな町の小さな学校で
「レズです!」なんて言えない。同じ学校に通う人たちだけじゃなくて大人にまで広がったらどうしよう、若くて真面目な担任が話題にして、ことが大きくなったら最悪。なんて考えてました。
いまでもレズだなんてこの町の人には口が裂けても、いくらお酒を飲んでも言えません。
そんなこんなで言えずじまいのまま、
中学を卒業。彼女とわたしは別の高校に
進学することに。

高校!

高校に進学。中学3年生の頃からショートヘア
だったのをもっと短く、かなりの確率で運動部に間違えられることに🏀この記事で使っている画像は高校を卒業してすぐのものですが、あれでも伸ばしたほうでした……💇
中学校ではまったく褒められなかった(むしろ陰で貶されていたであろう)「見た目」や「性格・言葉」を褒められることが増えました。中学校までで下がりに下がっていた自己肯定感が回復したのを覚えています。女の子に「かっこいい!」なんて言われた日には、嬉しくて鼻の下伸びてたんじゃないかなと思います。高校2年生の頃にはスラックスや学ランを女子も着ることができるようになりました。母親に頼んでみましたが、「もう制服買ったんだからダメよ〜」と言われ、しょんぼり。女子の制服って動きにくいし寒いし嫌いでした。あとわたしがかわいくないから着たくない。広く制服(そして、それを着る大半である10代の女の子)がスケベアイテムだとされている点もダメ。
高校進学を機に自分のスマートフォンを買ってもらったため、この時期からLGBTについて情報収集を始めました。セクマイアカウントを作るまでには至りませんでしたが(コミュニティでトラブルが起きたら両親にバレる!と恐れたため)、セクマイとしての意識や好きな女の子の前でのふるまいはここで醸成されたと思います。プリティークラブとか見てました。みなさん元気かな。
ちなみに、高校1年生の終わりぐらいに好きな女の子ができます。同じ部活で、自分と同じくらいの体格の、顔は内田有紀さんっぽい子。ノリがよくて、わたしとのハグを「いちばん安心するね」って褒めてくれたことが忘れられない。マジでいっっつもハグしてた。顔がかわいくて、ノリがよかったので爆モテしてて、男たちからのアプローチに困っていたけど、わたしにはひとつも相談してくれなかったから結果はお察し。迂遠に尋ねてみたら、「性愛のにおいがしない」と言われた。頼りなかったみたい。たしかにわたしは頼りない。
彼女がすこ〜しでも髪を切ればいちばんに気づいたし、みんなで遊びに行くときも彼女の隣だった。わたしがドレズだなんて微塵も思ってなかったのかな……💦
ちなみに、男の子みたいなルックで、いろんな女の子を褒める(見境なし)ようにしていたわたしは「吹奏楽部を食い尽くしたヤツ(大嘘)」としてイジられていました。イジってたバスケ部の彼女のほうが後輩に爆モテだったよな……?と思っています。非モテで遊ばないでくれ〜😫😫😫
ちなみに、マジで浮いた話がないわたしのことを「保護者会でお互いに「うちの子、浮いた話がないんですよ〜!」って話になってね……」と母が報告してくれたのを聞いて、なぜか「そんなプライベートにかかわる話しないでよ!」とギャンしたのを思い出します。レズバレを恐れていたためです。お母さんごめんね🙇
ちなみに、部活に勉強に忙しかったこともあり、あまり恋愛の話をする環境じゃなかった(性愛のにおいがしないから話を振られなかっただけかも)けど、いちどだけ「好きな人いんの?そういえば性愛のにおいしないけど」みたいなことを不意に聞かれて言葉に詰まったことがあります。そのとき「言いにくいよね!プライベートなことだし、LGBTとかもあると思うし!でもどんな感じでもいいと思うよ」ってフォローしてくれた同期の優しさをいま思い出すと泣きそうです。いい子が多い学校だったなと思います。それはそうと場をしらけさせてごめんね🙏
内田有紀さん系の顔をしている、好きな子は脈ナシと判断したわたしは、あろうことか後輩を口説きはじめます。でも彼女については当時、けっこう脈アリだったと思うんです。デートも帰るとき名残惜しそうだったし。レズバレが怖くて告白はできなかったけど。
高校3年生のころは受験で恋愛どころじゃなかった(進学先はきちんと自分で選ぶべきだと思っていたし、万一同じ学校に進まなければどうせ別れると思っていた。冷めんな)ため、脈はないけど遊んでくれる女の子や、友達と遊んでました。それから、BLが好きな友達2人にカミングアウトもしました。そのうちのひとりは今、女の人とお付き合いをしているそうです。
その冬、中学校のころ好きだった子が部活動を
引退する公演を見に行って、お見送りのときに
お話できたんだけど、「ずっと好きだったひとと付き合うことになったの!彼氏できた!」と
うれしそうに話していた彼女が忘れられません。当時もなんとも思ってなかったはずなのに、前に好きだったってだけでそれを聞くと一区切りついたような気がします。気持ち悪いですね。
そんなこんなで狭〜い町から飛び出した高校時代も結局彼女はできず。大学で頑張ろう!という思いで進学しました。

今回はここまで、18歳までものすごい田舎で
育ったわたしが飛び出します!

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