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多分このために生きている。 #2「庚申堂と瓦屋根」

2024/09/08、シナモンの利いたクロワッサンを手に、海の見える小路をゆっくりと歩いていた。陽の加減のせいか空も海もかっちりと青い午前9時。
福井県小浜市。
福井市から西に離れて敦賀を通り過ぎた先。
そこに私はいた。


小浜市は約12000世帯、人口約30000人が暮らす漁業の盛んな街。
美しく婉曲した海岸は大きな2つの半島に囲まれた湾内になっている。
特産品の鯖を使った郷土料理の「へしこ」が有名。




続く夏の盛りの中、常高寺というお寺は石畳の照り返しから逃がすように自分を身ごもってくれた。
通路に併設された小さな小屋には拝観料400円と書いてあり、その横にはインターホン。押すと和やかなおばあちゃんの声がして、少しすると柔らかな挨拶と共に来てくれた。

3つ折りのパンフレットを3つ頂き館内に入る。
どうやらお寺に併設された資料館らしい。江戸時代に狩野派の絵師が書き残した荘厳な襖絵が贅沢にお出迎えをしてくれた。
どうやらここは少し前の浅井三姉妹についての大河ドラマの聖地らしく、作品に準拠した展示物が並んでいた。
もの静かで浮世離れしたような雰囲気に混ざり合う人間の痕跡が暖かかった。


背の低い建物が並ぶ旧市街地は道幅が狭く窮屈だった。
通りすぎる家屋の全てが不揃いの瓦々を被っており、軒先には四肢のある桃色の人形が縦に5つ吊られている。

人形の持つ意味を教えてもらえないかと、通りがかった資料館のような所を訪ねた。


旧料亭篷嶋楼の入口

旧料亭篷嶋楼。ここはいわゆる夜のお店の跡だった。
背の低くどこか懐かしい木造建築。
門をくぐり小さな庭のような小路を通ると、案内人の優し気なおじさんが出迎えてくれたので早速人形についての疑問を投げかけた。

回答はこの地域に残る庚申堂が作っているお守りのようなものとのこと。
この屋敷の軒先にも吊り下がっていたが信仰の末端がこの地に残っているそうだ。

屋敷の1階には生活の跡が多く残っていた。
囲炉裏のある間は想像よりもコンパクトに設計されており、天井は低く窮屈さが否めなかった。目線の高さに神棚が祀られており不思議だった。

急な階段を上がると雰囲気が急激に変貌する。
そこには18畳ほどある広間が目の前に広がっていた。
広間の特殊な段違いの戸棚には青白い焼物の壺や花瓶が飾ってあり、その横の壁には大きな満月が描かれていた。その逆側には、京都の高級な赤土を使った派手な壁があり、三日月の装飾が施されていた。

この2つの月は対応している。
開放感を増長するため柱が少ないこともあり、当時の建築では屋根の重みに耐えられないため襖を閉めておく必要があった。
襖を隔ててもこの月をセットにして考えることで、大きな一つの部屋として捉えてもらう。

という一種の頓智のようなものだと教えてくれた。

窓からは先ほどまで見上げていた瓦屋根が見えた。
ここの瓦の一部は三陸の厳しい寒さに耐えるために、超高温で焼いたもので反りが均一にならないのだそうだ。瓦の下に土を敷くため、雨漏りしたらたまったもんじゃないらしい。小さな世界のあるあるは面白い。
ちなみに瓦の性能が評価されて札幌に輸送され使用していたらしい。
高校の修学旅行で札幌に出向いた時に旧市街地を見て回っていたので、どこかで出会っていたのではないかと思いを馳せていた。
人生の経験が繋がったのがとても心地よかった。

屋敷を出るときに案内人のおじさんが答合わせをしてくれた。
この市街地は豊臣秀吉の時代に制定されたものがそのまま残っているため、現代の建築法が適応されておらず道路の道幅が狭いこと。
1階天井が低く2階天井が高かったのは、お客様を接待する2階を広くするため。

窮屈だった路地の細部まで見渡すようになり、気付けばこの町はあまりに広くなっていた。


庚申堂

最後に庚申堂に向かった。
土地に根付いたこの神様は、私を沢山の申の人形で出迎えてくださった。
ここにいてもいいという許可を真に得られた気がした。

多分このために生きている。


創作活動に関して、普段はもつ鍋youとして福岡を拠点に音楽活動中。福々亭十として福岡大学落語研究会で落語、漫才、コント。趣味では戯曲の執筆をしています。少しでも気になる方は是非SNS等覗いてください。

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