悩みは天からもらった【ギフト】だ、と気付かせてもらった
いつもより早めにこれを書いている。
今日は日曜日、休息日にした。
とはいえ無職なので”毎日日曜日”なんだが、仕事は無くとも
平日は母や次女に関する予定で徐々に埋まっていく。
週3のジム通いも始まるし、それ以外の予定もぼちぼち入ってくる。
さて今日は頭も心も開放する日。
思考を止めたら、自分の奥底の気持ちとすこし対話ができた。
生きていると『悩み』は生まれ続ける。
自分以外は、子どもや親であっても希望通りにはならないし、
スムーズに事も進まない。
昨日実家へ行って、父母のやりとりを見て今後の生活を想像すると、、
少し気が重くて疲弊した。
母が『せっかく来た私たちにしてあげたい』気持ちもわかるし、
父が『かといって思いつきの行動をする母を強く咎める』気持ちもわかる。
私は両方の気持ちが分かる。
だから「すぐ、こうすればいい!」と思考が切り替わらず、
しばし悶々とする。
普段から共感力が強めなので、その間心が沈む。
そこから”しゃーないやん!”と思えれば行動へつなげられる。
”さてやるかー”と変わるための時間が要る。
それが今日だった。
毎日noteで日々のことを綴っている。
私は専門職の仕事もしてないし、お伝えできるノウハウもない。
ただ今まで経験したからこそ言えることや、
毎日感じたこと、出来事をつらつら書く。
(何気ない毎日を読んでくださる方、感謝です)
これからもその経験から伝えたいことは発信したいと思う。
けどその経験ってやはりつらいこと、苦しいこと、が多い。
今年後半に、私の生き方を変えたきっかけは、
書店で八木仁平さんの『世界一やさしい才能の見つけ方』という本に出会ったことだ。
それ以降、仁平さんのSNSを見ている。
今日見たなかで、
「悩みは天から与えられた【ギフト】だ」
と言っていた。
生きていると『悩み』はやってくる。
避けたいが避けて通れない。
若い時は自分に関する悩みにとどまっていたが、年齢とともに
子ども、親、生き方など自分以外の悩みも多くなった。
長女の社会不適合、ひきこもり、自傷、お金の問題、私との関係、
次女の仕事ができない、自立できないこと、
母の認知症、父の態度、これからのこと、
とくに長女とのあつれきは10年以上にも及んだため
離れている今も関係性は悪いままだ。
これからどうしていけばいいのかもまったくわからない。
都度、問題が起こったときは、間に支援の人を挟みながら対応を相談している。
その10年間は、心底つらくてしんどくて逃げたくてしかたなかった。
仕事を終え帰宅の途中は、この後家で展開されるであろう長女とのバトルを思い、このまま適当に列車に乗って、誰も知らない場所へ行ってしまおうかと本気で考えたこともある。
でも、家には姉のせいで、我慢し続けている次女もいる。
逃げてはいけない、自分が産んだんだからと責任があると覚悟して帰宅した。
その経験からその時の感情が今も忘れられないから、
同じ悩みを持った人に寄り添い、気持ちを分かち合えることはできる。
しんどいときにその原因を解消できなくても、
同じ状況の人の様子がわかるだけで、心が軽くなることがある。
私はそういうことをしたくで、日々発信しているのだと思う。
だから仁平さんの言う、辛い悩みにぶちあたってもそれは
「自分に与えられた【ギフト】だ」という意味は腑に落ちた。
これからは母と父のこと、次女のこと、『悩み』はずっと生まれ続ける。
その解消のため、頭を使って体を使って行動して、解消を目指すだろう。
その結果何かの気付きを得て、誰かの気持ちをホッとさせたり役に立つことを伝えられれば、「私はギフトを受け取り誰かにそれを渡した」と言っていいのだろう。
現代は、悩み解消やノウハウを同じことで困っている人や知りたい人に向け多くの人があますことなく発信できる時代だ。
そのことを考えると、この世の中は多くの人の【ギフト】が行き来している世界なのかもしれない。
見えないけど実はとても温かい世界が広がっている。
これからもその想いで日々のことを書いていこう。
今までもこれからも、ほぼ私のなんてことない日常を書き続ける。
読んでくださる方には本当に感謝です。
いつもありがとうございます。