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今日生まれてくれた次女


今日は1月2日。
次女の生まれた日。
26年前の今日。
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新年早々の元日、私は実家でおせちを食べながら、
「なんか胃が痛いなー」とこれまで胃が痛くなったこともないのに
胃の辺りに痛みのような鈍痛を感じていた。
なので大好きなおせちを存分に食べれなかった。
それが残念だった記憶がある。

その後も胃痛のような違和感はずっと続いていて、
明けて2日に病院に電話したら、お産が近いかもということで
病院へ行くことになった。

元旦に無理しておせちを食べたのが悪かったのか、
その後お腹の調子も悪くなってきた。
胃痛と腹痛を抱えながら、経産婦(私)は慌ただしく病室とトイレを行ったり来たりした。
昼頃入院して、徐々に迫りくる痛みとたたかった。
それとともない、実家にいた元夫と母親がともに分娩室に来てくれた。
痛みのたびに腰をさすってくれる。

ふたりとも同じようにさすってくれるのだが、母のさすりはポイントをついていて、「そこそこ、そこやーん~」と、痛みがマシになった。
かたや元夫のさすりはポイントを外しまくっていて、
「そこちゃうーー!ちゃうやん!!」という感じでイライラした。

さすが、母だ。よくわかっている。
母は偉大なり。


そうこうして午後10時頃にようやく次女の産声を聞いた。
生まれた次女を見たとき、全身がすんごく紫色
「げっ、だ だ 大丈夫か?!」と心配した。
でも元気に産声を上げたので、全身紫だったが大丈夫でほっとした。


4年前の長女の時は、予定日も2週間以上過ぎても陣痛がこないので、
強制入院にいたった超難産だった。
陣痛促進剤を三日三晩打ち続け、気持ち悪く、食べれず、体力も残っておらず、ヘロヘロ状態でお腹を押して長女を世に出してもらった。
次女はそれに比べると、つるんとスムーズに産まれて安産だった。


次女は安産だったが、そこに至るまでが大変だった。
妊娠初期から中期にかけて、夫婦仲が冷え冷えし始めたストレスもあり、
家事をしているとお腹がしょっちゅうガチーンと岩のように固くなる。
お腹が張ってしまう。

それが繰り返しあったので切迫流産の可能性ありで安静を言い渡された。
長女がいたので入院はせず、自宅でおとなしくする必要があった。
しかし幼子抱え田舎暮らしでは何かあったときにすぐに病院へ走れない。
そのリスクを考え、私の実家へ超早めの里帰りとなった。

夫婦は冷えた仲になりつつあったが、もともと心優しい元夫は軽自動車のシートをフルフラットにして、布団のようなクッション性のある寝床を用意してくれた。
私は極上のそれに横になりながら、元夫は超安全運転で4時間強かかる道のりをスピード出さずにゆっくり運んでくれた。

そうして着いた実家で女王様のような暮らしを続けた結果、
次女は切迫早産の危機を乗り越え、お腹にとどまって生育してくれた。
3000g弱の体重でこの世に誕生してくれた。

また次女はお腹にいたときのエコー写真では頭の形がまん丸でとてもきれいだった。
病院の先生からも「頭の形がまん丸できれいね」とほめられていた。

今もショートカットでオンザ眉毛の前髪の次女を見ていると
ザ・お豆】みたいで、ほほえましい。


長女との間ほったらかしになっていた次女とようやく二人暮らしができて
2年が経った。

ネガティブですぐ「できない、こんなんじゃあかん、だめだ」口癖の次女。
今年はお互い、良い言葉を口にして自分で脳にポジティブシャワーを浴びさせようぜと言っている。

私が目薬をして赤くなった目のふちにクリームつけた綿棒でくりくり塗ってくれる面倒見のいい次女。

二人で支え合いながら今日を迎えた。

これからも好き勝手に口喧嘩しながら生きていこうぜ。


次女よ、
「誕生日おめでとう♪」




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