ピアニスト高濱綾香さんに聞く、「会社員×音楽家」という生き方
「卒業したら、どうするの?」
音大生にとって、たぶん聞かれたくない質問ナンバーワン。
もちろん迷わずに、「音楽活動やっていきます!」
って言える人もいるかもしれないけれど、
ほとんどの人が程度は違えど悩んでいるのではないでしょうか。
音楽を教えながら、演奏活動。
中学校や高校の音楽の先生。
それとも、音楽は一旦お休みして、一般企業に就職?
上記にあえて院進学や留学を入れなかったのは、
それも卒業したら、いつかは働かなければいけない時が来るから。
そして、人生の大きな決断を前に、多くの音大生がハマってしまうのが、
「音楽を続けるか、やめるか」
という二元論ではないでしょうか。
というか、かくいう私がそうでした。
でも、“会社員をしながら音楽を続ける”という選択肢もあるとしたら?
少しだけ、それまでと見える世界が変わってくるかも。
高濱綾香さんは、大手文具メーカーのコクヨ株式会社で会社員をしながら国内外で音楽活動を行うピアニストさんです。
2018年11月にはキエフ国立フィルハーモニー管弦楽団とピアノコンチェルトで共演。日本では、自ら企画したビジネスマン向けのコンサートを行い、今年の7月末には関西で3度目のピアノコンチェルトの本番を控えています。
今回は、現在進行形で「会社員×音楽家」、いわゆる”パラレルキャリア”を実践している高濱さんに、自身の音楽人生や就職の経緯、パラレルキャリアの実際のところを教えてただきました!
話者プロフィール:高濱綾香
大阪音楽大学ピアノ専攻修了。9歳よりロシア、ウクライナで6年間研鑽を積む。音大生のキャリアの選択肢の幅狭さに疑問を抱き、一部上場メーカーに入社。法人営業に従事する傍ら演奏活動を行い、2018年にキエフ国立フィルハーモニー交響楽団とコンチェルトで共演。2020年、2021年の2年連続でザ・シンフォニーホールにてコンチェルトを演奏予定。また、音大生のキャリアの選択肢を広げるべく、「会社員×演奏家」のパラレルキャリアを実現する団体"busiart(ビジアート)"を運営。
これまでに、第12回アールンピアノコンペティションE級入選、第5回ヨーロッパ国際ピアノコンクールin Japan大学生部門 大阪地区大会特別優秀賞、全国大会ディプロマ賞など、多数受賞。
音楽の楽しさを教えてくれた、ウクライナの先生
パラレルキャリアの話に入る前に、これまでの高濱さんの音楽人生についてお聞きしました。お父さんの仕事の関係で、海外で過ごした経験も多い高濱さん。幼稚園の友達がピアノを習い始めたのを見て、自分もやりたい!と思ってヤマハに通い始めたそうです。
「9歳の時にロシアに移住してからもピアノを続けたいと思い、現地に来ていた日本人留学生に教えてもらっていましたね。
その後、中学生でウクライナに移動してから習った先生が、現地の国立フィルの人たちと演奏活動をしていたピアニストの方で。その先生のおかげで、それまでよりも『ピアノって楽しい!』『こんなに綺麗な音がするんだ!』って思うことができたんですよね。私の今の音楽性の引き出しを作ってくれたのも、その先生なんです。」
(写真:ウクライナの恩師、ウラジーミル・ノロゾク先生と)
高校生で日本に帰国後は、ウクライナでの経験を胸に、音大を目指すことに。しかし、そこからがサバイバルの始まりでした。
「帰国してから習い始めた先生の門下は人数も多く、その全員が年齢を問わずコンクールで全国大会の常連の優秀な人たちばかりでした。
それまで私はヨーロッパで練習曲の類を全くやっていなかったので、表現をすることは楽しいんだけど、技術が全然追いついてない、みたいな状態で。
先生の前でショパンのノクターンか何かを演奏した結果、ハノンとインベンションをちゃんとやり直すことを条件に、なんとか門下に入れてもらいました。(笑)」
「高校生の時は、片道2時間の学校に通い、男子バスケットボールのマネージャーもしていたので、1日30分くらいしか練習できなくて。音大受験には遅くても高1の冬から準備が必要だと言われたので、高1の冬まで全力で遊んで、その後は本格的に受験準備に入りました。
でも、高2で初めて出たコンクールも、楽勝と言われていた推薦入試も全然うまくいかなくて...。
当時は、早く周りのレベルに追いつかなきゃ、という焦りだけで音楽をやっていましたね。」
マイナスからスタートした音大生時代
音大に入学してからも全力疾走で頑張りましたが、周りに追いつけない日々が続きます。
「毎日誰よりも練習していたのに、コンクールやオーディションは、全落ち。同級生は自分よりも練習時間が少ないのに結果を出してて、あの頃は本当に悔しかったな。」
転機があったのは3年生の時。学内でオーケストラを指揮するオーディションに合格し、指揮を勉強し始めたことをきっかけに、楽譜の見方が変わり、ピアノ弾く時の視野も広がります。
「たぶん、私はみんなに追いつこうとする中で、いつからか、“正しく弾く”ことにすごくとらわれてしまっていたんですよね。でもそれを、自分の中で音楽を解釈して、自分がどういう表現をしたいのかにきちんと向き合うようにした。そうしたら、練習時間は減ったのに、コンクールで全国大会に行けるようになったり、オーディションに受かるようになったりし始めて、また段々と音楽が楽しくなってきました。」
(写真:コンサート【珍獣たちの謝肉祭】の様子)
そんな中、友達と大学4年生の時に企画したコンサートが、高濱さんの音楽活動の根幹の部分を作るきっかけになりました。
「『珍獣たちの謝肉祭』というタイトルのコンサートで、珍獣や動物にちなんだプログラムを考えてました。誰も演奏したことのない日本人作曲家の曲を演奏してみたり、被り物を被ってめっちゃ笑える演出を考えてみたり、本当に楽しかった!(笑)
それまで自分が聞きに行ったコンサートでは、笑い声なんて聞いたことがなかったんだけど、自分たちで笑えるコンサートをやってみて、『笑い声が溢れるコンサートってすごくいいなあ』と思ったんです。ああ、私はこんな風に音楽を届けたいんだなあーって。」
音楽一本で生きていくことに疑問を感じ、就活へ
必死の努力の甲斐もあって、音大生活が楽しくなり始めた高濱さん。
しかし、3年生で進路を考え始めた時には、音大生の進路がとても少ない現実に気づいたと言います。
「フリーランスの音楽家か、学校の先生か、ピアノの先生か...。音大生の進路って、すごく少ないのに、音大の中でそれに気づいてる子が、私の周りには全然いませんでした。私は家庭環境のおかげもあってか、その”選択肢の少なさ”にすごく疑問を抱いてしまって。
それから、もし音楽でやっていくとしたら具体的にどういう仕事があるのかを知るため、大阪の北新地のラウンジでピアノ演奏の仕事をしてみたり、ピアノを教えてみたりすることを始めました。
でも、そのラウンジではピアノを演奏してない時間はホステスのように接客をしなければならなかったし、自分が好きで勉強してきたクラシックの曲を演奏することはできなかったんですよね。
もちろん、その場所が音楽の仕事の全てではありませんが、例え音楽の仕事だとしても、狭い選択肢の中で妥協して仕事を選ぶのは嫌だな...と思ったんです。
そして、まずは自分の視野を広げてみようと思い、就職活動を始めました。」
「就活では、いろんな講座や実践形式のインターンに行ってみました。時には他の大学の子たちと比べて自信を失ったこともあったけど、それも含めとても良い経験になりましたね。
最初は、絶対に就職すると決めていたわけではなかったんだけど、とにかく動きながら考えて、動いてく中で出会った人たちに助けられて...という感じで続けて行って。結果、今の会社にご縁があって入社できることになりました。
就職を決めるときに心の足枷になったのはやっぱり、”就職して、今のように音楽を続けられるんだろうか?”ということだった。
でもそれは逆に、その不安さえなければ自分は就職を選ぼうとしているんだってことでもあって。だったら、音楽を続けられるなら会社員を続けて、続けられないならやめればいいや!と腹括りができたんです。
また、会社員をしながら、音楽でもそれ一本でやっている子達と肩を並べられるくらいの実績を残せれば、私と同じように悩んでいる音大生のための、ひとつの生き方のモデルケースになるかなと思って、そこに挑戦してみようと思ったんですよね。」
ハードな社会人生活の中で実現させた、海外でのピアノコンチェルト
晴れて社会人になった高濱さん。会社では、法人営業として、オフィスの空間設計や構築、働き方のコンサル等幅広い業務に従事し、売り上げ目標を200%以上達成、5期連続本部表彰をされるなど、活躍されています。
そんな中、社会人3年目でウクライナでのピアノコンチェルトを実現させるまでに、どんなストーリーがあったのでしょうか。
「社会人1〜2年目は、ピアノが無い会社の寮に住んでいました。近くのスタジオで練習して友達の伴奏などをしていましたが、きちんと仕上げられなかったり、本番でミスタッチをしてしまったこともあったな。
そんな中、社会人の1年目の頃から、『ウクライナで、先生が所属していたオーケストラとピアノコンチェルトできたらいいなあ』と漠然と思っていました。大学の頃に行けず仕舞いだったウクライナにもう一度行って、私に音楽の本当の楽しさを教えてくれた先生に、”ありがとう”を伝えたいなと思って。
そんな想いを少しづつSNSで発信し始めると、なんとそれを見た同級生の知人の指揮者の方から、『ウクライナでピアノコンチェルトをやってみませんか』と声をかけてもらえたんです。」
ずっと行きたかった場所にもう一度行ける。以前自分が聴衆として聴いていた、憧れのオーケストラの方々とコンチェルトを共演できる。会いたかった恩師に、最高の形で恩返しができる。
またとない機会に二つ返事でオファーを引き受けましたが、社会人2年目だった当時は非常に忙しく、寝る時間以外は自分の時間を取れないほどでした。そこから、数ヶ月にわたる本番への道のりがスタートします。
「コンチェルトを演奏すると決意してからは、仕事も練習も効率化することをめちゃくちゃ頑張ったの。
仕事では、自分の業務の中で、自分にしかできないことと自分じゃなくてもできることを選別して、徐々に私がいなくても回る仕組みを会社の中で作っていきました。また、フレックスタイム制でリモートワークもできる自由な職場の仕組みをフルに活用して、練習時間を捻出できるように頑張った。
貯めていたお金で念願のグランドピアノを購入し、夜まで練習ができる防音の家に引っ越して、環境も完璧に整えました。
また、この期間に体の使い方やフレーズの捉え方を工夫したことで、譜読みのスピードが急速に上がった経験もしましたね。
1日に2〜3時間、1週間のうちに2〜3日くらいしか練習できない中、必死でがんばり、本番を迎えました。」
高濱さんが本番で演奏したのは、M・モシュコフスキーのピアノ協奏曲ホ長調(Op.59)の1楽章と4楽章。会社員をしながら25分間の本番をやり遂げ、恩師に成長した姿を見せることができました。
「会社員×音楽家」を実践してみて
海外でのピアノコンチェルトを実現させ、音大生の時に考えていた「会社員×音楽家」のモデルケースとなった今。パラレルキャリアを丸5年やってみて、感じていることを教えてもらいました。
「ピアノをあまり弾いてない時には、なぜか仕事もうまくいかない気がするんです。それで、自分にとってピアノは”癒し”だということに、初めて気づきました。また、ずっと練習が嫌いな方だったんだけど、仕事を初めてからそれも愛おしいものとして感じられるようになりましたね。
また、仕事と違う世界をひとつ持っているおかげで、自分の考えをちゃんと持てて、自分が所属している組織の考え方にとらわれにくくなるような気がします。それに、会社での企画やMCがコンサートで活かされたりすることもありますよ!だから、パラレルキャリアは、いろんなことをひっくるめて自分を成長させてくれるライフスタイルだと思っています。
ただ、このままのやり方だと時間的、経済的に大変な部分が多いのも事実。だから、次のステップはこれまでの活動作れた実績をもとに、音楽をきちんと”副業”として“収益”をあげること。それができれば、また新しいモデルケースになれるんじゃないかなと思っています。
最終的には、クラシック音楽をもっと自由に楽しめる空間を自らが作って、これまでの音楽業界の常識を取っ払うような活動をしていきたいですね!」
編集後記
どうでしたか?
話を聞いてみて、「会社員×演奏家」のライフスタイルを続けるには正直相当な根性と覚悟がいると感じたし、高濱さんだからできたことも、もちろんたくさんあるんだろうなと思っています。
しかし、周りの常識に縛られずに自分の道を行き、新しい世界で音楽と共に生き生きと輝いている彼女の存在は、将来の道に迷う人の大きな希望にもなるのではないでしょうか。
高濱さんのストーリーを知ったことで、誰かの生き方の選択肢がちょっとでも広がったら嬉しいです。
最後に高濱さんは、7月の本番について、
「最近いろいろと自分のマインドを見直して心もまた大きく入れ替わったので、自分がどんな音で、どんな演奏をできるのかが、すごく楽しみです。」
と楽しそうに語ってくれました。
3度目となる彼女のピアノコンチェルトも、お見逃しなく。
高濱さん、今回は本当にありがとうございました。
今後のさらなるご活躍も、楽しみにしています!!
【高濱綾香さん コンサート情報】
日時:7/22(木・祝)13:00開演
場所:ザ・シンフォニーホール
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