散る桜残る桜も散る桜(令和2年4月2日)
おはようございます、みっちーです。本日もよろしくお願いします。
【活動報告】
休日のため、ほぼ家に引きこもり状態。何をしたかと言うと、
・「東京ラブストーリー」視聴
・「ウォーキングデッド」視聴
・「会長島耕作」を読んだ
・「みっちー日記」更新
・「趣味に生きる男みっちのブログ」更新
・You Tube閲覧
って感じ。あ、そういえば、今回の「趣味に生きる男のブログ」はなつかしのドラマについて書きました。ぜひ閲覧お願いしますm(_ _)m
【本日の学び・気づき】
散る桜 残る桜も 散る桜
こんな俳句が「会長島耕作」にあった。誰の句か気になったので、調べてみたら良寛和尚だった。
この俳句は、まさに言い得て妙だ。風景は、頭に浮かびやすい。
ときは春。満開の桜が舞い散るときだ。その様子を見ると、毎年、きれいだなぁと思うのだが、それと同時に儚さを感じる。
桜がなぜこんなに愛でられるのかといえば、みんなが言うとおり、咲いている時期が、春の短い期間に限られているからだ。それを見逃してしまったら、また1年待たなければいけない。
満開の桜も美しい。1年に1回しかその姿を見ることができないなんて、つらいものだ。
また、桜はその花びらが舞い散る様子も美しいもの。まったく桜というものは日本の宝だといっていいだろう。
そんな桜だが、花が散るのは一斉にというわけではない。上を見上げれば、つぼみの桜もあるし、あとちょっとそこにとどまろうとしている桜もある。
ただ、つぼみだろうと、とどまっている花びらだろうと、数日後にはみんな散ってしまう。
まさに「散る桜 残る桜も 散る桜」なのだ。
桜はよく人の人生や命にたとえられるが、散る桜を人の死にたとえてみて、残る桜を人の死を看取る人だとしよう。
ところが、その看取った人々もいずれは死んでしまう。
人は必ず死ぬ。人の致死率は100%なのだ。
先日、志村けんさんが亡くなった。志村さんはきれいな桜だっと言えよう。それを見ていた私たちは「残る桜」だ。
「残る桜」である私たちも、いずれ「散る桜」になる。
そう考えると、ちょっと焦ってしまう。正直、私はまだ、自分の人生にきれいな花を咲かせた自信はない。汚い花かもしれないが、でもやがては散る運命だ。
それは何十年後かもしれないし、明日かもしれない。いずれにしても死ぬときに思うことは「人生はあっという間だった」ということだろう。
私は散るときのためにしっかりと準備しておかねばなるまい。
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