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疑いながら、信じること。

わたしのバックグラウンドのひとつに、専門学校での「家具の製作技術の習得」がある。そこで学んだことは、大きくふたつ。

ひとつは、材木の選び方や道具の使い方といった具体的な「手の学び」。もうひとつが、抽象的だけど普遍性のある「心の学び」だ。

ここではそうした経験から「信用と信頼」について書いてみたい。

信用しないことの価値

家具製作の授業で最初に教わるのは「リスク」について。木を加工するためにはいろいろな刃物が必要で、どれも使い方を誤ると人を傷つける危険がある。そういうリスクのあるものを扱うときに肝心なのが「信用しない」ことだ。

例えば「機械のメンテナンス時は必ずコンセントを抜く」という原則がある。

これは作業中にうっかりスイッチに触れても、事故が起きないようにするため。もちろんそんな簡単に電源は入らない。でも、ひとつのミスが命取りになる状況で人間の注意力を信用すべきではない。だからリスクに備えてコンセントを抜く。

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人命にまで影響しなくても、品質面で「信用しない」が有効な場面もある。

例えば、わたしが「30cmの角材」が必要だったとする。それをカットしようとしたら、親切なクラスメイトのA君が声をかけてきた。

🙂「30cmの角材なら余ってるから使ってよ!」

ありがたい。材料の無駄も加工の手間も省けて合理的だ。

しかしこれ、そのまま転用してはいけない。ここでわたしが考えるのは「A君のいう『30cm』が本当に自分の求める『30cm』とおなじなのか」だ。例えば鉛筆の線にも太さがある。その線の内側と外側、どちらを切るかで誤差が生まれる。それにA君も人間だから、思い違いだってするだろう。

彼のいう「30cm」は厳密には信用できないのだ。

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ずいぶん細かいことを気にしているように感じるかもしれない。でも家具製作では、1mm以下の誤差が本当に取り返しのつかない失敗につながることもある。だからA君を「信用しない」ことは、作り手として誠実な姿勢なのだ。

このふたつから「信用しない」の価値がわかる。リスクに対しては「信じものが救われる」のだ。

信頼することの価値

では、信頼とはなんだろう。

例えば、大きな材木の加工をするとき、人の助けを借りる必要がある。その場合もリスクに備えるためには、お互いを「信用しない」ことが肝心だ。でも、おなじくらいお互いを「信頼する」ことも大切になる。

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そもそもの話として、どれだけ配慮しても対処できない「想定外」はある。それがリスクというものだ。人間が生きているかぎり「ゼロリスク」はありえない。もちろん安全第一は絶対だけど、それは優先順位の話なのだ。

だから共同作業をするときも、どう頑張ってもリスクが残る。それを信頼のおけない者同士で、無理に進めたらどうなるか。

例えば「相手がミスするかも…」という「恐れ」から身体が強張ったりするだろう。そのせいでリスクが現実になることもある。

つまり「信頼する」ことは、実際のリスクを抑えるために有効なのだ。

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品質面でもやはり「信頼する」が有効だ。

例えば、わたしがさっきの「30cmの角材」をカットしていると、また親切なA君が声をかけてきた。

🤔「あれ?寸法まちがってない?」

わたしがA君を信頼していれば、作業の手を止めて確認するだろう。でも、信頼していなかったらどうだろう。

結果的に彼が正しかったとしても、わたしは反射的に彼の忠告を無視するかもしれない。ここにもある種の「恐れ」からくる、心の強張りがある。ささいなことのようだけど、さきに書いたようにこれは完成品の質にそのまま影響する話だ。

このふたつから「信頼する」の価値がわかる。やはり「信じるものが救われる」のだ。

信用せず、信頼する

ここまで書いたことをまとめると「疑いながら信じること」が大切ということになる。これは相反しているように感じる。でも現実をみれば、両立している。むしろ「両立させる必要がある」ようにもみえる。

このふたつの「信」の違いはなんだろうか。わたしはこんな風に考えている。

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信用とはひと正しさ」を信じること。
信頼とは
ひと善良さを信じること

なぜ「信用しない」が大切なのか。

それは、この世界に絶対的に正しいことなんてないからだ。だれでも間違いを犯す。その事実を認めて「コンセントを抜く」必要がある。どんなに頭のいい人でも、疑うことを忘れたら愚か者になるのだ。

なぜ「信頼する」が大切なのか。

それもやはり、この世界に絶対的に正しいことなんてないからだ。リスクはいつも想定の外にある。その事実を恐れず受け入れるための賢明な態度が、ひとの善良さを信じること。それは決して理想論ではないのだ。

だれでも間違いを犯すけど、だれも間違いを犯したいとは願わない。

だから、信用せず、信頼する。

これは家具製作にかぎった話ではなく、わたしたちがこの広大で複雑な世界を生き抜くために不可欠な、ひとつの知恵ではないだろうか。

わたしは何においてもこの姿勢を忘れないようにしたいと思っている。

口で言うほど簡単ではないけれど。

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おわりに

個人的な経験から「信用と信頼」について書いてみた。例えがニッチすぎて、誰にとってもわかりやすいとは思えないけれど、こういう話は書き手が実感できることが大切かなと。身近なことに置きかえて読んでもらえたら嬉しいです。

ちなみに写真は過去の旅行で撮ったものから、テーマに合わせて選んでいます。最初の窓は「信用しない」を連想させる、中世スウェーデンの古城のもの。最後の窓は「信頼する」を連想させる、現代パリのアパルトマンのもの。

あなたにとって「信用と信頼」とはどんなものでしょうか?

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塩田素也|かもすハウス
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