インターネットにおける「さようなら」とは

暑い夏にも負けずに人生を謳歌している皆さんとは打って変わって、地べたを這いずり回る妖怪系人間の安元です。

皆さんは心の中にずっといる友人はいますか?今は交流がないが、ずっと気になっている友人や知り合い「だった」人はいますか?

私はいます。高校時代の大変可愛がってくれた先輩、バイト先の先輩。連絡を取ろうとすれば、出来ない訳ではありません。ラインも知っています、ただ今更連絡を取ったところでと思ってしまい、何となく数年が流れております。

それは何も現実の世界に限った事でもないという事、そしてインターネットでの完全な「さようなら」を「私の感情の中で勝手に」行ったという話を聞いてください。

その方を仮にAさんとします。Aさんは絵の上手い方で私よりも年齢は上の方でした。当時ブログサイトで私はAさんと知り合いました。
正直にお話しすると、当時はまだツイッターも普及する前で私は中学生でした。学生時代の友人がブログサイトをしていて、私もしてみたいと思い始めたようなサイトでした。

Aさんが特定されない程度にお話しすると、とても優しい方でした。
年下の私にとっては友人であり、先輩でした。部活の先輩のような気安さがインターネットで知り合った方でしたが、ありました。

Aさんは元々友人と交流があった方でしたが、趣味が合い交流するようになりました。
それは私がツイッターを始めたころ、Aさんもツイッターをしているという事で私とAさんの交流はブログからツイッターに変わりました。
私は正直に言ってAさんの絵がとても好きで、ブログの時からAさんは私の中では自分とは違う世界にいるんだなと漠然と思っていました。

私もAさんも人間です。私もAさんもそれぞれ好きなジャンルも変わっていきますし、交流もそれに伴って少なくなっていきました。
それでも私はAさんが好きでした。彼女の絵を見ていたいなと思っていました。Aさんはどんどん人気になります。絵も上手い、ツイートも面白くてフォロワーさんが増えない筈もないのです。

それでも細々とした交流のような、ふぉぼの送り合いはありました。そしてついに私は、当時交流もしないのに増えたフォロワーさんを整理しようとした結果。Aさんのフォローを外しました。
それが大体5年以上前の話です。私はそのまま、Aさんというフォロワーさんがいたなという微かな記憶だけ残っていながらそのまま過ごしてきておりました。

つい、先日の事です。ファイルの整理をしておりました所、当時Aさんから頂いた絵が発掘されました。それは当時も今も私が好きなキャラクターです。そこにはコメントが添えられていました、恐らく誕生日に頂いたものだったかと思います。

私はその瞬間、何となく懐かしくなりました。私も学生ではありませんし、もうあの頃のようにいきなり知らない方にどんどん話し掛けていくようなバイタリティもありません。

当時フォローしていたAさんのpixivのアカウントもツイッターのアカウントも同じものは、もうありません。覚えているのは絵柄と当時のハンドルネームだけ。それにインターネットには同じ名前など吐いて捨てる程いるのです。

それでも、私は検索をしました。その方の当時のハンドルネーム、好きなキャラクターとCPを検索にかけました。

幸いにも色々とありまして…見つける事が出来ました。

全く別のジャンルに移動されて、もう昔ほど絵も描かれていないようなご様子でした。ツイートもお仕事が忙しいらしく、かなり減っています。そして私がAさんAさんと呼んでいたハンドルネームも変わっていました。変わっていなかったのは絵柄ぐらいでした。

私は茫然としていました。何でここまでしたんだろうか、私はこの人を探してどうしたかったんだろうと思いました。満足した気持ちは一切ありませんでした、ただ漠然とした不安の様なもので覆われて、記憶の中にあったフォロワーさんが当たり前の様にいると思い込んでいたことがすごくすごく恥ずかしくて、顔を覆いたくなりました。

それでも、私はAさんに感謝の気持ちを匿名で送りました。お世話になった気持ちと丁寧な言葉で、あの頃適当な言葉を送っていたそれとは違う言葉をちゃんと、不快感を与えない様に送りました。
それが届いているかどうかも確認していません。
私にとってそれが重要な訳ではないのです、Aさんが少しでも活動されている事だけが、変わらなくそこにあった事だけが少し嬉しくて恥ずかしくなって、こうしてnoteを書きました。

私は大した人間でもありませんから、文章も拙ければ言葉選びも下手くそです。感謝の気持ちを書くことで私はインターネットでお世話になった人へインターネットで「さようなら」をしようと思いました。

さっき私は感謝の気持ちが届いているかは重要ではないと書きましたが、それは嘘です。

本当は怖くて恥ずかしくて見る事も出来ません。

だからこそ、これが「さようなら」です。この「勝手に抱いた勝手な感情」を終わらせてあげる事が正解だと思うからです。

私は結局のところ、かつての知り合いが活躍しているのを見て、感情を抱くという行為をインターネットという媒体で行っているに過ぎないかと思うと、私の中のインターネットの大きさに震えるので今日はこれくらいにします、それではまた。

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