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新年なので、今年(2025年)のことをつらつらと
あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いします
新年1発目のnoteになります
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お正月の挨拶について
いきなりだが本題から逸れる
年末に「年始の挨拶は句読点を入れてはならない」というルールを知った。
ようは「あけましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願いします。」とかは実はNGらしい
どうやら「区切りをつける」印の句読点が、年始に縁起が悪いから、らしい
ほう、日本語のマナーには時々驚かされる。「めんど」と思うこともあるが、これも一個の日本ならではの奥ゆかしい部分だと思って愛すべきなのかもしれない
ただ私は思ったのだ
感嘆符、いわゆる「!」や絵文字「🎍🧧🌅⛩️」は年始の挨拶に使うのはOKなのだろうか
と
要は
あけましておめでとうございます🎍
今年もよろしくお願いいたします‼️
はいいのか
なんか絵文字はまだ可愛いもんな気がする
ただビックリはギリアウトそうな気がせんくもない
まぁやる気が出たら深く調べよう
年男 兼 本厄
私は2001年生まれの男である。
LGBTとか多様性世間は言うが、それに沿うなら心も身体も男である(?)
2001年(平成13年)生まれの男子はどうやら「本厄」なのだという
生まれて初めての厄年である。
ぶっちゃけウチは神道や仏教というよりかは、キリストチックの家庭なので、気にするのもおかしな話だが、まぁここは日本だ
といっても「うわやべぇ本厄だ怖」とビクビクしてても仕方がないし、お正月にある考えが浮かんだ
「厄年」という「免罪符」を手に入れたという考えだ。
要は、なにか悪いことが起こったら「まぁ本厄だしな笑」で済ませられるかもしれない、という考え方だ。
世間共通認識が持たれる言い訳の一個として使えるではないか!
まぁ前から誰かやってそうだが、悪くないはず
そんなことより「年男」である。人生2回目、である
生年って年男っていうのかな…だとしたら3回目か…
年男に利があるとかは知らないが、なんかめでたい気がする
12年に一回だしね!
目標とか
今思いつくことを箇条書きしていこうかと思う
理念編
アグレッシブに動くこと
活動に「ユニークさ」を求めること
もとごとを途中でやめないこと、手段の思考段階で止まらないこと
手段を選び過ぎないこと
「新しいこと」をやること
行動編
SNSを躊躇せず投稿すること(動かすこと)
名刺を各所で渡すこと
ちょっとは勉強すること
大学院修了へ向けて文献に目を通すこと
旅をすること
習慣編
生活リズムを「人間のもの」に合わせること
全ての暇を「ぐうたらできる時間」としないこと
色々なものごとを考えること、当たり前のことに疑問を持つこと
お金は「今後につながるもの」により使うこと
まぁこんな感じかな
3つに分けた、悪くないはず
具体的に書き過ぎたら、色々ハードル高くなりそうだしやめておいた
なんか今年自分の中で「あ、今俺詰まってそう」てなったら、このnoteを見返すことにしよう
色々な新しいことにチャレンジできたらいいな
あらためて、本年もよろしくお願いいたします
2025/01/07
浜離宮朝日ホールへ向かう大江戸線内にて
佐久間 基就