松本人志をテレビに出すな

松本人志の訴訟取り下げ報道が出た際、Xでは「松本人志をテレビに出すな」というハッシュタグがトレンド入りした。このタグのほとんどは松本のテレビ復帰を批判する投稿に付けられたものだが、むしろ熱心なファンこそ「松本人志をテレビに出すな」と叫ぶべきではないか。と、このように書くと、自身の疑惑に対して十分な説明を果たさないまま、テレビに戻ろうとするのは道義的に間違っている。ファンならきっちりと批判すべきだ。そう言いたいと思われるかもしれない。まあそれはそれで必要なプロセスではあるだろう。が、私は別にそんな話をしたいのではない。道徳や社会通念の話以前に、このままテレビに復帰したところで、芸人・松本人志は緩慢に死に続けるだけだ。だからこそ、そんなテレビから閉め出されたこの状況を喜び、ファンの皆さんもご一緒に「松本人志をテレビに出すな」と訴えましょうとそう呼びかけたいのだ。

今更言うまでもないが、芸能人がテレビに出られなくなるのは、何かしらの不祥事を起こしたときだ。彼らはテレビに食わせて貰っている以上、芸を売る以前にイメージを売っている。少しでもそのイメージが悪くなれば、付いていたスポンサーは離れ、番組制作費が賄えなくなる。よって悪いイメージの付いたタレントは切らざるを得ない。松本は性加害の有無を争点に、週刊文春と法廷で闘ったようだが、実はそれは問題ではない。加害があったのであれば被害者がいる話になるので相応の対応が必要になるし、より復帰が厳しくなるのは必至だが、そもそも妻子がいる身で不倫に及んでいた時点で、現在の基準ではアウトなのだ。

だから違う人でもさぁ 性加害か性加害じゃないかが論点になってて そうそれを 「裁判で争います」って言ってて 活動休止してる奴とかもまぁ他にもおったりするけど いやその不倫してるから そもそもじゃあ 復帰するかは知らんけど 「もうお前人のことツッコんだりできへんよ」とは思うなぁ?斉藤さんもそうやけど 復帰するかせんか知らんけど 不倫してる時点でもうその やれるお笑いの幅めっちゃ狭まんで? イジられるしかないねんからあんたもう 人のことバカにしたり人のこと上からマウント取ったり スカしたり そういうMCしたり 若手に愛ない進行したり もうできへんで? なっ? 不倫したんやからなっ? 「お前不倫しとんがな!」って 言われるだけですから まあ それを含めてお笑いなんですけどね

【粗品】10/13までのSNSニュース斬った【1人賛否】 https://youtu.be/60bfL46AOnE?si=TqJVMaODWdDYg3VBより

これに関しては粗品も似たようなことを言っている。不倫でアウトなんだから、そこから復帰するとなってもイジられに徹するしかないぞ、と。実際、『チャンスの時間』でのアンジャッシュ渡部の扱いや、それこそ松本がやっていた浜田に対するフレンチクルーラーイジりなどを見れば分かる通り、(世間の矛先を収めさせるという意味も含め)ある種の禊として、またお笑いのノリとして、復帰するにしても、一度はそういう役に徹するのが筋というものだろう。

しかし今、松本人志がテレビに復帰したとして、渡部と同じレベルで彼がイジられるとは考えにくい。そもそもここまで話が大きくなったのは、初動で事態の説明や謝罪よりも先に文春と争う姿勢を見せたからで、そんなプライドの高い彼が、とことんバカにされることに耐えられるとは思えない。流石に全く触れないのは不自然なので、最初に自虐してイジっていいラインを示すだろうが、そこを踏み越えるようなことは暗黙のタブーと化し、次第にみんなそんな話は無かったかのように、騒動以前の環境に戻っていくのだろうと推察される。

今までなんとなくテレビで松本人志を見てきた人や、平成以降のテレビにおいて、ある種のシンボルとなってくれたダウンタウンに恩義があり、これからもそこに立ち続けて欲しいテレビ局にとっては、それでいいのかもしれない。だが、松本人志のファンにとって、何事も無かったかのように、これまで通り彼がテレビに復帰することは、決して歓迎すべきではないのではないか?

思えば、映画における失敗以降、松本人志というブランドは一度地の底に堕ちている。そこから幸か不幸かカリスマとして復権できたのは、『水曜日のダウンタウン』があったからだ。私個人の意見を言えば、この番組は全く評価していない。バラエティの最前線に立っているかのように見られているが、所詮は『探偵!ナイトスクープ』のフォーマットで、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『進ぬ!電波少年』といったテリー伊藤・土屋敏男ラインの悪趣味ドキュメントバラエティを再現したに過ぎないし、コンプライアンスを仮想敵とし、そのギリギリを攻める(ときには踏み越える)ことがクールだと思っている藤井健太郎の制作姿勢には、はっきり言って嫌悪感を覚える。ただ、テレビ好きからあまりテレビを見ない層に至るまで、口を揃えて面白いと、高く評価されているのは事実で、そのことによってダウンタウンひいては松本人志の権威は再び高まった。

水ダウのメインは説検証のVTRで、ダウンタウンはスタジオでコメントを添えるだけのお飾りだ。だが、世間的にも業界的にも評価の高いこの番組にダウンタウンが出演しており、タイトルにも冠されている、ただそれだけで、酷いドッキリにかけられた芸人は、怒りながらもそれを喜んで受け入れるし、視聴者もやっぱりダウンタウンってすごいんだと評価し直す。

死に体だった松本人志は、水ダウによって再び生まれ直し、カリスマとしての役割を演じることになった。だがそれは、何を言っても面白いと笑ってくれる後輩芸人に囲まれ、ダラダラとお山の大将を務めるに過ぎず、芸人・松本人志にとっては不幸でしかなかったように思う。具体的に言えば、『酒のツマミになる話』では、松本に媚びる空気が微妙だったし、ナイトスクープは松本が局長になってから、探偵と依頼者より松本と芸人の内輪ノリが中心になって、つまらなくなった。

以前、Amazonプライムビデオで庵野秀明との対談が組まれたことがあったが、庵野との会話は終始噛み合わず、常に嫌な緊張感が漂っていたと記憶している。自身の作品は理解されないと話す松本に対し、庵野が「監督は子供でいられるが、プロデューサーもやると大人にならざるを得ない」と返す場面に至っては、とても見ていられるものではなく、自身のホームグラウンドであるバラエティでは、数多のタレントたちと軽妙なトークを繰り広げる彼も、アウェーに放り出されてしまえば、たちまち空虚になるという残酷な現実を示していた。私はあれを見てしまったので、頑なに記者会見を開かないことも、自分の身を守るという点では正しい選択だと思う。

テレビでは現在も、松本復帰に向けての観測気球が飛び続けている。クレイジージャーニーの過去VTRで松本を映したり、ガキ使で「まっちゃん」と名の付く店を回る企画を放送したりといった具合に。だが、どうせここからテレビに戻ったとしても、これまでのように、はだかの王様を演じ続けるだけだ。松本のお笑いが好きなら、それは喜ばしいことではないのではないか?だからこそ私は、ファンこそ「松本人志をテレビに出すな」と言うべきだと冒頭で述べたのだ。

とはいえ、そんな心配は無用かもしれない。現実問題、松本がテレビに復帰することは難しいし、中居やフジテレビを巡る問題の噴出で、その可能性はより低くなった。当の松本自身も諦めに入っているようで、戻る場所がないのなら作ってしまおうと「ダウンタウンチャンネル」立ち上げの構想を語っている。

松本がやろうとしてるのは、平たく言ってしまえばオンラインサロンで、これはキングコング西野やあの中田敦彦が先頭に立って切り開いた道ではある。だが、彼らがその中で作ったのは、映画やトーク・教養番組などであって、純然たるお笑いをネット上のクローズドなコミュニティで配信する、自分たちが中心となった小さなテレビ局のようなものを持とうと試みた存在はまだいない。これが成功すれば、他の人気芸人も独自のコンテンツ配信を始めるだろうし、テレビでもYouTubeでもない自分たちのプラットフォームを中心に稼ぐ存在も出てくるだろう。ラランドや令和ロマン、春とヒコーキといった新世代の芸人の中から、そうしたロールモデルとなる存在が出てくると思っていたが、ここでもダウンタウンが時代の先達となる可能性さえ秘めている。自分が始めた物語とはいえ、テレビに戻れなくなったことで、簡単に換えの効くスポンサー様の雇われだと思い知らされ、プライドをズタズタにへし折られたのは、後の展開次第では、良かったと思えるようになるかもしれない。

初手から疑惑を完全否定し、隠せなくなれば、週刊誌報道に対する正義の名のもとに文春を訴訟、性加害より何より、その対応の全てがダサく、松本人志は完全に終わったんだなと失望した。それでも、なんとなくテレビで松本を見てきたに過ぎない自分も、全てを失い、再起をかけようとする彼がここから何を作るのかに興味はある。実際にダウンタウンチャンネルが始まったら、一度は入ってみるかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!