中居くん、さようなら
去年の話になるが、中居正広もこれで見納めかと思い『ナカイの窓 復活SP』を観た。内容としては、当時のメンバーが同窓会的に近況報告をし合った後に、ちょっとしたゲームをするといったもので、あまり面白くはなかったが、一つ気になったのが、冒頭での山里亮太へのドッキリだ。豪華キャストの大型番組と中居MCの野球番組、どちらのサブMCを引き受けるか、山里の中居への忠誠心を試すこの企画、中居の発案だそうだが、相変わらずセンスが平成のままなんだなあと冷めた気持ちで観てしまった。
そもそもこれは『ナカイの窓』のレギュラー放送時代、他局との裏被りで山里が卒業することになるも、その番組が時間帯移動し、復帰が決まった際に掛けられた「中居が怒って山里の復帰が中止になる」という内容のドッキリのセルフオマージュなのだが、こうした芸能界の力関係に基づくノリを今復活させたことに、悪い意味で懐かしさを覚えた。めちゃイケやヘキサゴンでのキャストの役割が固定化されたあの感じというか……。
永野が『だれかtoなかい』に出演した際、中居に対して「平成初期のテレビ」「芸人の扱いが古い」と言っていたが、あの発言は割と的を突いてたと思う。雑にいじるような追い込みは、かつての『うたばん』の劣化コピーのようだったし、ラッセン時代ならまだしも、言葉の力で再ブレイクしかかっていた永野に対しての扱いではなかった。それゆえにあえてやっていたのかもしれないが、追い込みに終始するのではなく、トークをベースにしつつ、横から茶々を入れる形で、永野の毒を引き出す道もあったのではないか。永野芽郁にはヒップホップ趣味などがあるし、そうした共通点をとっかかりにして話を広げていくこともできたはずだ。
うたばんといえば、中居はよく後輩の嵐・大野からボロカスに言われてキレるというくだりをやっていたが、ああしたノリは、中居が国民的アイドルSMAPのメンバーなのに残念というコンセンサスがあってこそ成立していたはずだ。例えばこれがキムタク相手だったら、正直観ていてヒヤッとするだろう。中居の悪ガキ的な振る舞いは、SMAPなのに歌が下手、SMAPなのにこじらせ男子(潔癖性で他人を家に入れない)などの残念なキャラとのバランスによって保たれていたと思う。
しかし、現在の中居はもうSMAPではない。その上、芸能人としてはかなりキャリアを積んでいる。ここ数年で彼をいじる場面なんて、金スマの陣内ぐらいでしか観ていない。悪い意味で中身は昔のまんまなのに、立場だけが大御所になりつつあった。
私がその片鱗を最初に感じたのは、彼がKis-My-Ft2のフロントメンバーから成る派生ユニット「舞祭組」をプロデュースし始めた際のことだ。このことに関しては、目立たないメンバーに光を当て可愛がったということで、中居が世間から良い人イメージで見られるきっかけの一つになったと思うし、実際彼らもタレントとして救われたところはあっただろう。グループ内のヒエラルキーをネタとして発信するという試み自体も、ジャニーズのアイドルとしては新しく、当時は面白く思った記憶がある。ただ、『UTAGE!!』などで両者の絡みを見ていく度(特に宮田と絡む際)、思い返せば、中居の威圧感にリアルなものを感じることがあった。当時はそこまで気に留めていなかったが。
ここでなんで宮田が印象的だったかというと、『ナカイの窓』のオタク回もそうだけど、中居はオタクを気持ち悪いと思っているのが見え見えだったからだ。当時の空気もあったので安易に糾弾はできないが、『ナカイの窓』はオタクに限らず、中居がマイノリティの考えを理解する気がないことが浮き彫りになる場面が多々あったと記憶している。
ただ近年、中居も時代に合わせて対応を変えているように見られる場面はあって、例えば、金スマにて、年齢非公開のFRUITS ZIPPER・仲川瑠夏が年齢を公表した際には、「君ぴったり27だよ」と、いじりつつもありのままを受け入れる感じを見せていて、それ自体別に悪く言うつもりはないんだけど、前述した過去の記憶があるせいで、なんだかなーと、嘘くささを覚えると同時に、心の片隅で今はこうしかできないんだよなという哀しさも感じた。
逆に言えば、中居のタレントとしての最後の黄金期がキスマイと絡んでいた辺りで、『ナカイの窓 復活SP』の山里ドッキリではしゃぐ姿や『だれかtoなかい』での永野への雑ないじりは、芸能界から消えかかっている今にして思えば、遅まきながら彼の最後の輝きをリバイバルさせた、生前葬のようなものだったのかもしれない。