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てんぷくトリオが谷岡ヤスジワールドを演じたコント番組『笑うんだもんね!』

1970年、『週刊少年マガジン』に連載した『ヤスジのメッタメタガキ道講座』でブレイクを果たした谷岡ヤスジ。同年、彼の作品の中で使われる「アサー!」や「鼻血ブー」は流行語となり、「ワリャ」「オンドリャ」「オラオラオラ」「~だもんネ」といったヤスジ口調もそこかしこで聞かれるようになった。

そんな谷岡ヤスジが描くのは、エロ・バイオレンス・ナンセンスに満ちたアナーキーなギャグ漫画で、これが子供たちに大人気だった。その人気のほどは当時のファンレターからも窺え、17歳の女の子がヤスジ口調を真似たり、中一の少女からキスマーク付きのラブレターが届くほどだった。

「鼻血ブー・フェスティバル 谷岡ヤスジのオラオラ世界」『平凡パンチ』1971年3月8日号、76~77頁

メッタメタに大流行りのヤスジをテレビ局が放っておくはずもなく、70年12月4日からは谷岡ヤスジのギャグ漫画の世界観をコントに落とし込んだ『笑うんだもんね!』(TBS系)の放送が開始。三波伸介ら「てんぷくトリオ」がレギュラーで、毎回ゲストを起用し、いくつものコントを積み重ねていく構成だった。

三波伸介が日の丸を立てたヘルメットに白衣をつけて「アサー!」とどなり「早く起きんかい、オドリャー」とみんなを起こしてまわる。『ハレンチ学園』の児島美ゆきを起用して、スカートまくりを行う。話の語尾に「ドージョ」をつけたり、女を見ると「ブー」と鼻血を出して卒倒したり「オラオラオラ」とわめく。『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』(日本テレビ系)が、全国のPTAや各新聞から大バッシングを受け、低俗番組の烙印を押される最中、非難も覚悟でヤスジ節全開のコント番組を作り上げた。

12月11日放送の第2回には谷岡ヤスジ本人も出演。通行人役で、「アサー!ヒルー!」を連発する三波に、「そんな悪い言葉を使っちゃいけませんよ」とたしなめた。台詞はふたことみこと、わずか3分ほどの出演だったが、父親がかつて芸能プロをやっていた関係で、少しのエキストラ経験があるからか、プロ顔負けのタレントぶりを発揮していた。タレント顔負けなのはそればかりでなく、収録が終わってからは、三波伸介ら出演タレントからスタッフに至るまで、番組関係者からのサイン攻めに逢った。

そんな谷岡は鶴田浩二の大ファンで、自分の漫画はやくざ映画からヒントを得たと言っている。「ボクが昔からあこがれている鶴田浩二さんとの共演なら、マンガ書きなんかおっぽりだして、オラオラ出ちゃうんだがなァ」とも漏らしており、谷岡をタレントとしても使っていきたいと考えていたTBSは、鶴田との顔合わせも密かに企画していたようだ。

『笑うんだもんね!』の放送時間は金曜日の午後7時と、裏番組にアニメが多い"魔の時間帯"にも関わらず、放送開始から1ヶ月も経たないうちに2桁の視聴率を記録。子供からの人気を示していた。

三波伸介自身が「子供のおとくいを大事にしなくては」と前おきして語る。
「てんぷくトリオの親衛隊は子供たちだ、なんていわれるんですが、大切なファンですよ。チャンネル権をがっちりにぎってますからね。だから、ぼくのところにくるファンレターの主力は小学生です。それも"オメエノツラオモシレーナ"なんてやつばかりでね」
「中年女性からもよくファンレターをもらいますね。ただし、好きなんていうのは一つもなくて、"子供をどう教育したらいいか"とか"タレントのだれそれを紹介してほしい"といった、相談ともなんともつかない手紙ばかりなんです。ヘンに信用されてるんですね。一つには、女性たちが自分のご亭主とぼくをくらべて、優越感にひたれるからじゃないですか。顔だってこのとおりでしょ」

「新春人物ワイド 今年、笑えるかなァ4
'71はこの醜男が受ける?三波伸介の"オモシレー顔"」『週刊ポスト』1971年1月1日号、172~173頁

子供人気が高かったのは三波伸介もまた同じで、谷岡の漫画を元にしたコント番組で主演を張るのは時代の必然だった。そんな人気とは裏腹に、この番組はわずか半年で終了してしまうのだが、とんねるずやひょうきん族、山田邦子などが漫画・アニメのパロディコントをするよりもうんと早く、漫画とコントを融合しようと試みた先駆性はもっと評価されてもいいだろう。

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