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味方が懐柔されることは辛いことだ
沖縄の本島の近くに、伊江島というサンゴ礁の綺麗な島がある。
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この美ら海の中にある平らな島には、米軍基地がある。
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伊江島に暮らしていた阿波根昌鴻は、自らの住んでいた土地を米軍に没収された。その手段は、法的な手段を全く取らず、実力で奪い取られるものだった。(当時の沖縄は米軍の占領下にあり、いかなる法律も適応されない、人権のない状態であった。)
当時の伊江島は、ほとんど農業で成り立っており、土地の没収はすなわち生活の手段を失うことであった。
阿波根昌鴻を含め島の住人はこの事態に必死に抵抗した。本島をも巻き込んだ反基地闘争を繰り広げた。
しかし、阿波根昌鴻の土地は帰ってこなかった。
年月が経ち、基地が当たり前の世代が多数を占めてきた。
基地の利用料として毎年日本政府から支払われる地代は住民にとって欠かせないものとなっていた。
もはや、阿波根昌鴻の言葉は下の世代には響かない。空虚な叫びとなっていった。
味方がいなくなると言うことはどれほど悔しいことか想像したことがあるだろうか。自らが正しいと思い、皆も正しいと思っていたことが、いつのまにか「彼の言うことは「理想論」だよ」と言われるのはどれだけ悔しいか。
伊江島に行ったら、阿波根昌鴻の活動の軌跡に触れられる、「反戦平和資料館」に行くことをおすすめする。