目指すべきは「考えは深く、表現は軽い」
ロベルト・ベルガンティ. 突破するデザインの日本語版解説で、監訳・解説の安西洋之さん が書いている。
かつて社会学者の見田宗介に、目指すべきは「考えは深く、表現は軽い」の組み合わせであり、最悪なのは「考えが浅く、表現が重い」である、と教わったことがある
安西さんが引用した文脈とは少し離れるが、これはなかなかきつい。この「最悪」はかなりカッコ悪い。そういえば世の中には多いかもしれないし、自分も気がつかないうちに浅い考えを重く表現していることがあるかもしれないと思うと、不安で夜も眠れない。
表現の軽重っていくつかパターンがありそうだ。例えば単語、言い回しのわかりにくさ。難しい言葉、いろんなバズワードや専門用語、省略したアルファベット2文字、3文字なんてめちゃくちゃ被っているから、時代と領域と文脈からしか想像しようがない。自分の母校は比較的マイナーだったんだが、「集中治療室?」と言われた同窓生は多いだろう。
もう一つは文脈が見えにくいバージョン。例えば、フレームワークとか誰かの思想等が背景にある話。それを知らないと全体像がわかりにくく、ジグソーパズルをやっているような体験になる。そのフレームワークや思想が社会的に認められていると、考えが浅いか深いかに関わらず権威のある雰囲気になるのでさらに厄介である。表現者がその権威を認識して使っている場合もあるだろう。
そう考えてみると、考えの「価値」と表現=理解するための「コスト」の対比と考えるとわかりやすい。重い表現=理解コストが大きな割に価値がないのが最悪で、コストが小さく価値が高いのがいい。
あたり前である。
ここまで書いて、あたりまえの価値しかないところを見ると、不安は的中している。