#001 杜(もり)の都
私の住むところは『杜(もり)の都』と言われています。
でも、旅行番組や各都市を旅しているYouTubeなんかを見ていると(こっちの街の方がよっぽど植栽が多くて森なのでは?)と思うことがあります。
不思議に思って今更ながら調べてみると…
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今から約400年前の江戸時代,仙台藩祖(はんそ)伊達政宗(だてまさむね)公は,家臣たちに,屋敷内には飢餓(きが)に備えて,栗・梅・柿などの実のなる木や竹を,また,隣(となり)との境に杉を植えるように奨めました。こうしてできた屋敷林(やしきりん)と,お寺や神社の林,そして広瀬川の河畔や青葉山の緑が一体となって仙台は,まち全体が緑に包まれていました。
この「まち全体が緑に包まれる姿」は,明治42年には,「森の都」として仙台の観光案内書に記されています。また,昭和に入って間もない頃には,「杜の都」と表されるようになったと言われ,この姿は,昭和20年の仙台空襲(くうしゅう)前まで残っていました。「杜の都」の「杜」は,山などに自然に生えている樹木や草花だけではなく,そのまちに暮らす人々が協力し合い,長い年月をかけて育ててきた豊かな緑のことです。「杜の都」と表するところに,「神社や寺,屋敷のまわりを取り囲んでいる『緑』,人々がていねいに手入れをしてきた『緑』こそが仙台の宝」という市民の想いが込められています。
仙台空襲で,まちの緑は焼けてなくなってしまいましたが、その後の復興(ふっこう)により「杜の都」は,青葉通や定禅寺通などの街路樹や,青葉山公園や西公園などの緑に代わっていくことになります。
(仙台市HP【杜(もり)の都」のいわれ】より)
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伊達政宗公が植林をすすめて森に覆われていたのが起源のようです。
政宗公が推奨したことが今も根付いていると思うと素敵ですね。
勉強になったので娘たちにも教えてあげようと思います。
「えー!ママ知らなかったの?」と返り討ちにあう可能性もおおいにありますけど。