テイスト迷子のお知らせを申し上げます。
何を着たらいいかわからない
最近。何を着たらいいかわからない。
制服化はだいたいできていて、1シーズン大体10着くらいの服があれば余裕で過ごせるようになった。
毎朝クローゼットの前で悩むこともなくなった。
断服式は定期的(なんなら1ヶ月に1回)は開催していて、クローゼットは季節ものも全部含めて稼働率は60-70%超。
自問自答入門前よりも上がっている。と思う。
一方でネットショッピングや店頭でもつい買ってしまう。
数回着て(あるいは1度も着ずに)手放すことも、まだ、ある。
その都度まーたやっちまったな!と思い、なるべく早く手放した方がいいな、と、ZOZOの買い替え割や近所の古着屋さんに出している。
そして、最近の困りごと。
買い物をして、クレジットカードを通す時、
頭の中の誰かが「本当でこれでいいんだっけ?」と囁いてくるようになった。
購入に至るものは私なりに好きで、似合うで、憧れであったはずだ。
もちろん(大体は)試着もしてる。
小さなモヤモヤを見過ごして買うことはまだあるし、そもそもの性格が極端(少しでも気に入らないと、ミソがつくとすぐ手放したい)というのは、ある。
けどなんだろう、それは別のどこかに問題点があるんじゃないかな、と思って。
最近は逆に勝負を避けてユニクロばかり着ている。
いったい何を着たらいいんだろう。
私は何を着たら正解なんだろう。
そもそも、正解って、なんだろう。
それは、誰が決めた正解なんだろう。
自問自答は未来思考
入門当初、私にとっての自問自答は答え合わせと言語化だった。
入門前からだいたい制服化はしてて、クローゼットにある服と着たいコーディネートをシーズンの初めにメモ帳に絵で書き出して、買い足すものを考えていた。
果たして本当にその行為で欲しいものを手に入れられていたか(他のものに目移りしなかった)はさておき、それなりに楽しく制服化ができていた。
しかし教室を受講したり、本を読み込むことにより、全然違うものだ、と私のゆるふわな頭は石(むしろ巨木?あきやさんのビックスマイル付)で叩き割られた。
おそらく自問自答式と私がやっていたことで圧倒的に違うのは、
自問自答式がまずコンセプト(目指す姿)ありきで、そこからコーディネートを想像的に、徹底的に、未来思考で導き出す(バックキャスティングっていうの?)のに対して、
私がしていたことは計画時点の自分の範囲を超えないことだ。
答え合わせと言語化などでは到底及ばない。
未来思考の中期事業計画と、一時期の自分の手元だけを表したバランスシートじゃ、その分厚さは全く異なる。
そして未来を想像するためには過去のトラックレコードが必要で、そのための三年日記なのであろう。
自分に自信をつけるためには、経験、繰り返し、日々の努力による習慣化しか、道はない。
食べたものが血となり肉となる。長い長い時間をかけて。
そして、物理的に身体に、骨に刻み込むためには、もちろん痛みも伴う。
この先にあるものとは?あるいは私が目指したいもの、なりたい姿とはいったいなんなのだろう?
コンサバなの?モードなの?カジュアルなの?
方向感がブレブレ。テイスト迷子。
環境を悔やむ前にできることから始めよう
自分が当初設定した人魚というコンセプトは、ある意味では自虐なのではなかろうか、と薄々勘づいてはいた。
結局私は自分一人の足で歩けない。
足を手に入れる代わりに、誰かに自分の大切にしているものを差し出さなければいけない、人魚。
もちろん自分が慣れ親しんだ世界から、それこそ一歩を踏み出して行くことは恐怖心を克服する勇気と、強い覚悟が必要だっただろう。
けど今思うのは、新しい世界に踏み出すのにあたって、辛い苦しいとわかりきった環境に自ら進むのは、果たして自分にとって是なのかどうかだ。
そう思ったのは最近色々な活動の中で
自分の市場価値をあからさまに認識してしまったせいだと思う。
齢40近くで、何を甘えたこと言ってるんだと、
マネジメントの経験も、大きな苦労も実績も知識も度胸も気概もないくせに、と
自分自身に対して思ってしまい、少し落ち込んだ。
(落ち込むことじゃないのに、これから積み上げればいいだけなのに、裏の裏を読もうとして勝手に落ち込むのは私の悪いところだ。)
一方の職場ではやることがどんどんパイルする日々。
そして人は辞めていく。あろうことか退職しても異動しても補充要員は来ない。
どこもこんなものなのだろうか。わからない。
人魚にとって、大事な声を失ってもいい!痛みを伴っても構わない!と思わせるほど、足というのは喉から手が出るほど、欲するものだったのだろう。
彼女は、自分自身で、決めたのだ。
未来が茨の道だったとしても。
幸せなのか、不幸なのか、決められるのは本人だけだ。
コンセプトをもう一度再考しよう
コンセプトをもう一度考え直す必要があるな、と思う。
人魚というコンセプトはたいそう気に入っているのだが、そこに囚われて羽ばたけないのであれば、いっそのことマインドチェンジが必要だ。
私が骨に刻みたい言葉は「自分の足で歩く」。
動詞は「歩く(walk)」。
けどお金があっても一生やり続けたいこと、楽しくできることってなんだろう?
そして私はそれをどうして社会とどう関わっていきたいんだろう?
もういっそ社会と関わりなぞ持ちたくないと思うところもある。
わさわさしている事象や物事を見て、観察して研究して、へーふーんほーーと言いながらこうやって書いたりお話したりするのは好きだな。
ずっと自由研究をしていたいとか、壁新聞的なものを書いていたいとか、
雑誌の最後の方にちょろっと書いてあって考えさせたり笑わせたりしてくるコラムとか、
もういっそ形すらなくて、ねーねーなんか聞いてよ!最近なんかこーゆーことがあって!マジウケる!とか、
そーゆー類のもの。
それをするためには毎日のネタ探しが必要だし、フィールドワークは歩かなきゃいけないしねぇ。
その職業ってなんだろう。
いっそ人魚みたいに海から頭出して人間を観察して、海の底に宝物を持ち帰ってるみたいな感覚(私がやると海坊主)。
そしてそれってどんな服を着ている?となると
え、人魚って服着てなくない?(逮捕されますよ!
陸上生活する時は靴履いてる。
自分に合う、永遠に歩ける靴。
あと取材をするから両手は自由に、
そしてなにより動きやすい服。
コンセプト職業がいろんな服を着てそうってこれのことか?
という感じ。ここで結論は出さない。
毎日毎日悩んだり考えたりすることも多いけど
きっとそれは幸せなことなのだと思う。
毎日戦ったり、歯食いしばってでも前向いたり、つらいよーぴえんって泣いちゃったりするけど、
うん、生きてる。
テイスト迷子のこの時を、とことん楽しもうと思う。
そして決まったら、そうだな、走り出そうか。