私のジャニヲタ半生

2025年2月16日、ジャニーズ事務所のタレントを応援し始めてから初めて「潮時かもしれない」と思った。新しく始まったStar Song Specialで踊る自担が良すぎて、その心配は杞憂に終わったが、せっかくなので(?)ジャニヲタ半生を振り返ってみようと思う。

1. 芽生え

まずジャニーズとのファーストコンタクトを振り返ってみたいと思う。私がジャニーズを始めて認識したのは幼稚園のお遊戯会でSMAPの「世界に一つだけの花」を歌ったのが最初だったと思う。親は全くアイドルにハマる性質の人間ではなかったので、ありがちな親からの影響は全くなかった。
幼稚園生だったので、「好きな曲」というと、子供向けの番組で流れてくる歌か幼稚園で習う歌くらいしかレパートリーがなく、世界に一つだけの花を覚えると、歌番組でわかる歌が増えたことがうれしくて、紅白やMステでSMAPは出るか、世界に一つだけの花を歌うか、をしきりに親や祖父母に聞いていた。
この時、私の影響で初めて世界に一つだけの花を聞いた祖父に「アイドル、ジャニーズとバカにしていたがこの曲はすごくいい歌だなぁ」と言われ、ここでうっすらと、どうやらジャニーズをよく思っていない、イメージが良くない人もいるらしいと認識した。
余談だが、ここでSMAPを知ったことに伴い、私が人生で始めて認識した「かっこいい男の人」は「木村拓哉」となり、以来しばらくかっこいいの基準は木村拓哉だった。なんとも贅沢な幼児である。今見るとSMAP全員かっこいいのに、木村拓哉がかっこよすぎるせいで、中居くんぜんぜんかっこよくない、とか本気で思っていた。木村拓哉おそるべし。

とはいえ、そこから小学校の5年生までは、全くジャニヲタではなかった。ノートの隅に、SMAP全員の名前を書いてみたり、歌番組で見かけたら喜んでみたりはしていたものの、健全な小学生だったのでSMAP×SMAPの時間までは起きていることが許されず(みたいな~とは思っていた)、録画をするほどの熱意もなかった。
テレビをほとんど見ない小学生で、「芸能人とか全然興味な~い、ジャニーズとかも全然わかりません、みんな子供ね」と斜に構え、かなり嫌な小学生だった。私の家は私以外の大人が割と「ジャニーズなんて」という捉え方をしていたことに影響されていたと思う。私にジャニヲタとしての自我が芽生えたのは小学校5年生の時だった。

2. 目覚め

以前、「人は弱った時にジャニーズにハマる」みたいな内容のツイートが流れてきたが私はまさにこのパターンだった。
小学校5年生の時、父の仕事の都合で渡英し日本人学校ではなくインターナショナルスクールに通い始めた。当時は英語も全く分からず、カリキュラムも全然違うのでそれまでの人生で一番ストレス負荷の強い時期だったと思う。
現地のTVも当然ちんぷんかんぷんだったので、私はひたすらに日本で録画していたある番組を繰り返し観ていた。それが井上真央出演回のひみつの嵐ちゃんと、花より男子F公開時の特番(赤坂Blitzで嵐が花男メドレー披露したやつ)の2つだった。当時は2009年、ちょうど嵐の全盛期が始まったころだった。

日本にいたころの私は全然嵐ファンではなく、むしろSMAP好きだったので、SMAPが好き、と友達に言ったら「え~、今は嵐じゃない?」と返されたことをめちゃめちゃ悔しがっていた。
ただ、母の影響で花男は好きで、ひみつの嵐ちゃんも真央ちゃんがくるからと録画をし、花男の番宣だったので赤坂Blitzの特番も録画していた。で、英国でその2つを擦り切れるくらい見ているうちに完全に嵐ファンになってしまったのである。
当時かろうじてYahooやGoogleの検索エンジンはあったので、それでメンバー個々の情報について集めたり、英国で日本の番組を録画できるサービスがあったのでそれで嵐の番組を見るようになり、その年の12月には一時帰国する父に嵐のCDを買ってきてとお願いした。渡英したのがその年の10月なので、ものの2か月の話である。

タイミングのいいことに10周年だったのでベスト盤の「5×10 All the BEST! 1999-2009」が発売されたタイミングで、入門初心者セットとしてはこれ以上のものはなかった。知らない曲が多かったけれど、すべて聴きやすかったので父のおさがりのポータブルCDプレイヤーを持ち歩いて繰り返し聞いた。今でも、当時特によく再生していた「サクラ咲け」「きっと大丈夫」「風の向こうへ」あたりを聴くと英国のスーパーの匂いや、新緑の季節(英国で一番いい季節は5-6月)の風の暖かさ、灰色の曇天の空を思い出す。

わかりやすく花男出の嵐ファンだったので、最初は松本担を自認していたが、気が付くと二宮担になっていた。声と顔が好きで、クリエイティブな才能にあふれていて、言葉選びがちょっと独特で、でも柔らかい素敵な表現をするところが大好きになった。
特に衝撃的だったのは二宮さんが作詞作曲を手掛けた曲がたくさんあってしかもどれも良曲ばかりなことだった。ジャニヲタ一年生だった私は、アイドルとは与えられた歌やダンスを披露する人たちで彼ら自身にクリエイティビティはないと思っていたので、自分で曲作りをする人がいるなんて、とびっくりしたことを覚えている。
コンサートも事務所に言われた通りやるものなんだろうと思っていたので演出担当が松本さんであることにもびっくりしたし、ジャニーズで定番となっている演出に松本さん考案のものがあることにも驚いた。
思えば、タレントがとてもクリエイティブでかなり主体的に動く人たちなんだと知ったことが、ジャニーズにハマった本質的な理由な気がしている。

そういえば、はまった当時はTwitterもやってなかったのに、どうやって情報を得ていたんだろうと書きながら不思議に思ったが、そうだあの頃はプリ画像なるものがあった。私のメインの情報源はそこだった。まさに平成のジャニヲタは、あそこで手持ちの担当の画像をそのままupしたり(違法です)、デコレーションしてupしたり(違法です)、文字入れしてupしたり(違法です)していた。この文字入れされた画像が情報の宝庫で、過去の発言やらシンメの思い出やら得意なことやらヲタクから担当への思いやらなんやらいろんなものが摂取できた、ような気がする。

で、私は元々SMAPが好きだったので、嵐の先輩との絡みが大好物だった。必然的に嵐からSMAPのジャニーズに詳しくなった。私は中学生くらいでニコニコ動画なるものを知り、そこで事務所担ほいほいという名前のタグで上がっている、事務所タレント同士の絡みを切り貼りした動画(違法です)を見漁り立派な事務所担へと成長した。そこから大学の2年生くらいまでは元気に嵐(というかジュニア黄金期)からSMAPまでを守備範囲とするジャニヲタとして元気に活動していた。高校当時の私の口癖は「若い人わかんない」であった。

ちなみに私は今、嵐の二宮さんと現ACEes旧HiHi Jets(泣)の作間龍斗くんのヲタクである。そう、ジュニア担なのだ、ジュニアには絶対に落ちない!と宣言していた高校生の私に言っても絶対に信じてもらえないだろう。
私が高校生をしていた時、ジュニアはいわゆる第二次ジュニア黄金期だった。平野紫躍をはじめとするKing&Princeのメンバーがまだジュニアで、スノストトラ、退所前のLove-Tuneその後ろにグループ結成前後のHiHi Jets,美 少年,7 MEN 侍が控えているような時代。
ジュニアに全く興味がなかった私にも平野くんの名前届いていたが「今ジュニアすごいんだな~、まっ、興味ないけど」みたいな感じだった。当時の私はというと、V6の奥深さに気づいてしまい嵐とV6の絡みが増えることをひたすらに祈っていた。

3. 深化

そんな私がジュニア担を自認するようになったのは2019年8月、嵐が活動休止を発表して約半年後のことだった。当時、嵐が活動休止を発表したことに加え、私は学業不振で強制退学の危機に瀕しており、その上当時大学3年生で就活を目前に控えている(なんなら動き出しているのが望ましい)という人生最大の鬱期だった。

そんな中、ジャニーズジュニアには、まだデビュー前のスノストトラとHi美がおり、この5組がジャニーズJr. チャンネルでグループごとに動画を配信し始めていた。
いくらジュニアに鈍感とはいえ、あの、デジタル音痴な事務所がYoutubeチャンネルを開設したというのは大ニュースだった。友人がスト担だったので、進められるがままストTubeを見始めたところ普通にハマり、友人の丁寧な手ほどきのもとあれよあれよという間にジャニーズJr.情報局に好きなタレント「田中樹」で入会した(今でも田中樹の顔がジャニーズで一番好みです)。
あれが無かったら作間担になってすらいない可能性がある。ありがとう友人。

ストTubeをすべて見尽くし手持無沙汰になったころ、一本の期間限定公開の動画が目に留まった。ストよりもっと、なんなら自分よりも年下の子たちの動画だった。「年下はさすがに推さないだろうけど、事務所担だし応援しなきゃな、見てやるか~」の気持ちで見た動画で出会ったのがくじらを描いている作間くんだった。正直顔が好みなわけじゃないし、そもそも年下だし、(当時)嵐と所縁がある美 少年(というか那須)じゃないし…とか思いながらも、クジラを描きながらこちらに笑いかける作間くんが頭から離れず、速攻で友人に連絡したら、「作間くん刺さるよね~、わかる!」というような返事とともにYouTubeの動画が送られてきた。彼女の的確すぎる鮮やかな手腕の布教により真っ逆さまに作間くんに落ち、今日までジュニア担を続けている。

作間くんが魅力的だったのはもちろん、HiHi Jets自体がすごくおもしろいグループだった。正直、個人だけを推し続けるというのは私にとってはそこまで持続性のあるものではなく、HiHiのメンバー皆を好きになれたからここまでどっぷりハマったんだと思う。
まず、バラエティー能力があってHiTubeや出演番組が面白かった。MCちゃんとできるのにボケたがりの髙橋さん、天然ほんわか聖母の橋本さん、バランスよくツッコミができる瑞稀くん、ボケもツッコミも可愛さもぴかいちな猪狩くん、器用で何でもできるのに様子がおかしい作間くん。バランスがとても良くてHiTubeも安定感があったし、Jrにして冠番組をもらえるまでになった。
メンバーの属性?も面白くて、ゆうぴ以外全員小学生入所組かつ割とずっと最前線にいるメンツというエリートベテランジュニアの中に、ジュニアとしては遅めの高校生入所かつダンス歌未経験の最後のスぺオキ髙橋優斗というジャニーズ成分150%なグループだったと思う。
もちろん一番好きなのは作間くんなんだけど、私はゆうぴを帝劇で生でみて目が合った(気がする)時の彼の謎の吸引力みたいなものをいまだに忘れないし、橋本さんの顔のカッコよさと声の良さに何度も新鮮に驚くし、瑞稀くんの可愛さと中身の男前っぷりのギャップに何度でもメロるし、8.8ドーム公演のラブソーの猪狩ちゃんのアイドル力満点の煽りを見た時の衝撃をずっと覚えている。

HiHi Jetsのヲタクは本当に楽しかった。過去形で書かないといけなくなったのが本当に悲しいやら腹立たしいやら悔しいやらで感情がぐちゃぐちゃだが、それでも本当に楽しかったし、HiHi Jetsを応援していたことは1ミクロンも後悔していない。(まあ新しい挑戦としか言われてなくて解散とは言われてないから概念としてのHiHi Jetsはまだ存在しているので…、と思っているところもある)
HiHiへの思いを書き出すと止まらなくなるので、いったんやめておこうと思うけど(追記:やめられませんでした)、とにかくジャニーズの王道をいくグループだった。ジャニーズの王道ってなんだよ、といわれるとそれはもう人それぞれ宗派があると思うので難しいのだけど、私にとっては王道だった。
セトリの組み方のうまさとか、かっこいい・かわいい・王子様・わちゃわちゃ・トンチキ全部できるのがHiHi Jetsだった。
最後のコンサートでMrsフラミンゴとかいうトンチキ最高傑作を生みだしてくるのが、グループ内だとクール系の顔をしている3人というのが最高だった。
まじめにエンタメに向き合った上で出てくるトンチキを生み出せる人達だった。いいですか、トンチキとはおふざけでも狙って出すものでもなく、本気でエンタメに取り組んだ結果生み出されるものなんですよ…。

メンバーたちの、たぶん長いジャニーズでの経験から錬成されたアイドルとしての精神もすばらしかった。昨今のヲタクの力でアイドルを押し上げる、という構図(もちろんこれもとても素敵ですが)を、HiHiのメンバーから明示的にも暗黙的にも求められることはほとんどなかった。
むしろ、何も考えずに自分たちのエンタメを楽しんでくれればそれでいい、僕たちはあなたたちファンの最大の息抜き・楽しみでありたい、ということを繰り返し伝えてくれていた。
こんな崇高な考えでいてくれるエンターテイナーたちを事務所にはもっともっと高く評価してほしかった。まあ彼らは天才なので、再編されても輝き続けますけれどもね…。

なんか何も面白みのない記事を生み出してしまったけどまあいいや。とにかくここから言いたいことは、私の人生は、ジャニーズのおかげで、一番つらい時期が(いわゆる新規ハイにより)一番楽しい時期になったということ。
自分の実生活のつらさから目を背け、他人の未来へわくわくするのは紛れもない現実逃避ではあるけれど、私にとっては本当に救いだった。
なにかに忙殺されている時期でも、翔(櫻井)くんは仕事しながら大学ストレート卒業したんだし頑張ろう!とか、一時期社畜呼ばわりされていたHiHi Jetsは一日の中で違う場所でやっている公演に出演してたし!とか思いながら頑張れた。平坦な毎日でも、次のコンサートが決まるだけでやる気がでたし、少クラや出演番組の放送日はTwitter片手にTVにかじりついてツイートするだけで他にたくさんいるヲタクと一緒に見ているような感覚になれて楽しかった。
正直、今は解体のショックが大きすぎて、いまだにHiHiを見るとめそめそしてしまうけど、それでも彼らは大天才アイドルなので、きっとこれからも楽しませてくれるだろう。彼らがめげずに、これからもジャニーズのエンターテイメントを体現していってほしい、と願ったところでいったんこの記事は終わりにして、次は、元気があれば、私が大好きだったジャニーズの魅力を、まだ熱が冷めないうちにきちんとしたためていきたいと思う。

いいなと思ったら応援しよう!