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空白の中にあるもの/Mr.Children 30th Anniversary Tour

『Mr.Children 30th Anniversary Tour 半世紀へのエントランス』。このライブは、30周年という節目として記憶されると同時に、コロナ禍という特殊な状況下での開催であったことも記憶に残り続けるんだろうな、と考えています。

ドームやスタジアムは超満員で、人数制限はなかったけれど、たとえば私の場合、もともと一緒にいく予定だった人が、タイミング悪く濃厚接触者になってしまい、その人は参加を断念せざるを得ませんでした。

また、強く印象に残ったことの一つは、「観客が声を出してはいけない」という点です。曲の合間に叫ぶ声援、シーソーゲームの「迷い込む恋のラビリンス」からの流れの掛け合い、みんなで歌う大合唱。ライブの醍醐味の1つが自粛されてしまうという特殊な環境は、もちろん初めてな経験だったし、この先に似たようなことは起こらないだろうなとも思います。

それでも。

イノセントワールドの最後のサビで、普段ならみんなで歌うパートが空白になったとき、私はそこに「声」が聞こえました。もちろん、実際に誰かが声を出したわけではありません。歌のない、その空白の中に歌声を感じました。ここにいる観客たちが心の中で想う声、歌う声、声にならない声。

なんて不思議な感覚なのだろう。普段の大合唱も素晴らしいけれど、誰も歌っていないこの空白が、とても愛おしいもの、大切なものに変わっていく。水墨画を思い出しました。1枚のキャンバスすべてを色で埋めつくす西洋画ではなく、あえて空白を残している水墨画のことを。空白に意味を持たせること、空白が持つ意味みたいなもの。

こういったことを感じられたのも、コロナ禍ならではの大事な経験だったかなと思います。

”いつの日もこの胸に流れているメロディー 切なくて優しくて心が痛いよ”
(「innocent word」 / アルバム『Atomic Heart』より)