土曜日の、午前2時
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2019.2.16.22:45
どようび。
3年前まで、それはわたしにとって特別でたまらない日だった。
不良母であっただろう。わたしは。土曜の夜だけは。
でもあの土曜の夜の思い出があるから、今、続けていけているのかもしれないと、思ったりもする。何も思い出がなければ、続けてなんていけない。
でも。でも、思い出だけでは生きていけないし、ずっと続けるのはきっと絶対無理だと思うけどね。
何気ない時間を過ごし続けた土曜の夜を、今でも反芻する。
他にもたくさん思い出はあるけれど、こんな風にわたしが、離れていても続けていきたいと思うのは、不思議なもんだなと改めて思う。
離れてもうすぐ3年になるけれど、その間に逢えたのは6回。1泊ずつなので、12日間。1回の逢瀬で一緒にいられた時間は、多分30時間くらいだったと思う。
よくそれで「付き合ってる」と言えるなと思うし、それが続けられるな、とも我ながら思う。離れている間に何もないとは断言できないし、今後いつ逢えるのか、それも簡単に予定などは立てられない。
割と、いや、かなり、不自由な、関係。
でも、まだ続けていたいと思い続けているし、実際続いている。
恋人は、わたしにとって、特別な存在だ。
前にも書いたけれど、わたしは恋愛経験が豊富なわけではない。不幸体験は非常に多いけれど。
まぁ、リコンした身ですから、続けていく困難さは身をもって知っている。
なにをもって、続いていくのか、終わっていくのか、わからないけれど、それは毎日迷っているし、信じられない日もあるし、訳の分からない感情に飲み込まれたりもするし、疲れ果てて、何も発信してないくせに自己中でいっぱいになり「わかってよ!!」と、怒ってしまうときもある。
何歳になっても、こんなことをしているのか。懲りないやつめ。
まぁ、そんなわけで、土曜の夜はセンチメンタルになってしまう。どうしても思い出してしまうから。
午前2時。自転車をひいて、わたしの家まで必ず送ってくれたこと。
周りはしんと静まり返っていて、わたしたちも、ひそひそ声になっていたこと。
2時前になると「帰らないで」と、叶わないと分かりながら、毎週ごねてくれたこと。
だから、土曜の夜は、なんとなく疲れていても、夜更かししてしまう。
大して興味もないCDTVをだらだらと流し見して、午前2時を待ってしまう。
当然、現在恋人はきっと、夢の中。
わたしだけが思い出す、土曜の夜、午前2時。
詳しく言えば、日曜の午前2時、になるのか。
でも、あの夜があったから、わたしは今、生きていられるんだと思う。
大げさだと笑われてもいい。夢見ている場合ではないと、無視されてもいい。
それでも、あの夜があったから、たくさんの話をしてきたから、今もまだ、こんな気持ちのままでいられるのだと思っている。
寂しいも、せつないも、逢いたいも、触れたいも、もう全部捨てたと思っていたわたしに、全部を抱えてやってきた、恋人だから。