こぼすこと
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2019.1.24.2:17
わたしは液体、または液体っぽいものをこぼすのが苦手だ。
大げさではなく、こぼれた途端に絶望感でいっぱいになる。
液体を飛ばしたり、こぼしたりすることを恐れすぎて、白い服を買えないくらいには、病んでいる。
そんなわたしが、今までで一番の絶望を味わった「こぼしたもの」は卵かけごはんである。
それは、まだ元夫と結婚前、同棲していたときに起こった。
卵かけごはんをこぼしたあの瞬間、わたしの中ですべてのスイッチがオフになり、暗闇になったような気がした。
というか、なった。
馬鹿馬鹿しい話で申し訳ないけれど、これは本気で話している。
ちなみに卵かけごはんをこぼしたのは、ベッドの上だった。
理由は馬鹿すぎて言いたくない。
つまり、卵かけごはんをこぼした、それがベッドの上、ということは、布団もシーツも汚した上に、卵かけごはんも失ったのだ。
まさに、絶望。
当時、結婚を控えていて、シゴトをしていて、その出勤前の朝ごはんだった。
わたしは、卵かけごはんをこぼしたその日から、シゴトに行けなくなった。
まぁ、それは。
卵かけごはん以前に、いろんな出来事が重なって、引き金が卵かけごはんだったんだと思う。
それ以降、元々苦手だった液体をこぼすことが、本当につらい。
数年前に「水チーク」を買ってすぐ、洗面台にこぼした朝も、絶望した。
買ったばかり。なのに全部こぼした。
絶望。
と、「まぁ、そんなこともあるよ!」と思えないのだ。
自分のミスで息子の水筒のパッキンがずれていて、お茶をこぼしたりしても絶望する。
なので、わたしの日常のそこかしこに、絶望が潜んでいる。
幸い、息子はおねしょをしたことがないまま、10歳になった。
ちなみに、汚い話だが、吐いたことも今まで2回くらいしかない。
子育てしてて、一番恐れているのは吐かれること。
絶望と共に、パニックになる。
と、前置きが非常に長く、そんなことで絶望してよく生きてられるな?という話にもなってくるが、昨晩、深夜、久々に絶望が訪れた。
その絶望とは、お風呂に入る前に布団の中に仕込んでおいた湯たんぽが、破れていたのだ。
ゴム製の湯たんぽである。
寒がりのわたしの冬の相棒の湯たんぽ。
お湯を注いだ時には全く気付かず、絶望を感じないためにも、栓は確実に締めたはず。
それなのに、布団で足を伸ばしたら、異常が起こっていた。
すぐに布団をめくり、栓が緩んでいたのか?!と探ったが、栓は締まっていた。
そのまま湯たんぽを洗面所に運び、お湯を捨ててから確認すると、ボトルネックになっている部分に5mmくらいの亀裂が入っていた。
湯たんぽはビショビショになっていて、わたしはそれを絶望感と共に、そのままゴミ箱に捨てた。
そして部屋に戻って布団を確認したら、当然だけど、シーツ、敷きパット、低反発マット、そして掛布団が濡れていた。
深夜2時に訪れた絶望。
同じ部屋で息子も寝ているので、応急処置しかできない。
濡れた敷きパットの下にタオルを入れ、一番下まで沁み込まないようにし、シーツの上にバスタオルを敷いた。
掛布団は仕方ないので、裏返しにしてネタ。
絶望していたにしては、良くできたと思っている。今、文字にしていると、わたしってアホだなって、つくづく思うけれど、仕方ない。
液体がこぼれることは、わたしの絶望なのだから。
そして、今夜は湯たんぽがない、違う種類の絶望が控えている。
代わりにペットボトルにお湯を入れて使ってみようと思っているが、まだ、湯たんぽからお湯がこぼれていた絶望感は拭いきれない。
こんなことに絶望しているから、生きづらいんだなって、思う。
でも、苦手なんです。
液体が、こぼれることが。
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