2分の1成人式について思うこと
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2019.2.6.01:04
ちょっと今日は書きたいことがいっぱいあるんで、しつこく書いてみる。
「2分の1成人式」について思うこと。
わたしには子どもがいるのだけれど、ちょうど10歳なので、まさにこの行事が近々行われる。
子どもを産むまで、こんな行事のことは全く知らなかった。
いつから始まったのか、何のために始めたのか、それは全て全く分からないことだけれど、わたしはこの行事が嫌いだ。
何のために「2分の1」などと表現しているのだろう。半人前ということ?
それも気に食わないし、お涙頂戴的なイベントになっているのも、正直気持ち悪いと思っている。
このイベントのために、子どもは親に感謝の手紙を書き、親も子どもに手紙を書いたりする、というのを聞いていた。
感謝の手紙?
「いつもご飯作ってくれてありがとう」 とか
「いつも家事をしてくれてありがとう」とかに代表される
「いつも○○してくれてありがとう」系の手紙。
意味ありますか?
もっと言えば、
「産んでくれてありがとう」
なんていう気持ちの悪い内容も出てくる。
10歳の子どもを育てている今、多分、毎日ご飯を作ったり、掃除をしたり、洗濯をしたり、洋服を買ったり、まぁ、いろんなことを親がするのを、子どもがいちいち「ありがとう」と思っているとは思えない。
自分が10歳の時を思い返してみても、今でこそすべてに感謝しているけれど、当時は「親がやってくれて当然」と思っていた。
だからどうしても「そのイベントのために、促されて書く手紙」に意味を見い出せない。気持ち悪いとさえ感じる。
それにきっと書いてるとき、友だちとかと見せ合って、同じような内容ばかりになるのは当たり前にも思える。
そんな手紙、欲しいですか?
10年子育てをしてきたけれど、それは子どもに感謝をされたいからしているわけではない。
あ。書く順番が遅れたかもしれないけれど、決して上記の内容はわたしの家庭がひとり親家庭だから思っているわけではない。
そしてわたしと子どもは幼稚園で嫌というほど、ひとり親家庭であるということの洗礼を受けてきている。
わたしの子どもは、ひとり親家庭だということを理解している。
10歳の範囲内での理解だと思うし、言葉では強がりを言っていても寂しいと思っていることもあるのかもしれない。
でもそれを掘り下げて、子どもと膝を突き合わせて、今話をする必要はないと思っているので、必要最低限でしか話はしていない。
でもこの10年、子どもが寂しくないように、父親の役割もしてきたつもりでは、ある。もちろん、不足があるのは分かっている。
わたしもそんなに強くない。
話を戻す。
「2分の1成人式」が気持ち悪いのは、学校側が「親への感謝」を強要しようとしていることなのかもしれない。
だって、心から出る感謝なんて、そんな「家事してくれてありがとう」なんてものじゃないと思うから。
皆と同じようなことを書いておこうと思って、そう書いている子どもが大半なのではないだろうか。
感謝は誰かに強制されたり、イベントとしてするものではないと思う。
もし、いつか将来、子どもが感謝してくれる日が来るとしたら、それはきっと子どもが本当に大人になり、あの時、親がしてくれていたことってすごいことだったんだ、当たり前じゃなかったんだ、と気づくときだと思う。
そんな日がもし運良く来たとしたら、こっそり教えてくれればいい。
まぁ、先のことは分からないので、どうなるのかは分からないけれど。
ちなみに、子どもの学校では「2分の1成人式」は行うけれど、感謝の手紙はないらしい。
合奏と、合唱を見せてくれるイベントとして開催される。
だとしたら、純粋に楽しみである。こういう成長を見れる機会はそう多くはないし、単純に子どもが一生懸命に何かに取り組む姿を見るのが好きだ。
そして、子どもたちは親への感謝の手紙ではなく「二十歳の自分へ」の手紙を授業で書いたらしい。
わたしはこれには賛成である。わたしもやりたかったくらいだ。
二十歳になって読んだときに、きっとほほえましい気持ちになるだろうから。大切に保存しておかねばと思っている。
それと同時に、わたしも二十歳の子どもへの手紙を書いておこうと思う。
やっぱり先のことは分からないから、子どもが二十歳になることなど、今は全く想像ができない。
二十歳になったら、手紙を一緒に開封して、笑いあえたらいいなと思っている。
*
話が少しそれてしまうかもしれないけれど、子どもと同じ年の女の子が父親の虐待によって殺されてしまった事件が連日ニュースでやっている。
ニュースで見る分でも、助けられた瞬間が何度も何度もあったのに、女の子の命は助けられなかった。
女の子の学校でも「2分の1成人式」の準備をしていただろうか。
親への感謝の手紙を強制されたりしていなかっただろうか。
考えるだけで胸が痛い。
助けられなかった命を思うと、「子どもは親を選んで産まれてくる」なんて嘘っぱちだなと思う。
何度も何度も助けられる瞬間があったのに、零れ落ちてしまった命。
どうか、もうこれ以上、悲しい事件が起こりませんように。