彼らのこと
≪過去noteを移動させています≫
今日の昼間は気温が高くて、夏が戻ってきたような気持ちがして、ほっとした。でも、見上げた空はとても高くて、季節は間違いなく移り変わっていることを、実感。さみしいなぁ。ついでに日没もぐっと早くなった。
秋が、来る。
わたしは、9月と10月が苦手だ。
って、それだけが苦手かのように書いているけれど、普通に冬も苦手。
年末年始が苦手、なんなら春も好きじゃない。わがままか!!
心から好きなのは、梅雨を除いた5月から8月までなのかもしれない。
9月と10月が苦手なのには理由があって、辛い辛い思い出があるからで、それはもう過去でしかないのだけれど、思い出すたびにまだ、胸が苦しくなってしまうのだ。
人間、手に入ったものを手放しても、振り返らないものなのかもしれないし、納得した別れがあるのであれば、人間関係は思い出として消化していけるものなのかもしれないと、今のわたしは思っている。
つまり、9月10月には、手に入らなかったけれど、手放すしかなかった別れがあったというわけだ。簡単に言えば、そう。
もう、ずっと昔のことだから、思い出もうっすら靄がかかったようで、鮮明に思い出すことはできないし、多分きっと美化されているんだと思う。
でも、わたしはまだ、時々思い出して、心を痛めてしまう。
*
ケッコンもして、リコンもして、バツイチコモチとして10年以上を生きているのだけれど、「そういう意味で」思い出すのは、2人だけだ。
勿論いま、わたしには恋人がいて、恋人のことだけが好きだから、その2人とどうこうしたいとか、会いたいとか、連絡したいとかは全くない。
それに、連絡先も知らない。
相手はもうわたしが知る由もない人生を歩んでいることは、百も承知。
でも、思い出してしまうんだよね。そういういことって、ないですか?
*
好きだった。そういうわけではない。
正確に言えば、好きだったのかどうかさえ怪しいもので。
執着だったのかもしれない。
「手が届かない」「手に入らない」そう頭では分かっていたから、心残りのように、胸の奥にべっとりと残っているのかもしれない。
決して、後悔はない。未練もない。そう、これは未練ではない。
でも、辛かった。それは、本当の話。
*
それまでは、季節が移りゆく、秋に差し掛かるこの季節が好きだった。
夕暮れが好きだった。
晩に、少し肌寒くなるときに、羽織るカーディガンが好きだった。
半袖のニットを着るのも好きだった。
でも、今は、苦手。ずっと夏ならいいのに。
*
またいつか、この季節を愛せる日がくるのだろうか。
新しい生活が訪れれば、いつか手放すことしかできなかった、わたしの想いも消化して、風化して、葬ることができるのだろうか。
まだ、自信がない。
でも、そうしたいと、思っている。
ケッコンに失敗したわたしは、踏み出す一歩にとても慎重で、怖がりだ。
でも、踏み出したいと思っているのも、確かな気持ち。
簡単にはいかないことは、分かっている。時間もかかるだろう。
育てていけるだろうか?
ふと、思う。秋の夜長。あぁ、無駄にセンチメンタルになる。
*
好きだった、のだろうか。
切り取った、好きなシーンはたくさんある。
芝生の中で見つけた四つ葉のクローバーや、一緒に買いに行った自転車や、泣きながら電話したら抱きしめにきてくれたことや、
初めて、繋がった日のこと。
裏切りを背負って、お互いの叶えたいことを、打ち明けて、叶えたこと。
あの、連なった冗談の中にあった、一瞬の「本音」。
最後に、繋がった日のこと。
忘れられない。忘れたい。忘れたくない。
手に入らなかったものは、いつまでも愛おしく、苦しいものなのかもしれないね。手に入らなかったからこそ、この関係には「終わり」がなかったから。「終わり」がなかったのに、「終わった」から。
*
9月も、10月も、苦手なことは、今年も変わらない。
そしてわたしは、まだ思い出す。あの日々たちのことを。彼らのことを。
どこで、どうしているのかもわからないけれど、幸せでありますよう。
あの時の、わたしも、彼らも、迷子でしかなかったけれど、今は「居場所」を、きちんと見つけられていますよう。
わたしなんかに願われても、余計なお世話でしかないけれど。
苦手なこの季節に、彼らを思い出すことは、まだ続くだろう。
わたしも「居場所」を見つけて、しあわせにきっとなるから。
あなたも。あなたも。どうか。