ドライになりきれない

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2019.1.29.22:58

昨日、細々と書き始めたら、いろんな感情が溢れ出てきた。

19歳の頃と、何も変わらない自分もいれば、180度ありえないくらいに変わってしまった自分もいる。

そのどちらも、今の「わたし」を作り上げているもので、その「わたし」は今日もまた、小さな出来事で変わっていったりもしている。

恋愛に限って話をすれば、わたしは恋愛経験が豊富ではないだろう。

ただ、一つ一つが濃密すぎて、それで十分すぎるほど、たくさんの出来事を経験してきたような気がする。

それも、どちらかというと「不幸な出来事」の方を。

こうしてまた、新しく文章を書きたいと思ったのは、わたしにとっては大きな出来事のひとつだと思う。

昨日書いた「さるさる日記」を終えてから、ブログもやったし、簡単なHPも作ったりした。

ちょうど10年と少し前くらいには、mixiにどっぷりハマっていたし、今もTwitterとインスタは細々だけれど、やっている。

でもこうして、大きな場所に向けて文章を書いているのはmixiの初期以来かな。

自己開示をしたくなったのか、自己顕示欲が出てきたのか、いや、それともただ、気持ちをアウトプットしていきたくなったのか。

自分の気持ちに向き合ってみたくなった、というのはあるかもしれない。

特にこの10年はジェットコースターのように忙しなく、自分の気持ちを置いてきぼりにしたりすることが多かった。仕方のないことだけれど。

昨日書いたように、わたしは「さるさる日記」の中で、元夫との恋愛話を綴っていた。

「さるさる日記」には、カテゴリごとにランキングがあって、そのランキングにも時々顔を出すくらいにはなっていた。

今もしログが残っていたら、読み返してみたい。

顔から火がでるけど、きっと。その中にいたわたしは、一体どこに行ったんだろう。

元夫とは、2002年の10月に始まり、2009年の6月に終わった。

その途中に、ドウセイ、ケッコン、シュッサン、リコンが盛り込まれている。なんて濃密な7年間だったんだろう。

今でも特別な人ですか? と聞かれたら、答えは「NO」である。

遺伝子上の息子の父親である、というのは変えようのない事実だけれど、わたしにとってはもう特別でもなんでもない。

「元夫」という名称がついているだけの、他人であり。

そのへん、わたしはドライなのかもしれない。別れた男にはまるで興味がないのだ。元夫を含めて、ね。

だって、別れるにはそれなりの理由がある。

自分に理由がある場合でも、他人に理由がある場合も、どちらもある。でも別れるって、そういうことだと思っている。

別れた相手とヨリを戻すなんてことは、わたしの辞書にはないのだ。

だから「元夫」も「元夫」でしかなく、ただの他人なのだ。

元気でいてくれても、元気じゃなくても、どっちでもいい。

息子に迷惑だけはかけてくれるな、それだけが願い。


そんなわたしにも、時々思い出してしまう相手が、ふたりだけ、いる。

そのふたりは、どちらも「付き合わなかった・付き合えなかった」相手だ。

だからこそ、それは別に片思いでもなんでもなく、そこに恋愛は介在していなかったとしても、叶わなかった関係のように思われて、時々思い出したりしてしまう。思い出したからといって、なにをするでもないのだけれど。

そのふたりのうちひとりについては、わたしがいつかもっと長い文章を書ける日がきたら、書きたいなと思っている。

たった1か月過ごした、特別な時間の中で起こったことを、ノンフィクションとフィクションを織り交ぜて、いつか。

そう思ってしまうのは、それが「始まり」も「終わり」もなかったからなんだろうな、と思う。

なんの前触れもなく始まって、突然終わった。

もうひとりの人も同じかもしれない。いや、同じか。

今のわたしは、もう十分すぎるほど大人になり、それでもまだ、苦しんでいる。恋愛で。

馬鹿だなぁ、と我ながら思う。いつまでこんなこと続くのかな、と思う。

あきらめられたら、どれくらい楽だろう。

手放すことができたら、どれくらい楽だろう。

きっと別れてしまえば、ドライなわたしだから、振り返らずに生きていけるのかもしれない。

でも、今はまだ、その時ではない。心が追い付いていかない。


わたしには、今、恋人がいる。

今は事情があって、離れて暮らしている。

恋人に出会ったとき、わたしはいろいろあって、男はもうこりごりだと思っていたところだった。

バツイチコモチが恋愛するリスクを肌で感じて、もういらないやと思っていたところだった。

それなのに、月並みな言葉でいえば、出逢ってしまった、恋に落ちてしまった。

今はまだ手放すことを考えられないこの恋も、いつか手放す日が来るのだろうか。振り返ることもなく、笑い話にできる日が来るのだろうか。

想像できないということは、きっと、まだその時ではないのだ、と思うことにする。

こういう時、もう、いろんなことを経験しすぎたなって、つくづく思う。

傷だらけのわたしと、きとんと向き合って、目をそらさずにいてくれたのは、今の恋人だけだったんだ、よな。

だからまだ、今夜もわたしは恋人を信じている。

信じようと思っている。

疑いながら、思ったよりもずっと、信じている。

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