「元」という存在
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2019.3.18.23:06
人間、何十年も生きていれば、それなりに「元」とつく存在が何人かいる。
「元」クラスメイト
「元」同僚
「元」友だち
「元」彼
「元」夫
「元」姑
あ、最後の2つは余計だったかもしれない。
その「元」という存在を持っている人は多数派ではないもんね。
今日はわたしが直接持っているものではない、「元」カノのお話。
*
わたしの恋人の「元」カノは、かなりキョーレツであった。
とにかく激しく、自己中で、最後はストーカーまがいの行為をするくらいになっていて、わたしが恋人と付き合い始めてから数か月、元カノの行為には悩まされた。
元カノとはそういうものなのか。
現在に食い込んできて、いろんな邪魔ばかりされていたので、正直辟易してわたしもストレスが溜まりすぎて、最終的にストレスからの全身への湿疹が出てしまった。
それも皮膚科ジプシーになって、なんの湿疹なのか分からずすごく辛かったのを覚えている。その湿疹が出て初めて、恋人は元カノにいい加減にしろと、本気で絶縁してくれたのだった。
なぜ、それまで絶縁できなかったのか? というのは、恋人が曖昧な性格だからとかではなく、シゴト関係で切れなかった事情があったのだけれど、さすがに全身が湿疹まみれになったわたしを見て、重い腰を上げてくれた。
それからは、元カノとの問題は、ない。
昨日たまたま電話で話をしていたときに、恋人が話してくれたのだけれど、わたしと付き合う前からずっと、恋人は元カノに別れ話をしていたらしい。
確かめようはないので「らしい」だけだけど(笑)
わたしと付き合う前からすでに、元カノには愛想をつかしていたらしく、一度は待ち合わせに遅れた恋人に、元カノがスタバの抹茶ラテを2つ買ってくれていて、そのうちの1つを手渡されたらしいけれど
「もしかして毒が入っているかも」
と思って、一口も飲まなかったらしい。そしたら元カノが激怒して、抹茶ラテを植え込みにまき散らし、おまわりさんが来たらしいけれど(苦笑)
仮にもまだ付き合っている状態の男女で、手渡されたもの、それも一応お店で売られているものに「毒が入っているかも」なんて思うのは異常事態だと思うから、恋人もまた、元カノには精神的に追い詰められていたのだろう。
それほど、元カノは激しい人だった。
*
そして、今、思うのは。
わたしも誰かの「元カノ」であり「元妻」であるということ。
その誰かの「今カノ」や「嫁」は、わたしを疎ましく思っているのかもしれないなと、うっすら考えた。
まぁ、わたしは「別れる」と決めるまでは長いけれど、決めたら絶対に振り返らないし、「ヨリを戻す」「未練が残る」なんていうことはありえない。
だから、そんなにめんどくさい存在にはなっていないとは思うけれど、元夫に「嫁」か「今カノ」がいるとしたら、元夫のDNAを持つ子どもを産んだというだけで、少し嫌な存在かもしれないね。
でも大丈夫。
元夫はわたしのことなどきれいさっぱり忘れているし、恐ろしいことに、子どもの誕生日さえうろ覚えなのだから。
その「現在」や「未来」に割り込むつもりは、未来永劫ありえない。
*
これから先、いろんなことが起こるとは思うし、確定事項はなにもない。
でも恋人が「元カレ」になんてならないように、わたしは努力していきたい。ずっとずっと続けていきたい。
改めて、昨日思った。
平成が終わる前に、どうかわたしたちが2人で始めたスゴロクが、進んでいきますように。
サイコロの目が「5マス進む」くらい、出ちゃいますように。
もう、「元」は、いらない。
「元」の存在があるから「今」の彼があるのよ、彼を育ててくれたのよ、なんていう話もあるけれど、わたしはそうは思わない。
わたし自身も誰かを育ててきた覚えはないし(育てているのはわが子のみだ)誰かが「わたしによって変わって今のかたち」になったとは思わないし、思いたくない。
もう、「元」は、いらない。
これが最後の恋であるように、わたしは願っているし、そのためにがんばっている。いや、がんばったらいけないのかもしれないけれど、やっぱり続けていくことって、努力も必要だと思うから。
もう私は誰かの「元」にはならないし、恋人の「元カノ」にもならない。
と、昨日から改めて強く思ったので、ここに記しておく。