逃げ道、寄り道、回り道。

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2019.8.31.14:28

晴れてますね。良きかな。

もう今日で8月がおしまいです。

どうします? どうしましょうか?

アイス食べるのやめますか?

(この夏は「アイスの実・白桃」にドハマリしてます)

毎年のことだけれど、心の準備もできぬまま、9月がやってきてしまう。

嫌だなぁ。と、思うけれど、誰も、何も、待ってはくれなくて。

去年の今頃も同じように足掻いていたけれど、1年たっても同じような場所でまだわたしは、生きている。

懲りないし、変わらないし、動けないし、

でも、懲りたいし、変わりたいし、動きたい。

立ち止まっているつもりでも、立ち止まれていないんだろうな。

目まぐるしく、周りは変わっていくから。それを止めることはできないのだ。

例えば、子どもを産んでからは、それを顕著に感じるようになった。

自分の人生だけだと、もうすっかりご無沙汰だった「新学期」とか「クラス替え」とか「入園」「卒園」「入学」・・・そういうものが出てきたから。

大人になると、そういう明確な区切りがなかなかないから、ぼんやりと季節をやり過ごしていたような気がするけれど、子どもを産んでからは、その節目のたびに、確実に時間の経過を実感させられている気がする。

子どもは、それを当然のように飲み込んで、過ごしていっているのだけれど。

わたしもかつては、そうだったはずなんだよね。思い出せないけれど。

子どもの頃は、時間が過ぎるのがすごく遅く感じて、小学校が永遠に続くような気がしていた。

わたしは小学校でイジメにあっていたから、早く中学生になりたかった。

中学受験をして、女子校を志望して、結果、第一志望の女子校に行くことができたのだけれど、本当に小学校からは早く逃げたかった。

でも、小学校の時間はすごくすごく長くて。永遠に終わらないのかと思っていた。終わって本当に良かった!! なーんて。

9月になると、新学期になって、子どもの自殺が増えてしまう。

学校に行きたくない、だったら、行かなくてもいいと思う。

でも、難しいんだよね。子どもにとっては、自分の家庭・家族と、学校が住む世界のすべてで、ルールのような気がしているから、そこで絶望を感じてしまうと逃げ場がないような気がしてしまう。

本当は、それはまだとても小さな世界なんだけれど、その時は、そのことに気づくことはできない。わかるよ。わかる。

イジメなんてなくなればいいけれど、なくならないのが人間だから、もし学校に行きたくないなら、行かなくていい。

死ぬくらいなら、行かなくていい。

と、わたしは思う。

もしこの先、自分の子どもがイジメにあうようなことがあったら、わたしは必ずその場から子どもを逃がすだろう。

逃げ道があることを、寄り道があることを、回り道があることを、教えるだろう。

でも、本当はイジメなんてなくなればいいよね。

でもでも、オトナの世界でも、イジメはなくならないから、きっとずっとこれからもイジメはなくならないんだろうね。

悲しい生き物だよ、いじめっ子は。自覚ないしね。

だから、そんな人と争っていても、意地張っていても、何もプラスになんてならないから、思い切って、振り切って、逃げて、と、伝えたい。

そして、いじめっ子たちは自覚がないから、オトナになると素知らぬ顔して近づいてきたりする。恐ろしいことに。

こっちは忘れてなんていないし、二度と会いたいなんて思わないのにね。

だからわたしはFacebookは、絶対に登録しない。

人生、知らなくていいこともたくさんあるし、知られたくないこともたくさんあるんだよ、と思うから。

あぁ、無駄話。シゴト中、留守番なんで、こんなことを書いてしまった。

さ。シゴトしますか。早く帰りたいな。

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