またまたルッキズム、「褒めるのもダメなの?」についてだらだら悩む 6月26日(月)の日記
5時35分に起きる。
ヒーはすでに起きて絵を描いていている。夫もめずらしく早起き。
わたしはnote日記を書く。
しばらくすると娘がいつもより早めに起きてきて、わたしのデスク横のアレクサで、リビングにいるパパに「パパー、おべんとうつくってー」と呼びかけている。
今日は学校の行事で、お弁当を持っておでかけ。おやつ300円までとあったけど、買い忘れたので家にあったミレービスケットの小袋と、ソフトキャンディみたいのをいくつか持たせる。
◇
体調はすっかり良くなる。
日記を書きながら、そういえばミーから英検5級受かったと聞いたけど、合格証みたいなやつを見てないなとふと思う。
最近パパがミーに「今日こそ持って帰ってきてね!」とやたら念押してたのは、あれのことだったのか。
そういう類の嘘はつかないと思うけど、合格証を見るまで信用できないな…ともちょっと思う。
ミーに関しては何度も裏切られてるので、性善説で接しないようにしている。嘘をつかれても「子どもってそういうモンだよね」くらいの軽いノリで、あらかじめ決めたペナルティを淡々と課す。
はじめは「信じてたのに…!」「ママ、ごめん…」とかやっていたけど、あんまり何度も同じことを言わせるので、だんだん茶番みたいに思えてきたのだ。
そういうふうに彼に接しても、「親に信じれてない俺…ガーン…」みたいに卑屈になるタイプじゃなく、「ですよね〜」みたいなノリの子なので、彼にはそれでいいかなと今のところ思ってる。将来どうなるかは、未知。
◇
今日も家で仕事。
昨日に引き続きルッキズムのことを頭の中で整理していて、
・人が美しいものに惹かれるのは、本能的なことなので止められないし、止める必要もない。
・特に子どもの前で、誰かの外見「だけ」をことさらに褒めるのは止めたい。ルッキズム的価値観を伝承させたくないので。
・娘や、近所のかわいい女の子にも無自覚に「かわいいね」と言っていたけど、もうちょっと言葉を選んで、その子の内面を褒める言葉に変えていきたい。
・自分の「可愛い」の基準を子どもに押し付けるのも止めたい。
・反ルッキズムでは「褒める」こともNGとされているけど、これは、状況(例えば、職場か家か)で答えが違うし、相手との関係性でも変わるし、一律に対応を決められるものではない。その時々で考えていくしかない。けど体感で8割くらいの人は褒められると喜ぶのでは…という思いはある。なので、言葉狩りみたいになってしまっては窮屈ではあると思う。けど発する言葉には意識的でありたい。
整理していて、と書いたわりにあまり整理されてなくてすみません。
(今ちょうどこれを書きながら近所のママと窓から会話し、髪を切ったという彼女に、なんの迷いもなく「かわいー!」と発してる自分がいた)
最後の「褒める」はOKかNGかっていうのはなんとも歯切れの悪い意見になった。夫とも話していて、彼は褒めたい!派。わたしも褒めたいけど、ちょっと慎重にしたい派。
「褒めるのもNG」派の意見は、
・内面を見てもらえずに傷つく人もいる
・職場では外見は関係ないから口にすべきではない
・本人が喜んでいるとは限らない
などなど
ほかにも色々調べてみても、まぁ、褒められて傷つく人ってのは少数派だよね…という印象は否めない。しかも美女・イケメンというだけで、得をしている事もいっぱいあるよね…というやっかみも当然ある。
その少数のために、(体感)8割の人を幸せにするであろう「褒め」というポジティブ発言を我慢する必要があるのか問題。
◇
これはわたしの仮説だけど、この「褒めもNG」という意見って、多くは女性からの意見なのではないかと思う(ルッキズムを語る人自体、ほぼ女性な気がするけど)。
女性は、誰かが褒められているのを見たり聞いたりすると「わたしは?」と比べてしまう傾向が強いらしく、わたしもすごく身に覚えがある(水島広子さんの『女子の人間関係』に書いてあった)。
これが外見の話であることも多くて、ルッキズムとごっちゃにして語られると、職場で誰かが特定の人の外見を褒めるような事が続くと、女性陣たちのチームワークがすこし乱れる気がする。
すると、会社全体のパフォーマンスが落ちて、業績も悪くなる。だから、良くない!みたいな。
つまり、そういう売上とか関係ない日常生活では、そんなに褒めに慎重にならなくてもいいのかなぁ。
けど、子どもには新しい価値観を…とか考えて、やっぱりまとまらない。
いい加減この日記を仕上げて仕事をしなければならないので、このへんで。
とりとめなくルッキズムの話ばっかしてすみません。
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