第五章「固有性を離れる・線」⏐ 矢野静明
絵画以前ということなのかもしれませんが、人が一本の線を引くということを、これまで自分の体験に基づいて考えてきました。あわせて、自分の体験について、シモーヌ・ヴェイユの「人格と聖なるもの」に触発されて考えてきた部分もあります。ヴェイユから受け取った問題とは、固有性から離れるというものです。ヴェイユは、哲学者でもあり、社会運動家、教師でもあるのですが、もっとも本質的な意味で宗教家であったという、他にあまり例を見ない存在について考えるのはまた別の機会にしたいと思います。ヴェイユ自身は、絵画についてまとまった文章を書き残してはいません。ですが、一般的な絵画論とは異なる方向から線を引く行為への手がかりを与えてくれるはずです。線を引く行為の中に、ヴェイユが書いている、固有性を離れる何かが潜んでいるとして、それなら固有性を離れた線描とは一体何かを考えてみたいのですが、いきなりヴェイユの問題に入っていくのではなく、ちょっと別の角度から話を進めていきますので、最初に二つの問題を取り出してみます。
第二章「誰が線を引くのか」とも関連しますが、学習以前の線という問題、もう一つは、第四章「背後にあるもの」で言及した、カンディンスキーが到達した対象なき絵画を待ち受ける「その後」について、この二つです。そして、この二つに一本の道筋をつけてみたい。可能であればということですが。
第二章の「誰が線を引くのか」では、自分の体験なのですが、地面に線を引いた記憶、つまり学習以前の線について話しました。これは、線描の始まりではなく、線描の記憶の始まりと言ったほうが正しいですね。線を引くこと自体は、もっと前からやっていたはずですが、線描についてのたしかな記憶はここから始まります。ところで、体験というのは、話すのは簡単なのですが、伝わるかどうかとなるとむずかしいものです。
たとえば、病的な幻覚や幻視、幻聴の体験は、患者にとっては避けようのない事実であっても、外部からの観察者には、患者が作り出した妄想という事実でしかありません。自分の内部で起きたことに客観性はありませんから、同じように事実だといっても、患者と観察者では事実の位相が異なります。
学習以前の線についても、同じようなことが言えるでしょう。体験のなかで生じた自分の体感を外部の人が受け取ることはできません。その意味で、病者の妄想に似ているのです。その人だけに生じる体感とはそういうものです。しかも、線を引いた時に起きた体感を自分の身体で記憶している人は非常に少ないと思います。幼い頃に線を引いて遊んだという記憶は多くの人が持っていても、線を引いた時、自分に生じた体感をそのまま持ち続けている人はなかなかいないでしょう。自分の場合にかぎれば、引かれた線そのものよりも、長い棒を両手でつかんで土の上に線を引いていく時の、棒の先と土が触れる物理的な感触が身体に残っています。その感触に続いて、引かれた線の痕跡がよみがえってきます。つまり、線そのものよりも、線を引く時の体感が先によみがえってくるというのが本当です。
学習以前といっても、単に学校入学以前だけを意味するのではなく、知識として学び始める以前の記憶全体のことです。学習行為が意味を学ぶものだとするなら、学習以前の体験とは、意味にならないものが直接身体に入ってくる状態です。結果として、学習し整理され知識となった「体験」よりも記憶に残ることがむずかしくなります。意味もなく線を引き始めた行為を、自分の体感の記憶として残している人が少ないのは、その体験が意味として理解される以前に起きたからだと思います。しかし、体感は必ず発生しているものです。言葉を習得した瞬間など誰もおぼえていないでしょうが、ある時から言葉を話し始めたことは間違いありません。言葉を習得することや線を引く行為は、気づかぬうちにいつのまにか通過する、ありきたりな出来事なのですが、いつ自分が通過して、その時にどんな体感が生じていたのかをたどることは大変にむずかしいはずです。
絵画の問題とはまったく文脈の異なる内容なのですが、行為を意味として理解することと、その行為を直接に体感することの決定的な違いについて書かれた有名な文章があります。民俗学者であった柳田國男が敗戦直前に書き始めた『先祖の話』がそれです。柳田はこの本の突端で、先祖という言葉の理解の仕方には二通りのものがあると書いています。先祖という言葉を知るといっても、文字としてだけその言葉を知るのと、「古い人たちの心持を汲み取って」その言葉を知るのでは違うのだと柳田は言います。
柳田がここで述べている「心持」が、線を引く時に生じた体感と同じ位置にあります。周囲にいる「古い人たちの心持」に触れることで浸透してきた感覚が、その人に先祖の存在を体感させていく。それとは違って、文字で先祖というものを知る者は、家系図に記してある先祖を自分の先祖として理解しますが、その理解の仕方は、自分の周囲にかつて存在し、その後も気配として漂っている先祖の姿を伴わないのです。
文字としての先祖であれば記録として残っていく。しかしそれは、「古い人たちの心持」を伴ってはいない。「古い人たちの心持」に触れるとは、過去を懐かしむような懐古的な感情ではなく、歴史の存在そのものなのです。ですから「古い人たちの心持」の喪失は、歴史そのものの喪失であり、ひいては、今現に生きている者たちが歴史を失うことにつながります。ですからそれは、過去の問題ではなく、今を生きている人間の問題となるのです。
歴史を失うのは、通時的な時間軸を失うというだけでなく、先祖(歴史)と共に生きてきた共時的な空間軸を失うことであり、そちらがより根源的な歴史の喪失となります。動物としての生を持続させるためだけなら「今、ここ」の時空間があればそれで十分です。しかし、人の歴史の時空間は、それだけでは成り立ちません。動物より人間がえらいということではありません。人間だけが請け負わなければならない問題があるということです。
「古い人たちの心持」が、なによりも、かつて存在していた人たちの魂のことであるのは当然ですが、と同時に、今を生きているわれわれの魂もそこに含まれるのです。それがなにより重要なのです。なぜなら、われわれもいつか必ず「古い人たち」となるからです。未来の人から見れば、現在を生きている人間すべてが、古い心持を持った古い人たちに必ずなるのです。今を生きている全員が、未来から見るなら「古い人たち」なのです。ですから、古い人たちの心持を喪失した歴史の途絶えとは、過去の時空間の途絶えではなく、今この現在の喪失と途絶えそのものであり、未来の歴史の途絶をそのまま意味します。
敗戦前夜に『先祖の話』を書く柳田にあった「魂の行くえ」のモチーフは、単に、死んだ者たちへの鎮魂のためだけではありませんでした。むしろ、未来の日本人、世界大戦に敗れた後も残り続ける人類としての日本人の「魂の行くえ」の問題でもありました。先祖とか魂という言葉を聞いて、短絡的に柳田を民族主義やナショナリズムなどと結びつける必要はまったくありません。柳田が語る魂は、そのような偏狭な解釈で済ませられるものではないからです。先祖の魂とは、消え去る過去を意味しつつ、同時に、到来する未来をも意味するのです。
柳田が考えていた「魂の行くえ」は、過去から未来までをつらぬく魂のことです。けれど、この「魂の行くえ」を、自らの民族だけではなく、それぞれの諸民族が保持してきた「魂の行くえ」として普遍化するなら、柳田の「魂の行くえ」は、画家カンディンスキーの「その後」の問題とそのままつながっていきます。なぜなら、二〇世紀芸術においてカンディンスキーが考えていた「その後」は、これから到来する未来と同時に、すでに存在した過去も含んでいたからです。つまり、柳田がそうであったように、過去、現在、未来を一本の線で結ぶ、芸術における「魂の行くえ」をカンディンスキーは考え続けていたからです。
カンディンスキーの絵画が到達した対象なき抽象画面は、二〇世紀芸術にもたらされた最大のサクセスストーリーの一つでした。十九世紀末の後期印象派から二〇世紀のピカソたちの登場を経て、非対象絵画へと至るのですが、カンディンスキーが最終的に求めていたのは、単なる画面上の対象消去にとどまるものではありませんでした。それは認識論的な捜査にしかすぎません。マレーヴィッチやモンドリアンのように純粋な二次元平面へと画面を還元することではなく、彼が最終目的としていたのは、絵画内部に見る人が入り込む体験を呼び起こすような画面の創造にありました。そして、カンディンスキーがこの時に求めていた絵画の未来とは、彼が画家になる以前、一度だけ現実の姿を見せていました。言い換えるなら、未来の絵画が過去の姿をもって彼の前に現われたということです。
後年、『回想』の中でカンディンスキーは、若い時に強烈な印象を受けた体験として「セント・ペテルスブルグのエルミタージュ美術館にあるレンブラントの絵とヴォログダ州への旅行」をあげています。一八八九年に行われたヴォログダ州への旅行とは、画家としてではなく、民族学者兼法律学者の資格で、自然諸科学、人類学および民族誌学の王立協会から派遣された調査団員としての旅でした。ちなみに、この時のカンディンスキーに与えられた調査目的は、「徐々に減少してきているズイリャン族の漁業部族と狩猟部族の許で、彼らの異教徒的宗教の遺風を蒐集する」といった、美術とはまったく無関係な内容です。ところが、到着した彼を一番に驚かせたのは、家屋の外壁にほどこされた彫り物、独特の民族衣装をまとった村人たち、そしてなによりも、家屋の居間、殊に部屋中を覆いつくす絵や装飾文様であり、カンディンスキーの言葉で言えば「それらの家々は、絵のなかで動くということ、画中に生きることを、私に教えた」のです。彼は絵画が呼び起こす最も大きな可能性の中心部に自分が入り込んでいるのを、その時はっきりと自覚します。
カンディンスキーはヴォログダ州への旅で、絵画を全身体的に体験するとはどういうことかを知ります。観者が画中に入っていくことで、身体へと絵画が働きかけてくる。そのことを確信します。ところがよく考えてみると、カンディンスキーのこの体験は、二次元の絵画空間ではなく、三次元の建築空間によって引き起こされたものでした。ヴォログダ州での体験以外でカンディンスキーが書き残しているのも、様々な地方にあった礼拝堂内部での体験であり、いずれも三次元空間での出来事です。それは事実なのですが、カンディンスキーにとって重要なのは、二次元か、あるいは三次元かの問題ではなく、視覚を通して全身体的な反応が呼び起こされたという、そのことでした。
二次元の絵画ではなく三次元の建築物だったことで、身体的体験がより直接的な形で可能になったのは間違いありませんが、そのことをもって、三次元空間のほうにより大きな可能性が存在するとは考えませんでした。なぜなら、視覚効果の直接性や拡張だけを求めて、二次元から三次元へと向かうなら、カンディンスキーが第一に求めた「精神的なもの」の探求から逸れてしまうからです。
表現の可能性をメディアや空間の拡張に求める傾向は、カンディンスキーの時代よりも、現在は比較にならないほど強くなっています。二次元よりも三次元へ、視覚的可能性を求めて拡張していきます。たしかに視覚体験の拡張拡大だけを目的とするなら、三次元空間の方がはるかに見る者への効果は大きいはずです。しかし、その効果は「精神的なもの」の高まりをそのままでは意味しないのも明らかです。もし、カンディンスキーの抽象芸術が、視覚効果の拡大のみを目指していたのなら、彼は二次元の絵画空間を離れ、建築あるいはその後に登場する映像技術も含めて、多次元的な空間の可能性に向かっていたはずです。そのような可能性の探求は、すでにカンディンスキーの時代にも登場しています。バウハウス時代の同僚には、美術家だけでなく、建築家や写真家もいて、カンディンスキーやクレーといった画家たちと一緒でしたが、画家である二人と彼らの間には考え方の相違があったことも伝えられています。
カンディンスキーに、身体的な作用を体験させたのは、ヴォログダ州に存在した家屋や居間という三次元の空間でしたが、彼はその体験を三次元ではなく、二次元の絵画空間で実現しようとします。でも、もしそうであるとしても、ではなぜ絵画である必要があるのでしょうか?
建築においても、なんらかの精神的理念がなければ、単なる機能性を求めるだけの無機質な居住空間になってしまうのはわかりきっています。絵画だけでなく建築においても「精神的なもの」が存在するのは自明です。それは当然ですが、同時に建築は自らの属性として、生活空間としての現実的な用途や機能性を必ず求められます。寺院や礼拝堂は、必ず宗教的な象徴性を必要としますが、同時に、その内部には人が集う空間がなければなりません。しかし絵画は、そのような用途の必要性を最初からまぬがれています。具体的な機能や用途を求められる必要がないのです。と同時に、実際的な用途の必要を持たないのですから、絵画は自分の存在根拠をみずから明らかにできないかぎり、存在の意味を失います。だからこそ、絵画は精神的理念を最も中心に置く必要があるのです。そうでなければ、絵画という二次元上の表現は、三次元の構築物よりも、もっと可能性の小さい平面的な装飾空間にすぐに堕してしまうのです。「精神的なもの」とカンディンスキーが名指したのは、その中心的理念のことでした。その意味では、カンディンスキーという画家は、本来的には実に古典的な芸術家なのです。
フランスの哲学者ミシェル・アンリのカンディンスキー論『見えないものを見る』は、カンディンスキー芸術の中心に位置する「精神的なもの」を、アンリ哲学の中心にある「生の内在性」と密接に関連させ論じたものであり、二〇世紀以降の絵画に関する重要な一冊となっています。
しかし実は、アンリにおける、「精神的なもの」の理解をそのままたどっていくと、その分析の厳密さには驚嘆しつつも、カンディンスキーが書き残した最初の地点から一歩も動いていないかのような印象を受けてしまいます。現代絵画における哲学的存在論ともいえる稀有な絵画論、画家論でありながら、不思議なことに、論の中心にある「精神的なもの」について、カンディンスキーがかつて語った地点から一歩も動いていないかのような印象を受けるのです。その理由を考えてみると、カンディンスキーの「精神的なもの」自体が、すでに概念の基底部をなしていて、それ以上の分解や分析を許容しないからだと思います。どこを引用してもかまわないのですが、たとえば、次のようなアンリの文章を読むと、それがわかるはずです。
アンリは、カンディンスキーの「精神的なもの」とは、われわれが漠然と連想するような、哲学的・形而上学的・宗教的なものとは一切無関係なのだと言います。アンリによれば、点、線、面、色彩、フォルムなど、画面を構成する具体的基盤そのものが「精神的なもの」なのであり、それは「絶対的な主観性」だとも書かれています。一般的には、絵画を構成する様々な諸要素は、モダニズムならば、マテリアルな基底物と認識され、視覚的、心理的要素を別にすれば、そこに精神的な要素が内在しているとは考えられていません。その点だけでも、アンリの理解は通説からかけ離れています。そこからさらに、「絶対的な主観性」について、精神の中にある「実在性」だとも言っています。このアンリの思想は「現代思想」的な意味では、一種の反動でもあり、まったく現代的ではありません。そのことは別にして、しかしこうやってアンリの分析をたどっていっても、「精神的なもの」が、より理解可能な姿を見せてくる気配は感じられません。なにより、「精神的なもの」が「分析の単なる帰結」であるならば、それ以上の分析が不可能なのは最初からわかっているはずです。
アンリの執拗な探究を経たあとでも、ついに到達点に達しないのは、アンリの理解不足や言葉が不適切だからではなく、「精神的なもの」が、他の言葉によって置き換えられないからです。これは、アンリ哲学の中心概念である「生の内在性」が、それ以上に細かく分解できないのと同じなのです。同じことは、「精神的なもの」と並んで、カンディンスキーにとって最も重要な概念であった「内的必然性」について語るアンリにも言えます。
これが、「内的必然性」に対するアンリの定義なのですが、他の概念との比較や類似、そして対比を求めない、つまり「内的必然性」の外には一歩も出ない厳密な定義であるがゆえに、「内的必然性」は「内的必然性」の殻の内にじっと閉じこもっているように見えます。アンリが、カンディンスキーの語った「精神的なもの」、「内的必然性」を十分に理解しているのは、『見えないものを見る』全体がはっきりと示しています。そのような深い理解を可能としているのは、自らの力で構築した哲学の存在でした。しかし、それでも尚、「精神的なもの」、「内的必然性」は、カンディンスキーが言葉を発したその時の状態のままに留まっているのも事実です。「精神的なもの」と「内的必然性」という名前は与えられたのですが、その内実はいまだに解き明かされていません。
語ろうとしても語れないものにカンディンスキーは直面して、それに言葉を与えようとしました。確かに与えられはしたのですが、その言葉は、あまりに直截的であり、また逆に普遍的に過ぎ、名前の次元にとどまったままです。アンリの本のタイトルそのままに、見えないものを見ようとしているのですから、そうなってしまうのも当然なのかもしれません。
カンディンスキーが残した二つの言葉、「精神的なもの」、「内的必然性」は最終的な名指しなのであり、そうであるが故に、その先には付け加えるべき言葉も概念も登場してきません。けれども、わたしたちはそこにとどまらず、二つの言葉に隠された何かを探していく必要があります。
引かれた線について考えるというのも、これと似ているのかもしれません。引かれた線の、さらにその先に、果たして、線の出自を名指せる言葉はあるのかと問われると簡単には答えられません。カンディンスキーに対するアンリの厳密な定義が、それでも「精神的なもの」や「内的必然性」に到達し得ないのと同じように、近づくことを試みたとしても、線を名指す言葉はさらに遠のいていくような気もしますが、試みることは許されるでしょう。
学習以前の線から始めて、カンディンスキーの「その後」について話してきたのですが、まだどこにも到達できていません。カンディンスキーは、「精神的なもの」、「内的必然性」という名のもとに、絵画制作とあわせて考え続けました。彼が目指していた到達点がどこにあるのかはっきりとは言えませんが、目指していた姿は伝わってきます。それならば、われわれももう少しカンディンスキーが探し求めたものの姿を追ってみたいと思います。
引用文献
柳田國男『柳田國男全集13』(ちくま文庫)
ワシリー・カンディンスキー『カンディンスキー著作集4 回想』(西田秀穂訳、美術出版社)
ミシェル・アンリ『見えないものを見る』(青木研二訳、法政大学出版局)
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