第四章「背後にあるもの」 ⏐ 矢野静明

フレデリック・グロはM・フーコー講義録の編者としても知られていますが、彼に『創造と狂気』という本があります。本文の(注)に、次のような話が書かれています。前後の経緯は省略します。

  ルレ博士はビセートル病院の精神病者の話を私たちにしてくれた。そのひとは、病気の間、見事な文才を示したが、健康な状態では同じように書くことはできなかったということだ。快方に向かっていると考える医師に彼はこう言った。「私は完全には治っていません。まだ頭がはっきりしすぎています。健康な時は一通の手紙を書くのにも一週間かかるのです。普段の状態の私はばかなのです。もとに戻るのを待ってください」と。(『創造と狂気』グロ・澤田直訳)

この患者にとって、われわれが普通考えている「正常と異常」は反転しているわけです。患者本人の言葉に従うなら、「病的な明晰さ」から、「通常のばか」に戻ることが、病気からの快復を意味しています。明晰な時は、本来の自己を喪失しているのです。そして本来の自己に戻ると、ばかの状態になるということです。本人がそう言っているなら、きっとその通りなのでしょう。しかし、なぜ狂気の状態こそが本当の姿だとこの患者には認識できるのでしょうか。

本当の自分を認識するためには狂気ではなく理性的であることが必要です。逆に、狂気の状態なら自分自身を知ることは不可能だと私たちは考えます。ところがこの患者は、明晰である時には自分を見失っていると言っています。そして、狂気の状態と共に本来の自己が戻ってくる。他人事であれば大変面白い話なのですが、自分がもしそうなったら「面白い話」ではすまないでしょう。われわれは誰もが理性的に自己を保っていることを疑いません。そういう自己意識の中にあります。しかし、本当はその状態こそ狂気の状態なのかもしれない。そういう話なのです。そう考えると、単に面白いだけの話ではなくなります。理性的で正しい判断によって成り立っているはずの現実世界が、じつは狂気の世界そのものであるという話にもなるからです。

これに少し近い話がフロイトにも残っています。『シュレーバー回想録』として世に知られている精神病の患者パウル・シュレーバーについて書かれたフロイトの症例論の中に書き込まれた一節です。

 私はある類似性について、ここで述べておきたいのである。つまり、太陽光線と神経線維と精子との圧縮によって構成されるシュレーバーの「神の光線」が表しているのは、そもそも物象的に表され、外部へと投射されたリビドー充当にほかならない。このことによって、彼の妄想と、我々の理論との驚くべき一致が見いだされることになるのである。・・・シュレーバーの妄想形成におけるその他の多くの要素も含めて、それらは、まるで、私がパラノイアの理論の根底に仮定した行程の内的な心的知覚のような響きをもつ。・・・私の理論のなかに私が思っている以上の狂気が含まれていはしまいか、あるいは人が今日狂気と信じているもののなかにより多くの真理が含まれていはしまいか、それは未来の判断に委ねるほかない(『シュレーバー症例論』フロイト・金関猛訳)

グロの本に書かれた患者の話もそうですが、正常と異常の反転が他人事であるあいだは、ただ面白いだけのことです。しかしこれが、ただ一人の患者の話ではなく、自分たちの世界全体が正常と異常の転倒した状態にあると考え出すと、面白いだけではすまなくなります。フロイトのシュレーバーに関する文章もまさにそのことを語っています。医者フロイトの正常な理論と、患者シュレーバーの狂的な妄想との「驚くべき一致」は、先に述べた精神病者の「正常と異常」の反転現象にもまして、なにか底知れぬ不気味さを漂わせています。フロイト自身がただの医者ではなく、人間の狂気の世界を察知した人ですから余計にそう感じます。シュレーバーの狂気こそ「きわめて正確な理論」の先駆だったとフロイト自身が言っているのですから、面白いどころの話ではありません。

正常と異常、あるいは創造と狂気であれ、両極の間で保たれるはずの安定した構図が全く「安定していない」ことを、フロイトもそうですが、二〇世紀以降の現代思想は積極的に証明してきました。美術においても、ファン・ゴッホの狂気から、シュルレアリスムのオートマティスム、ハンス・プリンツホルンの精神病患者の作品研究という具合に、連綿とその証明はなされてきた経緯があります。むしろ、狂気とは、想像力の隠された貯蔵庫であるといった認識が今では一般にまで広がっています。誰の内部にも貯蔵庫が隠されていて、正常な状態つまり常識や理性の壁が突き破られる時、それぞれの狂気の貯蔵庫から尋常ではない創造力が解き放たれる。理性の解体は、狂気と同時に創造力を解放するといった考えは20世紀芸術を先導してきました。

グロが取り上げた精神病者の言葉とフロイトのシュレーバー症例に関する言葉を読んできましたが、果たして、芸術表現における正常と狂気のような問題はいまでも存在しているのでしょうか。

二〇世紀初頭に、歴史に名を残す音楽家と画家の出会いがありました。音楽家シェーンベルクと画家カンディンスキーの関係はすでによく知られています。二人は共に二〇世紀芸術において、それぞれのジャンルを代表する先駆者でした。シェーンベルクは調整された古典的な西洋音楽の規範を打ち破り、無調音楽から12音技法に至る、まさに現代音楽の先駆的存在であり、カンディンスキーは、キュビスム的抽象に残っていた外部からの対象物を画面から取り除き、最初の純粋な抽象絵画、つまり対象を持たない絵画を描いた画家とされています。もちろん、この二人だけが現代芸術を先導したわけではないし、無調音楽、十二音技法、そして抽象絵画、非対象絵画に向かう道は、同時代の多くの芸術家が、それぞれのやり方で目指した方向でもあったのですが、ここでは、二人の業績について、最初に述べた正常と狂気の観点から、少し考えてみます。といっても、実際に二人がシュレーバーのように正常と狂気の間を行き来したという話ではありません。彼らは普通の意味で理知的な人たちでした。実に理性的、実に論理的、そして実に実践的な芸術家でした。しかし、彼らが理性的論理的にたどり実践した表現の全プロセスを考えてみると、ある意味で、正常と異常が反転する過程によく似ています。正しい規範によって成り立つと思われている世界を一度解体して、「本来の芸術表現」へと至るといった考えはそれに近いはずです。なにより両者は、正常さへの疑いにおいて共通しています。

シェーンベルク、カンディンスキーが展開したそれぞれの思考と実践について詳しく知らなくても、彼らが既成の形式を意志的に解体して、全く新しい表現の形を目指した経緯はそれほど理解の難しいものではありません。なぜなら、新しい芸術の台頭がすでに起きていたとはいえ、当時はまだ古典的な芸術形式も依然として強固に存在していたからです。古さと新しさの対立構図はきわめてわかりやすいものでした。少なくとも、新しい芸術家が想定していた「仮想敵」なるものは明快な形でまだ存在していました。二人が批判的に向き合っていたのも、シェーンベルクの場合、音階として調整され組み立てられる音楽の形式であり、カンディンスキーにあっては、画面上に具体的な対象を持つ絵画の表現内容でした。音階、調律、そして具体的対象物から解放された未知の聴覚と視覚世界への到達、それが二〇世紀の新しい音楽であり絵画でした。

新旧の対立構図が明快であるとは、裏を返せば、新しさが簡単には受け入れられないということを意味します。シェーンベルクの無調音楽もカンディンスキーの非対象絵画も似たような一般からの拒否反応を受けています。当時の否定的な反応と比較するなら、現在では「二〇世紀芸術」への歴史的評価はすでに定まっています。ただし、シェーンベルクやカンディンスキーが当時よりも正しく理解されているかどうかとなると別問題です。評価の高まりと理解の深まりはまったく別物です。なによりも、二人が本来求めていたものと、一般に「現代音楽」、「現代絵画」として理解されているものが本当に合致しているのかと考えると疑わしくなります。

シェーンベルクの無調音楽がそれまでの調性音楽を脱したことはよく知られています。また、カンディンスキーの非対象絵画が、絵画に不可欠であったはずの対象を完全に消し去ったことも知っています。教科書的にはそこまで理解できていれば正しい答えとなります。しかし、二人の芸術家にとっての最大の問題はそこから始まるのです。古いものを打ち壊せば、新しいものは自ずと姿を現わすだろうと素朴に信じる人間ならそれで問題は終了したでしょうが、二人はそれほど能天気ではありませんでした。考え続けていたのは、古い形式の解体作業より以上に、解体の後、とって代わるべき新しい内容の芸術が本当に成立するかどうかということでした。

シェーンベルクとカンディンスキーの存在は、近代から現代へと至る芸術の決定的な転回点です。繰り返すように、古い形式の解体が目的ではなく、その先に姿を現わす芸術を考えていました。が、これはかなり難しい問題となります。なぜなら、二人が先ず実行したのは、音楽を音そのものへ、絵画を色彩と形態そのものへと向かわせる、いわば形式要素への徹底した純化であり還元でした、その結果、登場したのが、純粋音楽、純粋絵画、もしくは絶対音楽、絶対絵画であったのも事実です。そこだけに限るなら、彼らが真に求めていた新しい芸術という建築物にはまだ到達できず、建設予定地を更地にして準備したという段階でした。ここで終わるなら、二人は単なるモダニズム芸術の先駆者というだけの話です。けれど、二人はモダニズム風の形式還元(フォーマリズム)を目指していたわけではありません。形式の純化を求めながらも、あくまで芸術の新しい「内容」を求めていたのです。二人はまだ存在しない新しい芸術を探しながら、同時に、普遍的な、ある意味では、古典的な意味での芸術の内容を探求していたのです。現代芸術の創始者と評価されながら、本当は今でも理解されていないのではないかという疑問は、彼らのそういった姿勢のゆえです。彼らの求めた新しさは、同時に普遍的芸術への到達を目指したものでした。しかし、普遍的芸術がまだ可能なのか。これはとても複雑な問題です。

一般的に考えるなら、形式要素への純粋還元とは、必然的に内容の消去にもなります。実際に、現代芸術における絵画形式の純化は、ロシアのシュプレマティズムも、その後のアメリカ抽象表現主義もそういう方向をたどります。少なくとも、古典的な内容を想起させるような方向は注意深く退けられました。たとえば、画面上に現実の空間を錯視させる遠近法も、古典的な内容として排除されていきます。ですから当然に画面は平面的になっていきます。ミニマル・アートの色面絵画は、その典型です。ところで、要素に還元された作品は、ほとんど伝達するものを持ち合わせていません。仮に伝達する内容があるとするなら、絵画とは何か?という認識的な問いかけでしょう。

シェーンベルグの無調音楽や十二音技法は、一般の聴衆には「音楽」ではなく、「音そのもの」にしか聴こえず、音楽的なものの排除と受け取られました。しかし、彼が形式としての調性から音楽を解き放ち、音そのものへと純化させていったのは、音楽を無意味化するためでも破壊するためでもなく、それまでの調性音階では生み出せない新しい音楽内容を作り出すためでした。古い調性に支配された音は、いわば既成の分かりやすい「音楽」をなぞるだけですが、新しい音楽は、一音一音が固有の価値を担いつつ新たな連鎖を形成していく。シェーンベルクはそれを求めていました。そうなると、一般大衆が気休めに耳にするような心地よい音楽とは到底なりえないのも事実です。

シェーンベルクは、新しい形式と音の発見を確信していたし、彼の切り開いた現代音楽の方向は決定的でもありました。しかし、後世、シェーンベルクに与えられた、音楽上の存在意義とは、彼が古い形式を解体した先駆者ということにあり、解体の後に展開され、シェーンベルクが生み出そうとした音楽そのものの評価とは、微妙にずれていきます。シェーンベルク自身、単なる「新しさ」だけの音楽には価値を置いていません。バッハを古い音楽だと批判し自分たちこそ「新しい音楽」の担い手だと自負したバッハ後の音楽家よりもバッハのほうがより新しいのだとシェーンベルクは書いています。シェーンベルクやカンディンスキーの求めた新しい音楽や絵画が、現在において、以前より深く理解されていると簡単には言えないと述べたのは、そのためです。解体の後の創造の問題はカンディンスキーにも当然立ちはだかっています。その問題について、カンディンスキーは自分の言葉で明快に書き記そうとしました。

 なかでももっとも重要な疑問は、対象が欠けた場合に何がそれに取って代わることになるのか?ということであった。装飾文様の危険は私の経験ではっきりしていたし、様式化されたもろもろの形態の死んだ見かけだけの存在は、私を怖気づかせるだけのことだった。

 「何が対象に取って代るべきか」というこの問題が私の内部で適切な回答に至るまでには、実に永い時間がかかっている。しばしば私は過去を振り返って、この解決にいかに多くの時を費やしてきたことか、とやけくその気持ちになる。

 芸術の重心は「形態的な」面にあるのではなく、もっぱらその内的な志向(内容)にあるのだ、ということが、私にはしだいに明らかになってきたし、そのことに一層の確信を抱くようになった。

 われわれ現代人のあいだには、依然としてもっとも表面的に解釈された「芸術のための芸術」の原理への、抜き難い信仰が存在する。(以上『回想』カンディンスキー・西田秀穂訳)

ここに書かれている言葉を正確に読むなら、カンディンスキーの抽象芸術が、一般に流布されている理解の仕方とはほぼ無縁であることがわかります。

カンディンスキーは自分の絵画から「対象」を取り除くことで、画面上の色彩と形態の自立的価値を目指していたのだと、ここまではごく常識的な抽象に対する理解の仕方です。そして二〇世紀抽象絵画に対する一般的な理解も、また画家たちの認識も、ある意味でこれが限界点となりました。一九一〇年代、カンディンスキーが描いた最初の抽象絵画だと言われている水彩画から、二一世紀の現在描かれているほとんどの抽象絵画の間に決定的な違いはないはずです。これはシェーンベルクの無調音楽と二一世紀に書かれている現代音楽がほとんど変化しないのと同じです。繰り返しになりますが、問題はその先にあるのですから、その問題が解決できない限りは、どれほど時間が経過しようと同じところにとどまっているのはごまかしようがありません。

カンディンスキーは、対象を除去すれば、その画面を一体何によって支え、そして画面上に何を作り出すのか?という、より一層困難な別の難問に突き当たっていきます。しかし、カンディンスキーに続いた抽象画家たちで、カンディンスキーに匹敵するほどこの問題に立ち向かっていった画家はいませんでした。ですからいくら時間が経過しても、カンディンスキーが到達した地点から先には進まなかったのです。カンディンスキーは、その難問に答える必要を感じていました。その答えとは、明快で分かりやすく、しかし、理解しようとすれば困難を極めるものです。

一言で言えば、カンディンスキーの言葉で最も有名な「内的必然性」がその答えでした。

内的必然性によって導き出された形態が、消去された古い「対象」に取ってかわるのです。この内的必然性は、厳密な論理的帰結というよりも、もっと直感的ななにかです。カンディンスキーは、その内的必然性に導かれるものだけを基準として、新しい絵画の方向を探していくことになります。

カンディンスキーの場合、作品形式が解体へと至る経緯はシェーンベルクと同じでしたが、そこから先、カンディンスキーには別の側面、シェーンベルクにはなかった彼の資質が姿を見せます。これについては、哲学者アドルノが、オカルティズムやルドルフ・シュタイナーの人智学に関心を示す、いかがわしい「精神主義」として批判した側面につながります。カンディンスキーにはいくつかの異なる側面がありました。神秘主義に関心を示すと同時に、バウハウスでの造形教育のように厳密な科学的分析を示す側面もありました。たとえば内的必然性なる言葉は、対象の不在を経て、純粋絵画を志向する過程で登場しますが、言葉の意味としては分かりやすい言葉でありながらも、本気で理解しようとすると、実に捉えにくい、形にならない姿が浮かび上がってきます。内的必然性については、別の機会にもう少し詳しく述べてみたいと思います。

抽象絵画の先駆者と呼ばれるカンディンスキーには、いまだ知られていない不可知の部分が存在しています。たとえば、シュルレアリスムの中心にいたアンドレ・ブルトンはパリに移り住んだ晩年のカンディンスキーと親交がありました。それだけではなく、あまり知られていませんが、ブルトンは、カンディンスキーに最大の評価を与えています。ブルトンが晩年に著わした大著『魔術的芸術』にそれを読むことができます。

 さらにいっそう深い闇のなかへと、カンディンスキーのランプは降りていく。「抽象的」という誤解がこれほど行きわたってしまった例はかつてない。

ロシアの民間伝承よりももっと遠くからあらわれ、あの「黒いシベリア」(そこでは極北の悪魔学と、中国の表意文字と、おそらく新石器時代にケルト文化や地中海以前の文化にまで伝播されたであろう「草原の芸術」の基本原理とがまじりあう)を出発点にしたものとして、カンディンスキーの壮麗で野蛮な和音は、厳格なあるいは錯乱的な線描とおなじく、美的活動のコースをひとめぐりしてもどってくる。

(カンディンスキーの作品は)西洋芸術の崩壊を前にした彼の明晰さを示すものにほかならない。・・・カンディンスキーとともに(彼の作品は厳密に言えば魔術的芸術の「枠組」にはおさまりきらないが)描きだされるのは、未来の問題である。(『魔術的芸術』ブルトン・巌谷國士訳)

あまり気づかれていないカンディンスキーの別の側面を、ブルトンはすぐれて直感的に察知しています。シュルレアリスムを幻想絵画とだけ結びつけると、現代美術の抽象的傾向を絶対に認めなかったブルトンが、なぜカンディンスキーの「抽象絵画」を高く評価するのか、理解困難となります。ですから、ブルトンがカンディンスキーに見ているのは、決して二〇世紀的な「抽象絵画」ではないのです。西洋芸術の崩壊の後に現われる「黒いシベリア」、それは過ぎ去った古代ではなく、「未来の問題」であるというブルトンの言葉に、ブルトンが見ていたものがよく示されています。ロシアの民間伝承よりもっと遠くからあらわれる「黒いシベリア」という言葉が持つ響きの内に、カンディンスキーの内的必然性は正確に呼応しているように思われます。内的必然性はありきたりな理解ではなく、正確に厳密に理解される必要のある言葉です。それと、一九三〇年代後半から一九四四年の晩年まで連続して制作された作品群は、それまでの彼の作品からもう一度変化しています。晩期の作品群はあらためて考察する必要があるでしょう。

最初に正常と異常の反転現象から話を始めました。カンディンスキーやシェーンベルクは理性を否定して狂気の世界を求めたわけではありません。しかし芸術において成立していた既存の考え方や形式を破壊する行為は、ある意味で正常な世界からの離脱を意味することになります。グロが書いている精神病者やフロイトのシュレーバー症例では、正常からの離脱がそのまま狂気の世界とつながると同時に、それまで表面には現われてこなかった別の可能性が開きました。繰り返すように二〇世紀の新しい芸術は、このような正常と異常の反転現象を創造力と結びつけて可能性を探求してきたのですが、形式の破壊がそのまま創造的世界とは結びつくことは決してないのです。すでにカンディンスキーはこの問題に早くから気づいていました。そこで提起されたのが「内的必然性」なのですが、これはそのまま利用可能な特効薬ではありません。可能である探求の道を示唆しているだけです。そこから先は未知のままです。「目的地はあるが道はない。私たちが道と呼ぶものは逡巡なのだ」というカフカの言葉があります。


引用及び参考文献

『創造と狂気:精神病理学的判断の歴史』(F・グロ・澤田直、黒川学訳:法政大学出版局)/『シュレーバー症例論』(S・フロイト・金関猛訳:中央公論新社)/『音楽論選』(A・シェーンベルク・上田昭訳:ちくま学芸文庫)/『回想』(W・カンディンスキー・西田秀穂訳:美術出版社)/『魔術的芸術』(A・ブルトン・巌谷國士訳:河出書房新社)/『出会い:書簡・写真・絵画・記録』(シェーンベルク・カンディンスキー・土肥美夫訳:みすず書房)


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