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町パンの歴史、藤乃木と藤の木と藤ノ木とフジノキ
前回からの続き
(前回はこちら)
「ふじのき」がたくさんある!
自宅近所の下井草にある町パン「フジノキ」で、おいしすぎるクリームパンにぶっとんだ私。気になったもので「パン フジノキ」で検索をかけてみたところ、なんと同名のベーカリーが練馬・杉並に数店舗あることを知る。チェーン店なのかと思ったけれど、どの店も読みは同じながら、漢字がちょっとずつ違っているから、それぞれ別の店らしい。とりあえず書き出してみると……。
「フジノキ」下井草
「藤の木」西荻窪(https://twitter.com/fujinokisanbon)
「藤乃木」富士見台
「藤ノ木」上石神井(https://fujinoki.jp/)
「ふじの木」都立家政(http://www.fujinoki.co.jp/)
このうち、都立家政はパティスリーだけど、ほかはベーカリー。ホームページを持っている店もあって、その店の歴史について書かれてはいるけれど、他店とのつながりに関する記述は皆無。これは立ち食いそばの「六文そば」のようなもので、暖簾分けのような形で独立をして、それぞれ別にやってきたということか?
ちなみに上記のあるお店で、店員さんに同名店とのつながりを聞いたことがあるのだけれど、「よく知りません」とのこと。まぁ、従業員ならそうでしょうし、それをアピールして商売的にどれだけメリットがあるかは、町パンとしては微妙ですからね。とはいえ、マニアとしては、そのへんのファミリーツリーを知りたいんですよね~。
「ふじのき」の歴史が明らかに
そんなモヤモヤした気分を抱えていたところ、なんと『B&C』で西荻窪「藤の木」を取材できることに。西荻窪「藤の木」は昭和12年創業の老舗で、現在は3代目が営んでいる。古い話も聞いているはずと勇んで取材に臨んだところ、「ふじのき」の歴史が少し分かったのですよ。以下、流れを書き出します。
「ふじのき」のルーツは、昭和初期に高円寺の青梅街道沿いにあったベーカリー「藤乃木」。西荻窪「藤の木」の初代はそこで修行をして、自分のベーカリーを始めた。上石神井『藤ノ木』は西荻「藤の木」が駅前に出していた売店がルーツで、西荻「藤の木」とは縁戚関係にある。
(下の写真は富士見台「藤乃木」のパン)
高円寺「藤乃木」はその後、野方に移って和菓子店に。戦後、洋菓子販売を始め、パンは作らないようになった。洋菓子と喫茶の店として続いたが平成30年に閉店し、令和元年に都立家政でパティスリーとして復活する。西荻「藤の木」の現店主によると、富士見台、下井草の店は、西荻「藤の木」初代が独立した後に、高円寺「藤乃木」で修行した人が始めた店ではないかとのことだった。
なにげない町パンかと思ったら、意外に面白いつながりが見えてきた。こういう歴史を知ってパンを食べると、また味わいが違うんですよね。まぁ、マニアの身勝手な思い込みというところも、たぶんにはありますが……。
(下井草の店舗と西荻窪の店舗)
個性あるそれぞれの「ふじのき」
さらに面白いのは各店の違い。下井草、富士見台はレトロ感ある昔ながらの佇まいなのですが、西荻、上石神井はバリバリに現役感がある。これは作っているパンがどうこうという話ではなく立地の問題でしょうね。
下井草は前回、書いたように駅から少し離れた街道沿いで、富士見台も駅から離れた商店街沿い。どちらもかつては人通りが多かったけれど、駅前の開発などが進んで、少し寂しさが漂っている。近隣住民のなじみ客がメインなのでしょう。
一方の西荻と上石神井は、昔も今も変わらず人通りが多い商店街。このへんが違いとなってあらわれているんだろうな。ただ、西荻もずっと商売が順調だったわけではなく、近くにあった中島飛行機、日産プリンスの工場がなくなってから客層が変わり、苦労した時期もあったらしい。工場と町パンの関係はとても深いのだけれど、それはまたそのうち書きますね。
なにげない存在だと思っていた町パンでも、調べてみると、なかなか面白い話が潜んでいる。次はもうちょい、深い話を掘ってみます。