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Interview vol.17 福原野乃花さん(映画監督)「強迫症に悩んでいる人の心の拠り所になれば」

第17回は、強迫症の実体験をもとに製作した初長編『悠優の君へ』が11月30日より上映される神戸出身の映画監督、福原野乃花さんです。
 


©️2023『悠優の君へ』製作チーム

■映画館で公開することで、より強迫症のことを知ってもらう


―――『悠優の君へ』は福原さんの初監督作品ですが、既に東京での上映は10月に終わったとのことで、全国公開がはじまった今のお気持ちを、まず聞かせていただけますか?
福原:最初はYoutubeで公開することも考えたのですが、強迫症について知ってもらうことが作った一番の理由だったので、流れてしまう媒体ではなく、映画館で公開し、一つのイベントにすることで、より知ってもらえるのではないかと思いました。また、強迫症で誰にも言えず悩んでいる人にとって、心の拠り所になればという想いもあり、劇場での公開を目指していたんです。今は無事公開できて、ホッとした気持ちもありますし、自分が普段観に行くような映画館で上映してもらえることに嬉しさや感動がいっぱいあります。
 
―――今回映画という媒体を選ばれたわけですが、もともと福原さんは映画がお好きだったんですか?
福原:母がすごく映画好きだったので、六甲アイランドにあった映画館(MOVIX六甲、変遷を経て2024年にROKKO i PARKへ)にアニメ映画を観に行ったり、TSUTAYAでDVDをレンタルして昔の映画も観ていました。特に祖父母も大好きだった寅さんシリーズは定期的に借りて、お正月に観たりもしていましたね。
 
―――光景が浮かんできました。すごくいい家族ですね!
福原:小さいころから映画の中の世界観が好きで、現実では生きづらくても映画やドラマを見ていると落ち着いたり、「この世界が好きだな」と思ったりしていました。
 
―――割と小さいころから、映画は現実とは違う親しみの持てる場所を提供してくれるという感覚があったんですね。
福原:映画自体が好きだと思ったのは高校生ぐらいからですが、小さいころは、意識しなくても常に日常にあるものでしたね。
 


©️2023『悠優の君へ』製作チーム

■7歳から悩み始め、10歳で強迫症と自覚


―――本作はご自身の経験がベースとなっているそうですが、自分が強迫症ではないかと思うまで、結構時間がかかったのですか?
福原:7歳ぐらいから、周りの人が気にせずにスルーしていることを、どうして自分はスルーできないのだろうと悩み始めましたが、それは自分の性格のせいかなとか、自分が人と違うことを考えているのかなと思っていたんです。10歳ぐらいのときにこの悩みがひどくなってしまい、他にも同じような悩みを抱えている人がいるのかを知りたくて、ネットで「小さいことを気にしすぎる」と検索したときに、「不潔恐怖症」とか「●●恐怖症」というワードが出てきて、その内容が自分にすごく当てはまった。強迫症という言葉はまだ知りませんでしたが、自分が悩んでいたのはこれだったのかと思い、はじめて自分は病気だったと知りました。自分が変わり者なのではなく、そういう病気だと思えると気持ちが少し楽にはなったのですが、そこで親を含め、周りに自分の病気のことを言えたかといえば、結局誰にも言えなかったんです。
 
―――ご家族を含め、誰にもそのことを打ち上げられなかったと?
福原:そうですね。周りはわたしに対して「ちょっと気にしすぎ」という認識だったと思います。一方、わたしは恥ずかしくて言えないという気持ちの方が強かったのです。
 
―――思春期に入ると、なおのこといろいろな葛藤を抱えて、辛い思いをされていたのではないですか?
福原:10歳で病気なんだと自覚してからは、不安になっても「これは病気だから、無視して大丈夫」とスルーできるようになり、15歳までは周りの友達と変わらない生活を送れるようになっていました。でも、15歳のときにすごく不安になるきっかけの出来事があり、そこから転がり落ちるように症状が悪化してしまいました。他の人からもわかる行動で言えば、手洗いが止められないとか、お風呂に長時間入るようになったり、消毒作業を長時間するようにもなりました。ちょっと心が弱っているタイミングに悪化しやすいと言われているので、受験のストレスも影響していたと思います。
 


©️2023『悠優の君へ』製作チーム

■普通の高校生のふりをしていた高校時代


―――本作の主人公は高校生ですが、福原さんご自身の高校生活はどのようだったのですか?
福原:10歳のときから、病気のことは誰にも言えない恥ずかしいことだという思いが染み付いていたので、「こういうことが辛い」と言葉にしたくても、声が出てこない。とてつもなく恥ずかしくて怖かったし、次第に病気のことを言おうとすること自体がしんどくなってしまい、伝えようとすることを止めて自分でなんとかしようと決めてしまったんです。だから高校時代は、いかに周りの子と同じように普通の高校生でいられるかを考えて生きていました。卒業したときに、病気のせいで最悪の3年間だったと思うことが怖かったので、普通の高校生らしい思い出を作ろうと、学校では普通の高校生のふりをすることに決めていました。クラスメイトには変わった子だと悟られないようにしていたので、すごく奇妙な感じでした。
 
―――自分のしんどさを隠して、みんなと同じような高校生を演じていたんですね。
福原:楽しいことと辛いことが常にセットにある感じです。友達との楽しい思い出がたくさんある3年間でしたが、裏にはそれを叶えるために過ごした同じだけの時間があった。だから病気の話をするときは「辛い3年間だった」と話すことが多いですが、友達と話しているときは「本当に楽しかったね」と。自分の中ではどちらも本当なので、複雑な気持ちになりますね。
 


©️2023『悠優の君へ』製作チーム

■「普通でいたい」「友達と距離を置いてしまう」自分をキャラクター2人に反映


―――映画を作るにあたり、ご自身の体験を反映させたキャラクターは小谷慈さんが演じる優乃ですね?
福原:優乃はもちろんですが、水崎涼花さんが演じた主人公、悠(はる)とふたりのキャラクターに投影しています。優乃の「普通でいたい」という思いと、悠の「友達といると、どこか壁を感じて孤独になるので、距離を置いてしまう」という思いの両方が当時の自分の中にありました。家族との関係性も描きたかったのですが、今回伝えたかったのは強迫症のことだったので優乃のことをメインにして脚本を考えました。
 
―――強迫症で悩む優乃を主人公にしてしまいがちですが、あえてそうしなかった理由は?
福原:強迫症の人の視点にしてしまうと、その病気ではない人が作品を観たときに、共感できない部分が出てきてわからないことが多くなるのではという懸念がありましたし、強迫症がどれだけ辛いかという話にすることは本意ではなかった。人と人とが出会い、その相手に自分の悩みを打ち明ける、話すということをメインに進めたかったし、それがわたしの伝えたいことでした。強迫症ではない人がご覧になっても、見やすいものをと考え、強迫症の人とは違う視点を持つ人を主人公にしました。
 
―――その狙いがうまく機能していると思います。主人公の悠ですが、いつもお昼代の1000円札がテーブルに置かれているだけで、親子間のコミュニケーションが欠落していることが伺えます。
福原:悠の悩みをどこまで描きこむかは、すごく考えた部分でした。最初はもっと細かく親ともめている様子も入れていたのですが、家族関係で悩んでいる人の状況は本当に各人それぞれあるので、あえてはっきりとは描かなくても、お客さま自身の状況と重ねて共感していただけるのではないかと思いました。また、悠の家族との問題と優乃のことを両方描くと、伝えたいことがゴチャゴチャしてしまう恐れがあり、あえてはっきりとは描かないようにしています。
 
―――毎週月曜日に学校に行きづらくて休んでしまう優乃のことを、クラスメイトは「定休日だから」と言っていましたね。そういう言い方があるの?と驚いたのですが。
福原:わたしが高校生のとき、担任の先生や友達から休んだ次の日に「昨日は定休日だね」と実際に言われていたんです。本当は言われるのが辛かったし、休んでいても実際は地獄みたいな時間を過ごしていて、決してふざけて休んだわけではなかったですから。でもヘンな奴とか、重たい奴と思われるのが怖かったので、わたしもあえてふざけた感じで「そうそう、ちょっとしんどかった」とか、「ちょっと寝坊した」と言ってごまかしていました。担任の先生に欠席の連絡をしても、電話の向こうで「また仮病だと思われているんだろうな」と感じていたし、サボりがちな奴と思われるしかないと自分の中で思っていたんです。
 
―――本作では、“定休日”に学校に行けず、公園のベンチでうずくまっている優乃に、遅刻して公園を歩いていた悠が気づき、声をかけます。ふたりが初めてしゃべるシーンですね。
福原:学校に遅刻して行く時間帯では、街中がすでに動き出しているんです。人はあまりいないけれど、ちょっとのどかな時間が流れている。そういう中で、自分と同じように遅刻をしている人がいたら、すごく心強いだろうなと思っていました。実際、わたしが遅れた時間に通学のため電車に乗っているとき、違う制服の高校生を見つけると、ちょっと心強かったんですよ。
 
―――その後、仲良くなった悠と優乃は、平日の昼間に舞子まで海を見に行きます。平日の人が少ない昼間の海は、きれいですよね。
福原:そうなんです。学校には行けないのだけど、平日のゆったりした時間が流れる海はきれいだなと思っていたので、ふたりがじっくりと話をする場所にしています。
 
―――海を見に行ったのも実体験ですか?
福原:海までは行かなかったんです。学校近くの公園で、学校に行かなければと思いながらしばらく立ち止まって結局家に戻ったり、駅のベンチに座り、自分を励ますためにコンビニで買ったお菓子を食べたりすることはありました。当時、海に行くことができていたらなと思って入れたシーンです。結局、誰にも自分の病気のことを告げないまま、高校を卒業しました。
 

©️2023『悠優の君へ』製作チーム

■強迫症についてはじめて人に話し、気づいた同じ症状の人たちのこと


―――そのまま大阪芸術大学短期大学部に進学されますが、通学はやはり難しかった?
福原:ちょうど新型コロナで前期はオンライン授業だったので、わたしとしては家から出なくて済むということでちょうど良かったのですが、後期から対面授業になりました。家にいる時間が長くなったことで、今度は家から出かけるハードルが高くなってしまった。家を出るにあたりやらなければいけない作業、例えばお風呂に4時間入るなどをしてから大学に行くので、結局高校と同じように遅刻を繰り返すようになりました。最初は心配してくれていた友達も、3回目ぐらいになると「またか」と思われてしまい、高校時代と同じ状況になってしまったので、どうにかしなくてはと思う一方、どうすればいいかわからないまま1回生が終わってしまいました。2回生後期の卒業制作が始まったころに、自分の将来を考えたとき、社会人で遅刻を繰り返すわけにはいかないし、ずっと自分をごまかし、周りに嘘をついて生きていくことがすごく怖くなったんです。今変えなければダメだと強く思い、自分一人ではどうにもできないとようやく認めたのが20歳のときでした。初めて大学の相談室の先生に話を聞いてもらい、病院を紹介していただいて、ようやく自分の強迫症について少しずつ人に話せるようになってきたのです。
 
―――ようやく人に伝えることによって、逆に福原さんと同じ症状に苦しんでいる人が多いことにも気づくことになったのでは?
福原:そうなんです。ネットを見て、強迫症の人がたくさんいらっしゃることをわかってはいたけれど、本当にそうなのかと疑っていました。でも、SNSで自分のことを話しはじめてから、自分もそうだという人とお話する機会がすごく増えて、実際にたくさんいらっしゃる方を実感しました。また、私が通院している病院は強迫症の治療に特化しているので、待合室で同じ症状の方が何人もいらっしゃいます。自分がまわりに話したり通院することで、強迫症で悩む人がこんなにたくさんいらっしゃるんだとわかるようになりました。
 


©️2023『悠優の君へ』製作チーム

■同級生、水崎涼花さんに誘われての脚本作りと映画化まで


―――本作を作り始めたのはいつ頃ですか?
福原:短大卒業から1年ぐらい経ったころです。同級生は4年生大学に編入している人が多かったので、一緒に映画を作らないと声をかけて、参加してもらいました。
 
―――なるほど、福原さんはご自身で脚本を書いていますが、すんなりと進みましたか?
福原:最初は小説風に書いていたのですが、主演の水崎さんがシナリオコンクールのことを教えてくれて「一緒にやらない」と誘ってくれたので映画の脚本に変更しました。映画を撮るなら、高校時代の話にしたいと思い、当時のことを思い出しつつ、ただ苦しかったことを伝えるだけにはならないようにと考えて進めていきました。病院に通う以外は何もしていない時期で、毎日生きているのが辛いなと思っていたので、脚本を書くのが唯一やりたいことだったし、夜眠れないときに夢中になって書いていました。どんな話にしようかなと楽しみながら書いていたんです。
 
―――脚本を書くのが、当時の生きる支えだったんですね。水崎さんは元町映画館のアルバイトスタッフをしてくださった時期があり、映画館とも縁が深いのですが、福原さんとは古くからのお友達ですか?
福原:高校時代同じクラブで、水崎さんはバスケ部員、わたしはバスケ部のマネージャーでした。卒業後も会ったり、メッセージのやり取りをしていたんです。短大を卒業し、病院に通い始めるまでの間に、どうしても高校時代の部活のメンバーには、直接一人ずつと会って自分の本当のことを話したいと思い、その時期に水崎さんに当時のわたしの悩みを伝えました。当時水崎さんも少しずつ俳優活動をされていて、わたしが毎日どう過ごせばいいのかわからないと話をしていたときに、彼女が演技の参考になればと興味を持っていたシナリオコンクールのことを教えてくれ、お互いに書いたものを見せ合ったりしながら、応募しようと思っていました。でも、次第にこの脚本を形にしたいという気持ちが強まり、「自分たちでも映画が撮れるんじゃないかな」とふたりで話し、そこからは映画を自分たちで撮ることを前提で脚本を書いていきました。
 
―――その流れだと水崎さんが主演なのは自然なことだったんですね。
福原:脚本が完成した時点で、もしよければ主演をやってほしいと水崎さんにお願いして快諾してもらいました。そこから、大学時代にゼミでお世話になった三原光尋監督に脚本を見ていただいたんです。当時はほとんど学校に行けなかったので、卒業後に脚本を書いたと連絡をしたらすごく喜んでくださり、「よく書けているし、話の内容もすごくいい。映像にするのにいいと思う」と脚本を褒めてくださったので、映画を撮る後押しになりました。技術的に足りない部分はアドバイスをたくさんくださり、本当に感謝しています。
 
―――もう一人の主演で、強迫症の当事者である優乃役を演じる人を探すのは難しかったのでは?
福原:病気のことを演じてもらうのであまり簡単にお願いできないし、どうしようかと水崎さんに相談したところ、彼女が当時通っていた演技レッスンにすごく明るいけど、少し悩みを抱えているような優乃にぴったりの人がいると勧めてくれたのが小谷慈さんでした。小谷さんとお会いして、企画書を見せながら強迫症を抱えた人の役なので、もしお願いできるならとお伝えしたところ、「ぜひやらせてください」とその場で言ってくださいました。そこからはふたりで会い、病気のことを詳しく説明したり、病気に関する本を読んでいただき、勉強を重ねた上で演じてくださいました。
 


©️2023『悠優の君へ』製作チーム

■過去の自分と対話「自分のペースでゆっくり生きて」


―――シンプルですが、とても説得力のある友情物語です。実際に初監督作を撮ってみて、いかがでしたか。
福原:脚本を書いているときから、自分との対話を重ねていました。高校生のときの自分が本当は言いたかったことや、当時こうできたらと思ったことを脚本に書いたので、当時の自分が報われたり、救われた気持ちにもなったし、似たような経験のある人が、この映画を観て、誰にも知られなかった自分の頑張った時間を肯定できるようになるのではないかと思っています。
 
―――今は学校に行きたくても行けない人が本当に増えているので、そういう子どもたちの気持ちに触れることができる作品ですね。
福原:病気に限らず、本当は行きたくないけど頑張って行くとか、周りと同じようにできるように自分も頑張らなくちゃと思っている人がたくさんいると思うのです。そういうみなさんに観てもらえたら嬉しいですね。
 
―――映画を作る上で資金を集めるのがすごく大変なのですが、本作はクラウドファンディングを成功させ、多くの方からのご支援が寄せられていますね。
福原:クラウドファンディングは資金を集めるのが一番の理由ではありましたが、それだけでなく、クラファンのページが強迫症を知ってもらう目印になればという気持ちがありました。高校時代の部活の友達や、当時あまりしゃべったことのない人もクラウドファンディングに参加してくれたり、SNSで知ったという同じ病気の方たちが応援してくださり、多くの人にページを見ていただけて、すごくありがたかったです。
 

撮影中の福原野乃花監督


―――タイトルも「負けないで!」的なものではなく、広く深い問いかけのような美しいものですが、『悠優の君へ』について教えてください。
福原:最後に「ゆったりと優しく生きるあなたへ」というナレーションがあるのですが、「悠」はゆったりという意味合いがあります。強迫症の人は優しすぎて、その症状を抱えてしまう傾向もありますので、「自分のペースで、人に優しく生きているあなたに届きますように」という気持ちを込めています。わたし自身が病気のことを話すまでは、みんなのペースに合わせるように生きてきましたが、自分のペースで歩けるようになってからはすごく楽になったので、みんな自分のペースで生きてほしいですね。そして、病気のことを打ち明けたとき、すごく優しく話を聞いてくれた友達の名前から一文字、優乃の名前にはわたしの名前から一文字を入れて名前をつけたりもしました。
 
―――今はいろいろなことが猛スピードで過ぎ去っていく時代で、効率を競ってどんどんAIに取って代わられ、「ゆっくり」していられない気持ちになりがちですが、自分のペースで生きるというのは大事なことですね。
福原:わたしは昔から何をするのにもゆっくりだったので、親や周りの友達から「もっと早く」と注意されていたので、小さいころから「早くしなきゃ」とか「みんなに追いつかなきゃ」と焦って生きてきました。でも20歳を過ぎたころから、「みんなに追いつかなくてもいいんだ」とようやく思えるようになりました。
 
―――若くしてそのことに気づいたのが素晴らしいですね。ところで小さい規模の自主制作映画に映画祭受賞などがない中配給がつくのは珍しいですが、本作はミカタ・エンタテインメントが配給していますね。
福原:自分がどう動いたら劇場で映画を上映してもらえるかの知識が全然わからなかったのですが、調べるうちに配給会社があり、そこが劇場にブッキングをして映画が上映されていることを知り、配給会社に連絡をしたらいいのかと思ったんです。それに先立ち、映画のことを少しても知ってもらおうと、SNSで予告編を流し、最後に「映画館での上映を目指しています」と入れていたのをミカタ・エンタテインメントさんが見つけてくださり、XのDMから連絡を下さいました。劇場でやるか、自主上映会などの非劇場でやるかですごく迷ったのですが、全国的に上映できれば、より強迫症のことを知ってもらう機会になるし、上映会のみだと観たくても観ることができない人がいらっしゃるかもしれないと思い、劇場公開を選びました。
 
―――神戸の人は一目でわかる地元スポットも多数あり、地元の映画館として、新しい映画監督の誕生を応援したい気持ちでいっぱいなのです。神戸での上映がいよいよですね。
福原:劇場公開が決まってから神戸では絶対に上映をしたかったので、ようやく観てもらえる場所が作れて嬉しいですし、「神戸ではいつやるの」とのお声をたくさんいただいていたので、ようやく神戸のみなさんに観ていただけるなとホッとしています。神戸で育ったわたしが、好きな神戸の景色を詰め込んでいるので、ぜひ観にきていただきたいです。神戸の高校生のみなさんにも、この作品をきっかけに映画館に来てもらい、「映画館で映画を観るのもいいな」と思ってもらいたいですね。
 
(2024年11月5日収録)
 

<福原野乃花さんプロフィール>


2001年生まれ。神戸市立葺合高校卒業後、2020年大阪芸術大学短期大学部に入学。メディア・芸術学科の映像コースで映像制作について学ぶ。
大学を卒業した2022年5月、初めて強迫性障害に関する受診のために通院し、6月より治療を開始。同時期に強迫性障害に関する発信も始める。同年9月に本作を企画。2023年にクラウドファンディングを募り、映画を完成させた。

Text 江口由美

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