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Interview vol.14小森はるかさん(映像作家)「双方向のケアがある現場でした」

第14回は、8月31日より『ラジオ下神⽩ーあのとき あのまちの⾳楽から いまここへ』が公開される映像作家、小森はるかさんです。
 
※「ラジオ下神⽩ あのときあのまちの⾳楽からいまここへ」とは
福島県いわき市にある県営復興団地・下神⽩(しもかじろ)団地を舞台に展開される、⾳楽と対話を⼿掛かりにしたコミュニティプロジェクト。住⺠が住んでいたかつてのまちの記憶を、馴染深い⾳楽とともに収録するラジオ番組を制作し、それらをラジオCDとして住⺠限定に配布・リリース。この⾏為を軸に、⽴場の異なる住⺠間、ふるさととの交通を試みている。「復興」というキーワードからすり抜ける⼀⼈ひとりの「わたし」との出会いを交わすために、継続している。(公式プレスより)


■人の声は内容以上のことを伝えてくれる


―――コロナ禍の2021年に公開された前作『二重のまち/交代地のうたを編む』では、共同監督の瀬尾夏美さんと舞子高校の環境防災科のみなさんによるオンライントークセッションにご登壇いただきました。
2020年公開の『空に聞く』も東日本大震災の後「陸前高田災害FM」のパーソナリティを務めた阿部裕美さんの活動に迫るドキュメンタリーでしたが、本作も「声の力」を感じずにはいられません。
小森:わたしも声に魅力を感じて、「この人を撮りたい」と思うことが多いです。ラジオというメディオは割と好きでしたが、特に東日本大震災後、いろいろな人の話を聞かせてもらうようになってから、話してくださる内容はもちろんのこと、人の声はそれ以上のことを伝えてくれると感動することが多く、徐々に声の力が作品の重要な部分を占めるようになっていきました。
 
―――小森さんは、今までは現地で住みながら撮影した自らの企画作品を手がけてきましたが、今回は初の依頼作品ということでオファーの経緯を教えてもらえますか?
小森:2016年から「ラジオ下神⽩」プロジェクトがスタートし、チームのひとりで、編集者の川村庸⼦さん(2017年から2019年までのラジオ下神⽩の歩みや番組を全収録した※冊子「ラジオ下神⽩ーあのとき あのまちの⾳楽から いまここへ 2017-2019」を編集)が、文字だけでは表現しきれないものがあるので、映像による記録を提案されたのですが、提案時に「小森さんなら下神⽩団地に一緒に入っていって映像を撮れるんじゃないか」とわたしのことを想定して話を進めてくださり、映像化が決まったときにこちらへすぐ声をかけてくださいました。
※以下サイトよりPDFダウンロードでご覧いただけます。
https://tarl.jp/archive/2019_astt_shimokajiro/
 

©️Komori Haruka +Radio Shimo-Kajiro

■福島に関わるきっかけをもらえた「ラジオ下神⽩」プロジェクト


―――なるほど。「ラジオ下神⽩」プロジェクトのことを聞いたときの感想は?
小森:初長編の『息の跡』をご覧になっていた川村さんが、わたしに下神⽩を撮ってほしいからと「ラジオ下神⽩」プロジェクトに繋げてくださったのも新鮮でしたし、わたしにとって福島は近いけれど行きにくい場所だったんです。「行かなくちゃ」と思うのですが、どうしても今まで住みながら取材をし、映像を撮ってきた陸前高田に重点を置いてきたので、福島で東日本大震災や原発事故の後に避難された方が、その後どのように暮らしていらっしゃるかを知ることができなかった。ですから、わたしが福島に関わるきっかけをいただけたことが純粋にうれしかったです。
 
―――映画の中で、住⺠のみなさんの思い出の曲を演奏するために結成された伴奏型⽀援バンドのメンバーの方からも、小森さんと同じような声が上がっていましたね。
小森:その方はボランティアとして福島で活動をされていたことがあるのですが、被災者のみなさんのための支援になっているという実感が得られず、やりきれない思いがあったとおっしゃっていました。
 
―――陸前高田と福島の下神白では、住民のみなさんの様子を含め、何か違いを感じましたか?
小森:全然違いましたね。陸前高田はかさ上げ工事をし、風景は全く変わってしまいましたが、その土地に同じように同じ人たちが暮らしているという圧倒的な変わらなさはあるんです。一方、下神白団地には浪江町、双葉町、⼤熊町、富岡町の4つの町から避難されている方が住んでおられます。また同じ町でも町内会でまとまってきているというわけでもない。さらにご高齢の方が優先的に入居した団地なので、必然的に若い方が少ない状況です。隣にはいわき市から避難された方が入居している団地もありますし、つながりを作りたくても非常に難しいという状況からスタートしているのです。
 

©️Komori Haruka +Radio Shimo-Kajiro

■プロジェクトメンバーのひとりとして受け入れてもらう撮影


―――確かに、全く状況が違いますね。小森さんが加わったのは、「ラジオ下神⽩」プロジェクトが軌道に乗った後だそうですが、撮影はいかがでしたか?

小森:入居者のご自宅に伺い、インタビューやラジオ収録をされていることは聞いていたので、わたしも現地に行くまでは、そこでカメラを回して被写体の方に驚かれないかとドキドキしていたのですが、本プロジェクトの発起人である文化活動家のアサダワタルさんと横並びに座り、「メンバーの中で、カメラを持ってきた人がいたんだな」という感じで、メンバーと同じように迎え入れてもらえたので、自分がそれ以上に相手と関係性を築こうとしなくてもいいし、このままここにいて、ただ撮ればいいのだと。最初に現地入りした日から、わたしの役割はハッキリしていたので、アサダさんの隣で、撮れることを撮る。それに専念していました。
 
―――今までは、小森さんご自身で関係性を築きながら、撮影をされてこられたわけで、その違いは大きいですね。ある意味そこがやりがいでもあるわけですが。
小森:カメラがあるから下神⽩の住民のみなさんがパフォーマティブになるということは全くなかったですし、映画を作る人という捉え方はされていなかったと思います。記録をする人として撮影しているわたしを放っておいてくださったし、カメラを迎え入れてくださっていましたね。
 
―――アサダさんたちが「またね」とお別れして、必ず再訪されているので、住民のみなさんも、本当に楽しそうですよね。
小森:みなさん、本当に楽しみに待ってくださっていて、行く先々でご馳走になるんです。1日4件ぐらい訪問するので、終わったらお腹がいっぱいになっていて(笑)
 

©️Komori Haruka +Radio Shimo-Kajiro

■住民の方同士が直接会わなくても横のつながりが生まれる「ラジオ下神⽩」


―――そこまでの関係性がしっかりと築けていることは映画からもヒシヒシと伝わってきます。ちなみになぜこのプロジェクトが下神⽩で行われることになったのでしょうか?
小森:アーツカウンシル東京による「東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業」の一環として行っているプロジェクトで、アサダさんがプロジェクトに入る前から、別のアーティストの方が下神⽩団地のコミュニティ支援で携わっておられました。当時はイベント開催を主とした支援だったのですが、参加される方が固定されてしまうとか、ご高齢であったり、精神的な事情からイベントを通じて交流しようという気持ちになれないという方がたくさんいらっしゃるという課題を抱えていたそうです。アーツカウンシルの担当者からアサダさんにプロジェクトの相談が寄せられ、住民の方に外に出てきてもらうのではなく、こちらが出向いていき、住民の方同士が直接会わなくても横のつながりが生まれていくようなラジオプロジェクトが生まれたと聞いています。
 
―――投書箱があるのも懐かしいですし、ラジオをCDにして配っておられるので、いつでも好きな時に聞くことができますね。昔はみんなが口ずさむ国民的大ヒット曲がありましたし、そこをきっかけに思い出を語ってもらうというのが、すごくいいですね。アサダさんらが住民の方を被災者として扱うのではなく、その人の人生に興味を持って、お話を聞いておられる姿が印象的でした。
小森:シンプルに「震災前のことを話してください」とか「以前はどんな暮らしをしていたんですか」という問いかけをすると、かつての町の楽しかった思い出やそこへの想いが出てくると思うのですが、音楽をきっかけに話を伺うと、苦しかったときのことも話してくださるんですよ。自分が立ち直れないときにあった音楽とともに戦後混乱期のエピソードや、農家に嫁いでの苦労話、失恋話などが語られたとき、現在の暮らしと“乗り越え方”がつながっていく。どうしても震災前の美しい記憶が大事だと思い込んでしまう部分がわたしの中にもあったのですが、確かに昔だって辛いことはたくさんあり、過去に戻りたくない気持ちもあるわけです。そういう過去の痛みを聞かせてもらえたのは、被災した経験だけを聞くスタンスではなかったからこそ語られた話ですし、そういう歌にまつわる思い出話を聞かれる経験自体がそれまでの人生でなかったと思います。きっと、今まで語ったことのないようなお話がいっぱい出てきたでしょうし、だからこそ「ラジオ下神⽩」メンバーが受け入れてもらえたのだと思います。
 
―――後半のクリスマス会による歌声喫茶では、昭和歌謡の名曲が次々と登場しますね。
小森:結構知っている曲もあったのですが「青い山脈」(藤山一郎)や「宗右衛門町ブルース」(平和勝次とダークホース)は知らなかったです。ただ「青い山脈」はバンドの練習風景を撮影中、何度もテーマ曲のように聞いたので、今はもう歌えるぐらいです。昭和歌謡はずっと古びない歌詞とメロディーが魅力的ですよね。他の人と思い出を共有できるような歌を自分は持っていないなとか、その時代にしかないものも見えたりしました。今も人気アーティストはいますが、共通体験とまではいかない気がします。
 
―――作品の中でのラジオ音声の使い方がすごくいいですね。冒頭、下神白団地の周辺を静かに切り取っていきながら、そこにラジオ下神⽩でのパーソナリティの語りが入っていって、ラジオのある日常という感じがしっくりきました。
小森:ラジオの音声とわかっていただいて嬉しいです!アサダさんの語りはラジオっぽいですよね。聞いているだけで胸に沁みてくるようなメッセージもいいんです。
 
―――ラジオの収録や編集作業などは撮影したのですか?
小森:わたしがプロジェクトに加わったころというのは、今まで団地内でやってきた活動をどのようにして開いていくかについて考えはじめていた段階で、その一つが伴走型支援バンドの結成でした。これまでのメンバー以外の人を下神⽩に招き入れることを始めていたんです。なので、ラジオの収録や編集作業などの撮影は少なかったですね。その代わりにバンドメンバーのスタジオでの練習を撮影しに東京へ行っていました。その活動を追うことからスタートするという撮影のタイミングも良かったですし、この場にカメラが入るのは、バンドメンバーが加わるのと同じように、団地外へ開いていく手段の一つとして現場で機能していたのかなと思います。
 
―――クリスマス会の当日は、本当に多くの住民のみなさんが参加されていて、丁寧に地域の方や、代表者の方とコミュニケーションを取りながら進めてこられたのでしょうね。
小森:ラジオ下神⽩がやっていることやCDを配っている目的が、住民の方々にだんだん認知されてきていたと思います。地元のテレビ局からラジオ下神⽩が取材を受けて紹介されることもあり、それも喜んでいただいていたというか、取り組みへの理解がより深まったようです。クリスマス会当日は、本当にみなさんが楽しみに待っていてくださった気持ちが伝わってきました。
 
―――伴走型支援バンドのメンバーのみなさんは、ただ演奏の練習をするだけではなく、バンドリーダーのアサダさんの意向で、歌う方のお話を聞きに下神白団地へ訪れておられたのが、すごく大事だなと思って拝見していました。撮影していて、感じたことは?
小森:自分ひとりでは行きたくても行けなかった場所へ、一方的に何かをしてあげるとか、演奏を聞かせるという役割ではなく、町の人が歌うのを支えるケアとしての演奏をしに行っているんですよね。
 

©️Komori Haruka +Radio Shimo-Kajiro

■ケアのある現場


―――「ケア」という言葉は、この活動のキーワードになる気がします。ケアもする方と、ケアをされる方とで立場は違うものの、お互いに作用しあっているのではないかと。
小森:すごくケアについて考える現場だったと思います。伴走型支援バンドのみなさんが、歌う方のお話を聞いた上で演奏できるというのは、演奏者にとっても嬉しいことだったと思います。その方の好きな歌を一度だけ歌ってもらうために、団地を訪問して出会って、聞いた話を思い出しながら、何度も集まって伴奏の練習をし、本番に備えるというのは、なかなかないことだろうな、というか。思いを馳せること自体がバンドメンバーにとって特別な演奏だったと思うし、ケアする側も癒されていくプロセスを歩んでいました。そういうケアの形があるんだということに気づかせていただきました。
 
―――伴奏の練習はもちろん、曲順を考えたり、歌詞を大きく紙に書いたりと、初対面同士のみなさんがさまざまな準備を一緒にやり、どれだけ準備を重ねたかも本番を見るとよくわかりますね。
小森:歌詞カードの作り方や、演奏をするときにも歌う方のリズムに合わせるためには、このメロディーが必要だとアサダさんがアレンジされたり、そういう発想の生まれてくる現場を見ていて、本当にワクワクしました。バンドメンバー同士もケアしあっているんです。演奏のパート分けでも「ここはわたしが担当しますね」と率先して声をかけたり、「君といつまでも」(加山雄三)の間奏部分のセリフを人知れず書いて準備しているメンバーがいて、本番でさっとそれを出して歌う方のサポートをしたり、他の人が考えつかないことをやってくださる人がいたり、挙げればきりがないぐらい、細かいケアの仕方をみなさんが考えていたと思います。
 

下神白団地の上映会で挨拶をするアサダワタルさんと小森はるかさん

■コロナ禍で編集作業を本格化し、見えてきたことは?


―――2019年12月にクリスマス会が行われ、2020年になるとコロナ禍でリアルの交流ができなくなり、小森さんの撮影もできなくなっていくわけですが、編集の時期はコロナに関係なく2020年にやろうと思っていたのですか?
小森:報告会の際に10分ぐらいの映像を見てもらったり、50分のものを見てもらったりと、コロナ以前にも編集作業はしていたのですが、まとまったものをどの段階で作るのかは自分でも決めきれていなかった。ただクリスマス会はラジオ下神白としての集大成だろうとコロナ前から思っていたので、ある程度大事なものは撮れているだろうとは思っていました。
 一方、アサダさんたちのプロジェクトはどう展開していくのか未知数なので、また新しいことが始まるのではないかという気持ちもありましたし、ラジオ下神白がどのように歩んでいくかによって、映画の終わりは見えるだろうと思っていたときに襲ってきたのがコロナでした。だから、大丈夫だという気持ちと、自分は今までちゃんと撮れていたのかという不安のある中、現地に行けないなら手を動かそうという気持ちで編集を始めました。編集にはラジオ下神白メンバーも付き合ってくれ、とても長い5時間版を観てもらって意見をいただいたり、かと思えば40分ぐらいに短くなったり、どの尺で見せるかも迷いに迷いながら、かなり再編集しました。
 
―――かなりの振り幅ですね(笑)逆に言えば、尺についてもしかり、編集はおまかせだったと?
小森:自由でしたね。住民の中で「この人を出してほしい」と言われることもなく、わたしが好きな場面を優先させてもらいました。
 
―――コロナ禍に編集をしたことで小森さんご自身が癒されたそうで、これも一つのケアですね。
小森:わたしは撮影者というよりは一緒に通っていた一人だったので、住民の方からすれば毎月会いに来てくれていた人が急に来なくなって寂しいことだと思ったし、申し訳ない気持ちになりました。でも映像を見ていると、コロナまで会いに行けていた頃がこんなに素晴らしい時間だったことを実感しましたし、今は行けなくてもお互いに忘れず覚えていられるぐらいの出来事が起きていたことを再確認した気がします。アサダさんたちはケアの現場に関わる仕事もよくされているので、いつ会えなくなるかわからないという覚悟を持って関わってこられたと思うのです。ご高齢の方が多いとか、家族関係が変わっていくことも含めて、それらをきちんと受け止めておられる。そこもわたしにとって学びになりました。
 
―――確かに取材を受けたみなさんにも離れて暮らすご家族がいらっしゃるはずですが、そこを取り上げず、取材者個人にフォーカスしていましたね。
小森:団地外で撮影をしたこともありました。例えば元船乗りの清さんが団地から入居された老人ホームに訪問したときの映像素材もあったのですが、最終的に下神白団地で撮影したものだけに集約しましたし、ひとりで団地に行って取材をすることもなかったです。もっと客観的に、支援している側にカメラを向けるとか、支援をしていない団地の時間を撮ることもできましたが、それは一線を超えている気がしました。今回はチームで作っている良さがあるので、そこを大事にしながら何を撮り、何を撮らないかを決めていきました。
 
―――歌謡曲ではない、実際に起きた出来事を伝承するような歌も、冒頭で使われていましたね。すごい歌を聞いたなと戦慄を覚えたのですが。
小森:「天国に結ぶ恋」という歌なのですが、歌われた方は日頃はあまり歌われない方だったのです。アサダさんたちがいなければ多分歌わなかったと思いますが、一度歌ってくださったとき、その声に感動してしまった。一番高齢の女性で、どこから聞こえてくるかわからないような歌声で心中したことが歌われていますが、どうしても映画で聞いていただきたくて冒頭に入れさせていただきました。
 

©️Komori Haruka +Radio Shimo-Kajiro

■「ラジオ下神⽩」プロジェクトメンバーで自主配給


―――この映画自体が、まさに観客をケアしてくれるような感じがします。今回初の依頼作品を制作してみての感想は?
小森:期待されたことに対して応えられているかはわかりませんが、自分もプロジェクトのメンバーとして撮ることができたのが楽しかったです。映像の専門ではない人たちの中にカメラを入れることや、どう記録していくかを一緒に考えていけた。丸投げの依頼ではなく、一緒に悩みながら撮ることができました。配給も自主配給で同じ「ラジオ下神⽩」プロジェクトメンバーで行っているんですよ。
 
―――自主配給ははじめてですか?
小森:はじめてです。自主配給に挑戦できたことで、自分の映画の作り方や考え方もすごく変わってきているし、そういう意味でもいい経験になっています。
 
―――具体的にどう考え方が変わってきたのでしょうか?
小森:そもそも劇場公開ありきではなく、自主上映会をやり、この作品を観たい人に責任をもって届けるところまでやろうと貸し出しフォームやチラシを作っていくうちに、それを観たいと思ってくださる方がとてもたくさんいらっしゃり、観た方の反応が具体的にたくさんフィードバックされてきた結果、劇場公開につながっていきました。上映の度に受け取られ方が変わるというのは今までの作品でも経験してきましたが、『ラジオ下神⽩』は観た人たちによって映画になっていくという動かされ方をしているんです。自主上映会から劇場公開という流れは、非常に珍しいですよね。
 
―――通常は劇場公開が終わってから、自主上映会という流れなので逆パターンですね。上映とともに歌声喫茶とか様々なコラボレーションをされています。
小森:自主上映会を開催してくださる主催者も、今までは映画館のない地域で自主上映会をやってきた方たちによるものが多かったのですが、上映会自体をするのが初めての方や、病院・医療や福祉関係の方が招いてくださったり、呼ばれる先もこんなに幅広いんだというところも今までとは違いますね。
 
―――映画館は様々な属性の方がご覧になりますが、医療関係や福祉関係などある程度問題意識が共有されている場所での上映となると、そちらの視点からの感想が多くなる気がしますね。
小森:そうですね。福島のいわき市での上映会では支援者として現在も現場に関わっている人たちが参加してくれていて、上映後の座談会では支援者目線で、福島での支援のあり方や葛藤について意見交換するような時間が持てたりして、とても有意義な時間でした。他の地域でも映画とセットでワークショップを開いてくれることがあって、何か日頃抱えている問題と接続して話せることが生まれる映画なんじゃないかなと思いました。能登地震が起きた後、二次避難先となっている金沢で、早すぎるかもしれないけれど今後のコミュニティー支援のあり方を考えたいと、すぐに上映会を開いてくださった方もいます。そうやって運ばれていく映画なのだと実感しました。観てくれる人が使い方を発見してくださって成長している映画だと思います。
 
―――お話を伺っていると、観たいと思われる方それぞれが、そこから自分に必要なケアの要素を掴み取っている気がします。あとは音楽から引き出されるその人の人生であったり。
小森:上映会や映画館でも、結構歌ってくださり、体を揺らしてくださったりして、そんな経験は初めてだし、音楽の力ってすごいと思います。映画館の場自体を変える力がある。山形ドキュメンタリー映画祭で上映したときも野外上映なのに雨が降り出してしまい、夜で寒かったのに、お客さんが傘をさしながら最後まで観てくれたのは心に残っています。音楽があったから、体を揺らしながら観てくれたのだろうし、通りすがりの高校生も立ち止まって観てくれたりしました。
 
―――冊子を作ったりCDを作って届けたりと、様々なステップで届け方を広げてきたプロジェクトですが、やはり映画の力って大きいですね。
小森:映画館で上映できると思っていなかったですが、やはり映画館でないと見えてこない部分もあります。実際、下神⽩の風景を撮るのは難しかったんですよ。
 

©️Komori Haruka +Radio Shimo-Kajiro

■注目してほしい“いわきの空”


―――地元の山を背景にして、震災後に建てられた新しい復興団地が並んでいましたね。そこを丁寧に撮っておられ、空を飛ぶ鳥たちも印象的でした。
小森:やはり“いわきの空の色”があるんです。あの色にすごく助けられたと思います。いわきから新潟に避難した高校生の女の子が、長岡市での上映会に観てくれたのですが、「いわきの空だ」と言ってくれたのが印象に残っています。その子は4歳で震災を経験していて、彼女にとっては数年しかいられなかった故郷ですが、あの空の色をずっと大切なものとして覚えていると思ったし、それが腑に落ちるというか。わたしもすごくいい色だなって思っています。ポスターにも入っていますが、ぜひ注目してください。
 
―――優しい色合いですね。団地と馴染んでいるというか。
小森:避難していわきに住み始めた方も、あの空に癒されているでしょうし、団地の光が暖かく思えるのは、あの空だからでしょうね。いつ行っても晴れていました。東北のハワイと言われていますから。
 
―――そうですね!『フラガール』の舞台になった常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)があるところですから。ところで今は新潟にお住まいだとか?
小森:『阿賀に生きる』に感銘を受けて、阿賀に行って映画を作った人たちの話を聞きたいと思い、仙台からしばらく新潟に通っていたのですが、そのうちこの方を撮りたいと、思う人にカメラを向けるようになりました。今は阿賀野川の近くに住みながら、次回作の準備をしているところです。
 
―――東北を巡りながら日本海に辿り着かれたんですね。次回作も楽しみにしております!
小森:こちらこそ、元町映画館にはじめて伺えるのを楽しみにしています!(公開初日の8月31日にアサダワタルさんと舞台挨拶を開催)
 
※旧作上映情報:シネ・ヌーヴォでは『ラジオ下神白』公開を記念し、『息の跡』を8月31日より上映する。
 
(2024年7月10日収録)
 

<小森はるかさんプロフィール>


映像作家
1989年静岡⽣まれ。瀬尾夏美(画家・作家)とのアートユニットやNOOK(のおく)のメンバーとしても活動。2011年以降、岩⼿県陸前⾼⽥市や東北各地で、⼈々の語りと⾵景の記録から作品制作を続ける。現在は新潟在住。
代表作に『息の跡』(2016)、『空に聞く』(2018)。⼩森はるか+瀬尾夏美として2014年に『波のした、⼟のうえ』を制作、2019年に発表した『⼆重のまち/交代地のうたを編む』は、シェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭コンペティション部⾨特別賞、令和3年度⽂化庁映画賞⽂化記録映画優秀賞を受賞。
http://komori-seo.main.jp

Text江口由美


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