Interview vol.16 志子田勇さん(映画監督)「神戸で体感した枠組みを外す面白さと、小さい物語の大切さ」
第16回は、最新ドキュメンタリー映画『旅する身体』と、この1月に公開し大好評だった『映画の朝ごはん』が11月2日より1週間限定で同時上映される神戸在住の映画監督、志子田勇さんです。
―――1月の上映時はコラボ企画として映画館近隣の店舗、アンニョンさん、米どころみのりさん、カフェクリュさんでそれぞれのおにぎり(アンニョンさんはキンパ)弁当を作っていただき、お客さまからも大好評でした。志子田さんには試食もしていただきましたね。
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志子田:お米の味を大事にされている方たちのお店で、どれも独自性があり、すごく美味しくいただきました。
■お客さまにポパイを届けているという気持ちになれた1月の上映
―――1週間限定上映で、連日舞台挨拶にも来てくださいましたが、振り返っていかがでしたか?
志子田:やはり地元の上映なので特別でしたね。自宅から映画館までが近いので、時間があれば映画館前でチラシ配りをしていました。『映画の朝ごはん』で密着した弁当屋、ポパイのおにぎりも手で作られていますから、そのおにぎりが映画スタッフの手に渡り、彼らが食べ、エネルギー補給をして映画が作られていくわけです。映画があるから映画館で上映してもらうことができ、映画館があるから、お客さまに届けられるという一連の流れの一端を、監督の僕がチラシを配ることで担えた。
つまり、お客さまにポパイを届けているという気持ちになれたのがすごく楽しかったし、映画を作り、公開してよかったと思えた。僕のチラシ配りが映画興行にどれだけ影響を与えたかはわからないけれど、大事なのはそこではない。ポパイにお世話になり、自分の体に吸収されたものを、ちゃんと自らお客さまに届けられたことが正しいと感じているし、そのように自分が育ってきたことも確認できました。
―――わたしは最終日に鑑賞したのですが、上映後、お客さまから意見や質問が積極的に出て、とてもいい雰囲気の舞台挨拶でした。東京でもこれぐらい盛り上がったのですか?
志子田:昨年11月10日が東京初日でキネカ大森とシネスイッチ銀座で上映したのですが、僕も正直初めてのことで余裕がなく、お客さまにどのように届いたのか最初はわからなかった。でも、だんだん劇場で上映され続けることによって、映画が仕上がっていったという実感があります。
―――東京公開を経ての地元神戸での上映で、タイミング的にも気持ち的にもちょうどいい状態にあったのでしょうね。
志子田:フィクションだとシナリオや芝居があり、割と世界観がカチッとしていますが、ドキュメンタリーはお客さまに委ねるというか、観る人それぞれの解釈の余地がフィクションよりも大きいと思うのです。上映を積み重ねることで、そういうドキュメンタリーの柔らかさがだんだん見えてきて、こういう形をしているんだとわかってきました。
―――知り合いの映画の制作部経験が多い方がこの作品を観て、「制作部の映画だ」と喜んでいたことが印象的でした。
志子田:僕自身も映画が完成したときには、ポパイと映画制作部の映画だと思っていたんです。でもお客さまの感想を聞くと、労働讃歌映画というか、映画業界に縛られない、生きていく上での食だったり仕事だったり、ごく普遍的なものがちゃんと届いているんだなと僕自身も発見させてもらいました。こんなに幅広いものをこの映画は持っていたんだとか、食べるって大事だよねと。
■フィクションから映画のメイキング撮影のプロへ
―――志子田さんは大阪芸術大学出身ですが、その時代は大阪芸大の黄金期と呼ばれていますね。
志子田:2学年下に石井(裕也)くんが、4学年上に山下敦弘さんがいますね。『悪は存在しない』録音の松野(泉)は同年代で一緒に映画を作ったり、酒を飲んだりしています。僕はこの作品が初劇場公開作品なので、ほかのみなさんより出遅れた感はありますが(笑)
―――小さい頃から映画好きだったのですか?
志子田:母が映画好きだったので、小さい頃からヨーロッパ映画を観ていました。兄ちゃんはゴダール好きですし、いわゆるハリウッド映画から入るというパターンではなかったですね。ちょっとひねくれているかもしれません。僕は中学生の頃に神戸から東京へ引っ越したのですが、アサヒシネマで北野武の『キッズ・リターン』を観た記憶があります。やはり関西が恋しくて大学で戻ってきた感じですね。
―――若い頃に撮った映画で思い出深いものは?
志子田:大学卒業後に撮った『革命前夜』がぴあフィルムフェスティバル2007に入選したのですが、そのとき石井くんの『剥き出しニッポン』がグランプリを獲ったんです。なんだか悔しくて(笑)ちなみに『革命前夜』はカメラマンが高木風太、音楽は松野泉、主演(山根千枝さん)が今の妻なんです。
―――まさに青春ですね!志子田さんはドキュメンタリーのイメージがありましたが、フィクションも撮っておられたとは。ドキュメンタリーを撮るようになったきっかけは?
志子田:20代後半から15年ぐらい、映画のメイキング撮影をやっているんですよ。
―――それはメイキング撮影のプロですね。
志子田:プロと言っていいと思います。かなりの本数をやっていますので、撮影のノウハウや編集の仕方は心得ています。映画は現場によって変わるし、監督が変われば全く違うので、そこが続けていける面白さでしょう。毎回発見があり、新鮮な気持ちで挑めているのは、映画そのものが持っている魅力なのだと思います。
―――映画を撮影している風景を客観的に撮っているというのは、面白い光景ですね。
志子田:『映画の朝ごはん』もそうですが、スタッフたちは役者と物語を撮っているのに対し、僕はその外側から撮っているわけで、ど真ん中の主人公よりも、そこからちょっと離れた人の方が好きです。映画に関わらず、作っている人って素敵じゃないですか。ご飯を作るとか、何かゼロから起こして積み上げていく人間の様みたいなものを、僕は撮っていて楽しい。だからメイキング撮影を続けているし、『映画の朝ごはん』を撮った理由になっていると思います。
■神戸から通いながら撮ることで、視界が広くなった
―――『映画の朝ごはん』の撮影時期はコロナ禍だったのですか?
志子田:はい、2022年の12月から2023年の3月までです。
―――コロナ禍当初は映画撮影やメイキング撮影がストップしましたが、今までの仕事ができなくなる中で、ご自身の仕事観に変化はありましたか?
志子田:プライベートな出来事として、東京から神戸に引っ越しました。東京暮らしを続け、仕事だけする生き方に対し、それだけではないんじゃない?と思った。自分たちには可能性があるし、もっと生き方を選べるのではないかと思い、神戸に戻る決断をしたのです。だから、『映画の朝ごはん』は神戸から東京へ通いながら撮っていたんですよ。
―――それは、大変でしたね。
志子田:でも、ちょっと距離ができたことで、視界が広くなったと思います。東京にいるまま撮っていたら、こういう作品にはならず、もっとはっきりとした「商品」ぽいものになっていた気がします。
―――なるほど。東京は人、モノ、仕事、そしてお金がいっぱいあり、すごいスピードで物事が動いていると思いますが、神戸に戻ったことで、少し冷静に物事を見ることができたと?
志子田:神戸に来てから視界が広くなったことだけでなく、作品を作ることに対して、それほど大きく構えなくなった。そして、大きな物語を語ろうとしなくてもいいと思うようになりました。神戸には、立ち飲みできる小さな飲み屋の角打ちがいっぱいあるのですが、そこは夜勤を終えた労働者たちにお酒を飲ませるため、酒屋さんがはじめた憩いの場なんです。僕は角打ちでの労働者とお店の交わりを描いたドキュメンタリーを撮りたいと思っています。
そういうのは大きな物語ではないけれど、すごく小さい大切な時間で、そういう小さいものを撮りたいとか、見つめていきたいと思えるようになりました。多分、東京にいるときは、そういうものに対して「地味すぎる」と思っていたでしょうが、そういう機微こそ描きたいと思えるようになったのは、神戸に来たからではないかなと。
■ダンスカンパニーMi-Mi-Biの舞台記録映像を依頼からはじまった『旅する身体』
―――まさしく、大きな変化ですね。『旅する身体』はそれぞれ身体の違いがありながら、お互いに補い合い、かつプロフェッショナルな舞台を作り上げていて、感動しました。この作品に携わるきっかけは?
志子田:新長田にあるNPO法人DANCEBOXがダンサーの育成や支援をもともとされている団体で、そこの事務局長/ダンサーの文さんから、2022年豊岡演劇祭でダンスカンパニーMi-Mi-Biが初公演をするので、その記録撮影を依頼されたのが始まりです。あくまでも僕の目線から見つめた記録ということで撮影がスタートしました。実は神戸に戻ってから、DANCEBOXで「やさしいコンテンポラリーダンス」という、障害のある人もない人も、子どもや妊婦の方とどなたでも参加できて、体を動かすというイベントが毎月開催されており、僕もずっと参加しているんですよ。
―――楽しそうですね。どういう動きをするのですか?
志子田:型に縛られず、自分が気持ちのいいように動いたり、お互いに呼吸を合わせたりするのが、すごく楽しいんですよ。言葉でもないし、段取りでもない。お互いが相手を思いながら、こう動いたら気持ちいいのではないかと感じ合う。僕はDANCEBOXも「やさしいコンテンポラリーダンス」も大好きでそこから学んだこともたくさんあります。
―――本番だけでなく、練習もしっかり撮っておられましたね。依頼は記録映像でしたが、そこから取材を深めて映画にできると思ったターニングポイントは?
志子田:今回は7人のダンスグループですが、全員を撮ろうとすると引き絵になり、散漫となってしまう。だから、まずはダンスを撮る難しさに直面し、どうすれば一つのプロットとして制作できるのかを考えました。でも一見散漫としているように見えて、ちゃんとそこにコミュニケーションがあるということを描けばいいと思ったのです。目が見えないとか、耳が聞こえない、車椅子生活を送っているとか、半身麻痺など、さまざまなメンバーがいらっしゃいますが、どういう言葉をかければ相手に伝わるのかということが、引きの絵の中でもすごく立ち上がっているということに気づいた。そういうものを撮れば、コミュニケーションの難しさを描けるのではないかと思い、そこは意識をして撮っていきました。
■コミュニケーションが難しくても曖昧にしない人たちが作り上げているダンス
―――確かにさまざまな手段を使いながら、コミュニケーションを図っている様子が印象的でした。
志子田:例えば耳の聞こえないダンサーのKAZUKIに直接聞きたいことがあっても、手話通訳士の三田宏美さんを介さねばならない。誰かを介してインタビューをしなくてはいけないということは初めてだったので、そこの部分でのコミュニケーションの難しさがありました。聞きたいことも、今はやめておこうと自制してしまう。でも、それは彼ら自身の中でも練習中に実際起こっていることだと思うので、そういう中で共に作品を作っていくということなんだなと痛感しました。
―――伝えるためにいくつものプロセスを経るわけですが、踊りたいとか、一つの作品を作り上げるんだというメンバーの気持ちがブレない。そこにも感銘を受けました。
志子田:伝えようとしなければ伝わらないという前提があり、その覚悟を持ってコミュニケーションを図っておられるんですよ。どうしても僕らは、「わかってるよね」という気持ちでコミュニケーションを曖昧にしてしまうことがあるのですが、そういう風にできないし、してはいけない人たちが作り上げているダンスなのです。
―――本番の舞台でも、車椅子での登場のシーンなど入念に打ち合わせを重ねていましたね。舞台から客席前までのスロープの傾斜が非常にきつく、これは相当怖いのではと。
志子田:実際に現場に行かなければわからないことで、そういうこと(車椅子の当事者にとってのスロープ)が当たり前のように起こっているという気づきがありました。
■Mi-Mi-Biに教えてもらった「記録し続ける大切さ」
―――練習から本番まで撮影を続けていかがでしたか?
志子田:映画の場合、スケジュールを決め、クランクアップまでに欲しい素材を撮り終えて編集に入るわけですが、ここで終わりという地点がはっきりしている。でもMi-Mi-Biの公演は映画の中でも森田かずよさんがおっしゃっていたように、完成がないんです。それまでに練習で何度も何度も積み重ねていきますが、その積み重ねの上で本番にて完成するのではなく、本番でも演目が始まり、終わるまでの1時間ほどの中でもう一度作り上げていく最中なんですよ。僕からすれば、それってすごく不安じゃないかと思ってしまう。
―――舞台に立つ人は、ある意味それが喜びでもあるのでしょうね。ライトがあたり本番ならではの緊張感もあるし、お客さま側からの熱気を感じて演じるわけですから。
志子田:豊岡演劇祭の本番が終わったという喜びはあるでしょうが、作品が仕上がったという実感がないですよね。というのも、客観的に自分たちが演じているのを見ていないので、お客さま目線でどうだったのかがわからない。そこで『旅する身体』や、そのもとになった豊岡演劇祭の後にある程度編集した記録映像をお見せする機会があり、すごく喜んでくださったのです。「わたしたちの演目は、こういう風に見られていたんだ」ということを再発見されたようで、記録の持つ意味や記録をし続ける大切さをMi-Mi-Biに教えていただきました。
今年の豊岡演劇祭`24や、9月に神戸文化ホールで踊ったMi-Mi-Biの新作「島ゞノ舞ゝゝ」ダイジェスト版も、すごく良くて、2022年とは全く違う新たなMi-Mi-Biになっていました。
―――ちなみに編集にあたって苦労したことは?
志子田:テレビ番組用に45分バージョンを作り、それを再編集して67分にしたのですが、舞台本番を観ているので、なるべく全てを見せたいと思うのですが、映画だとそれは難しいのである程度抜粋しなくてはいけないというのが、僕としても心苦しく難しかったところです
■枠組みを取っ払うという考え方が自分や編集にも活きている
―――DANCEBOXのエグゼクティブディレクター、大谷燠さんの考え方にも共感したのですが、障害のある人が参加するダンスカンパニーは、日本で他にどれぐらいあるのでしょうか?
志子田:海外には実際に障害のある人もない人も一緒に踊るダンスカンパニーがあり、Mi-Mi-Biはそこを参考にされているところもあるようです。日本では前例がないので、例えば目の見えない人にどのように振り付けを伝えたらいいのかというノウハウを参考にもしているようです。
―――すごく先進的なことを、神戸でやっているんですね。
志子田:しかも新長田という下町でそういったことをやっているのが、いいんですよ。
―――商店街でやっている様子もチラリと映っていましたが、演劇が街に飛び出すというのも、いいですよね。
志子田:DANCEBOXは、枠組みを設けると小さい表現になってしまうので、あえてそれを取っ払うという考え方が軸になっています。「いろんな人がいてええやん」「誰でも好きなようにやったらええやん」という考えが根っこにあるからMi-Mi-Biが成り立っていて、そこに僕も参加させてもらえるのが、すごくうれしい。僕も「好きにやったらええやん」の渦に一緒に巻き込まれたようでした。
―――囲いを外すのはやりたくても難しいのが現実ではありますが、それを思い切って実行されているんですね。実際にそういう囲いのない中で撮影をされてきて、ご自身の考え方の変化はありましたか?
志子田:編集に関して言えば、『映画の朝ごはん』と『旅する身体』はほぼ同時期に行なっているんです。ただ撮影は『旅する身体』の方が早いので、枠組みを外す面白さは『映画の朝ごはん』の撮影や編集にものすごく活きている気がします。DANCEBOXの活動や文さん、大谷さんの考え方に刺激を受けた部分はあると思います。
―――神戸に拠点を移し、神戸で活動する人と出会っていく中で、志子田さん自身も変化を遂げてきたと?
志子田:さまざまな人との出会いからいろんな考え方を教わりました。本当に神戸に来ていいことしかないです!
■映画館でお客さまと共有したいこととは?
―――11月4日にトークゲストとして登壇する森山未來さんとは、どんな繋がりがあるのですか?
志子田:森山さんは僕が20代半ばのころ、山下敦弘さんや脚本の向井康介さんと同じ制作会社(マッチポイント)で働いていたのですが、山下さんが監督、向井さんが脚本のau LISMO携帯ドラマ「土俵際のマリア」に森山さんが出演されていたんです。そこでお会いしたというご縁がありました。森山さんも神戸を拠点に東京や海外で仕事をされていて、僕のライフスタイルに似ていると思ったし、森山さんはダンサーでもあるので『旅する身体』とも繋がりは深いのではと思っています。せっかくだから僕だけがトークをするのではなく、Mi-Mi-Biのメンバーに来てもらおうとか、いろいろ考えています。
―――それは素晴らしい!なんだか楽しくなってきましたね。
志子田:『映画の朝ごはん』と『旅する身体』の上映を通して、お客さまや劇場の方に会うと出来事が立ち上がるんです。それは映画の上映に自分も携わらないと経験できない。劇場に行って、お客さまとも直接お話しをしてという立ち上がりは、映画を作る前は全く想定していなかったことです。それと同じものが、森山さんやMi-Mi-Biと一緒に登壇することで立ち上がっていく様を伝えられるのではないか。それは嬉しいことだし、映画の意味だと思う。それをお客さまと共有できるのが、劇場の面白さですから。
※舞台挨拶情報は以下よりご覧ください。
■なるべく小さい体制で、小さい物語を撮っていきたい
―――ローカルでアナログなことをできる場所というのは、ミニシアターの存在意義にもつながってきます。最後にこれから神戸でどんな活動をしていきたいですか?
志子田:先ほどお話しした角打ちや他にも、いくつかやりたい企画があるのですが、なるべくミニマムに作りたい。それはドキュメンタリーでしかできないことですが、被写体との関係性を作るため、なるべく自分でカメラを回し、多くても録音とカメラマンぐらいで、小さい体制で作ることがすごく大事です。小さければ小さいほど、場に嘘がないと思うんですよ。大きな物語にしようとせず、小さいのは大事なんだということを、やっていきたいと思っています。
(2024年10月4日収録)
<志子田勇さんプロフィール>
1981年生まれ。神戸出身、在住。映画監督。大阪芸術大学映像学科卒業。
映画制作会社を経て2011 年よりフリーランスとして、映画のメイキングやドキュメンタリー、展示映像のディレクター・監督など多岐にわたる活動をしている。 2 0 2 1年、ミニマムなドキュメンタリーに特化した事業「MOM&DAVID」を設立。
MOM&DAVIDは、大きな物語よりも小さな物語を大切に、個人史や企業史など「わたしとあなたの橋渡し役」としての記録映像・ドキュメンタリー制作を行う事業。
Text江口由美