Interview vol.8髙濱浩子さん(画家・アーティスト)インド・シャンティニケタンを再訪し、無心で絵を描く
第8回は、3月16日〜4月9日まで神戸・ハンター坂のギャラリー島田で展覧会「旅する木 髙濱浩子 めぶきのまつり」を開催する画家・アーティストの髙濱浩子さんです。元町映画館では書籍「元町映画館ものがたり」刊行記念トークや周年記念企画「オキナワンダーランド」でのトーク(個展も同時開催)にご登壇いただきました。2023年冬に久しぶりに訪れたインド・シャンティニケタンでの創作や、近年行っている活動について、お話を伺いました。
■土を使い、無心で絵を描く
―――昨年末のインド・シャンティニケタン滞在時に描いた絵を持参してくださいました。ちなみにインド旅は何年ぶりですか?
髙濱:インド自体は4年ぶりですが、自らひとりになろうと思って行ったのは2008年以来です。2008年に初めてインドへ向かいましたが、あの時「何もいらないからそこに行きたい」と思ったのはなぜなのか。今、そこに立つことで、絵を描くヒントが見つかるかもと。シャンティニケタンでは土の感触や鳥の声、月あかりが心に響きますし、時間がゆっくりと過ぎていく。情報も少ないし、すごくシンプルな英語と片言のベンガル語しか話さないので、自分の中であまりごちゃごちゃ考えることがない。日本語脳だと、いろいろくっつけて考えがちのところがあるのですが、そうではない環境なので、考えることもシンプル。人間の食用として、道端で絞められる鶏や山羊を見ていると、生と死が目の前に差し出されもする。その中に自分がいることを突きつけられる感覚は、以前と変わらなかったですね。
―――なるほど、早速ですが絵を見せていただけますか?
髙濱:一枚ずつめくっていきますね。ほぼ現地の土を使って描いています。
―――土を使って描けるんですね。今までもよくその手法で描いていたのですか?
髙濱:日本画出身なので、ガラスの粒子に着色している顔料や、土や泥、岩を崩したものに動物性コラーゲンの膠(にかわ)と混ぜて絵の具を作ります。白色は牡蠣の貝殻を使って作ります。シャンティニケタンの先住民の絵師達は、絵筆も小動物の尻尾を使って自分で作り、絵の具は同じように土や石や煤を使いますが、こちらと違うのは植物性である木の樹脂を接着剤にすることです。これもそうですね。今回は絵筆を使わずに描いています。
―――絵筆を使っていないということは、どのように描いたのですか?
髙濱:全部手を使って描いています。赤とオレンジだけは天然鉱物ではないですが、あとは全部大地からのものです。煤を使って黒色を出したり、白色は泥で出しています。今回は絵を描くときの気持ちが全然違いました。今までも自然の顔料を使っていたけれど、それが自分の外側にある感じがしていたのです。頭では、自分たちが死んだ後は土に還っていくと思っていても、どこか自分の外にその感覚があった。例えばわたしが感動したとして、自分の心に映った色を描いていたところがあったのですが、今回は違った。土もわたしの一部だし、交流を重ねてきた江口さんもわたしの一部だし、全てが自分と一体になる中で、無心で描いていた。そこが、自分の中の次の世界に踏み出したと感じられた理由ではないかと思うのです。わたしの手の形がそのまま紙に描いた跡として残っているけれど、同じテクニックでも二つとして同じ作品は作れない。わたしの手に含まれる水分の量であったり、手の形であったり、それぞれがデザインを持っていますから。
―――こういうのを描くんだという自分の意思とか野心などを超えた、無心の表現なのかなと。
髙濱:コントロールして絵を描いているというより、全てのコントロールされた中に自分がおり、そして作品が出来上がっていく。緑を作ろうとして葉っぱを一生懸命混ぜていたけれど、うまくいかないと思っていたら、ハラハラと葉っぱが落ちてきて。偶然なのですが、自分の頭で描いていた緑色にはならず、そういう意味では失敗しているわけですが、それが新たな作品の魅力になった。時期が違うと乾き方も変わるし。全部で何枚描いたかな?50枚ぐらいでしょうか。
―――この枚数を何日ぐらいで描いたのですか?
髙濱:農村部に閉じこもって、2日ぐらいで描いたんですよ。
―――たった2日で!?
髙濱:2日間しか時間がなかったけれど、時間って伸び縮みするから(笑)
―――1箇所でそれだけいろいろな土があるということですか?
髙濱:絵の具にできる土を売っているお店があり、建築家の友人にそこで買ってきてもらったのです。もちろん自分で大地の土を振るいにかけて絵の具を作ることもできます。今回は漆喰になるような白色や黄土色など2、3種類と、黒色の天然色を5色。赤と橙のケミカルな顔料を2色。それで描いていきました。縦、横、どの方向でも見てもらえるので、どこを上にするかは、また決めないと(笑)ギャラリー島田の島田誠さんは命の恩人みたいな人なので、今のわたしを見てもらいたいと思い、インドで描いた絵を持っていったら「展覧会をしましょう」と言ってくださって。
■ギャラリー島田、島田誠さんに叱咤され、見守られて
―――命の恩人という島田誠さんとの出会いは?
髙濱:島田さんと出会ったのは20代前半、元町6丁目でアンニュイという雑貨屋を営んでいたころでした。元町商店街120周年のメモリアルイヤーで、商店街各町の若手経営者が2〜3人ずつ集まり、元町の未来について語り合う若手経営者会議があったのですが、その会議の場で元町3丁目にあった海文堂書店社長の島田さんに、初めてお会いしたんです。
そのときは店主同士というお付き合いでした。その後わたしが元町4丁目のミュゼ・ド・リンダというギャラリーのオープニングで写真家の方と二人展をさせていただき、そこから自分の作品を発表するようになる中で、島田さんにも作品を見てもらっていました。
わたしが20代後半、アンニュイを閉店し、東京に行くころには、島田さんがトアロードにあるトアギャラリーのオープニングに推薦してくださったこともありましたね。やはりお店を辞めてからはアーティストとしてやっていきたいという思いが強くあり、島田さんには絵を見せにいき、そして展覧会をさせてもらっています。
―――髙濱さんはギャラリー島田の常連アーティストですから。
髙濱:でも本当にカツを入れられるんですよ。ギャラリー島田で、悔しくて何度も泣いたな。ある搬入のときにスタッフの方と展示をしていたら、島田さんがやってきて「旧作を持ってきたの?」と言われて…。「新作です」と答えると、「こんなものじゃないでしょ」と。次の日からオープニングなのにと一瞬、凍りつきました。20代から、アートの道を進んでおられる先輩方に厳しいお言葉をいただき何度も悔しい思いをしていましたし、そのときも悔しくて、情けなくて。でも、突き進めと言われているのだから、辞めるものか!と思った。すぐ泣いてしまうのが本当に恥ずかしいんですけど(笑)。展覧会でも、お客さまから言われたことで、不甲斐なさから後々息ができなくなるようなこともありましたし、作品の詰めが甘かったかなと反省することもあります。
―――みなさんが髙濱さんに「こんなもんじゃないでしょ」と期待されているのが伝わりますが、一方でその期待が重く感じることもあるのでは?
髙濱:素っ裸で立っているような状態で、自分でもわかっているようなことをピンポイントで指摘されると、わかっているけれど出来ていないと思うので、作品を発表するのが怖くなった時期もありましたね。人から見たらどう思われるのかと意識しすぎて描けなくなってしまったこともありましたし、絵を描いたものの展示する必要はあるのかとも考えました。20代で「お前の満足のために、足を運んでいるんと違うんやぞ」と大先輩から言われたときも、それを考えさせられましたね。
―――表現を発表するのは本当に難しいですし、映画も同じ側面があると思います。その苦労があったからこそ、今回のインドで描いた絵に対する島田さんの「展覧会を」とおっしゃってくださったことが価値あるというか、嬉しいですね。
髙濱:展覧会までにもっと違う絵をお見せできるかもしれないし、インドで今回描いた絵は今まで土を使って描いてきた作品とは違うので、展覧会では伝え方をギャラリーの方と考えていく作業を今から行っていきます。
■一つの世界で繋がっている感覚を得ているのは、日々の生活が影響している
―――絵にテキストを添えるとか?
髙濱:絵と見てくださっている方を橋渡しできるような言葉が展覧会にあった方がいいのではないかと思っています。今回は揺れる木の下にいて、木の下にいる自分ではなく、木もわたしも一つの世界で繋がっていて、自分の一部という感覚なんです。かつて六甲山の雁皮で紙漉きをしたことがあったのですが、わたしは死後六甲山に自分の骨が埋められると思うので、出所が同じだし、わたしの一部だと思いながらやっていた。だから、随分前からそういうことを思っていたのだけど、今は頭で感じるというより、感じ方がしっくりいっている。そういう中で生まれた絵なんです。
―――自然に生まれてくる感じですね。
髙濱:そうなるのは日々の自分の生活、つまり、五宮神社の宮守をしたり、病院でトラウマインフォームドケア「アート」をしていることも、すごく影響していると思います。2018年から担当しているトラウマインフォームドケアはセラピーではなく、絵を描きながら、ただ一緒にいること。患者と治療する側という形ではなく、わたしがやっているのは、患者としてではない一人の人と時間を共有しているということです。それを5年ぐらい毎週病院で行ってきたのは、自分の生き方に影響を及ぼしているかもしれませんよね。
―――それは表現をする人、しいてはわたしたちにも当てはまることでしょう。
髙濱:参拝にいらっしゃる方はいろいろな思いを抱えてこられます。ときどき、自分のことをお話される方もいらっしゃり、わたしは日々淡々と自分の仕事をしているだけですが、名前も知らない初対面の方がボソッと呟いて帰られるわけです。やっぱり全部が繋がっていて、今生きている人だけではなく、これから生まれる人も死んでいった人も、過去も未来も影響しあっている。そんな中で、自分が何を描けばよいのか、近年わからなくなっていた。
インドで描いた50枚は、ただ土があり、泥があり、紙があり、それを手につけて遊んでいっただけ。何を描こうか?ということではなかった。今はそこまでしか言葉にできない。
―――髙濱さんは、西宮のはらっぱ保育所でも毎月お絵描き教室を開催されてますよね。
髙濱:もう7〜8年ぐらい続けていますが、落ち込んでばかり。子どもと一緒に何をすればいいのかと最初は悩み、更新時期の3月が来るたびに、保育所の先生に弱音を吐いていたのですが、先生は「いるだけでいいですよ」と言ってくださった。いるだけでいいと何回も言われているうちに、わたしも最近はちょっと安心してきました(笑)。
―――画材を広げて、一緒にその時間を過ごせばいいと言われると、確かに安心しますよね。
髙濱:わからないことがあれば「わからないわ」というし、「困った、困った」と言っていると、子どもたちがそこに反応するので、彼らに教えてもらっている感じですよ。インドにしろ、フィリピンにしろ、どこに行っても彼らの生き方とか、彼らの母なるものを見させてもらい、教えてもらって、そこから自分も何かやっていこうと思える。誰でもそれぞれの場があり、背景があり、生きている環境や土地との関わりがあり、考え方もある。そういう話を聞いている中で、わたしはどうだろうと考えることもある。絵を描くときはそれまでに一生懸命あれこれ考えている分、解放されて描いている感じですね。
―――描くことが解放になるとは、絵を描くことに敷居の高さを感じているわたしには、羨ましい限りです。
髙濱:神社に奉納する絵馬のような、依頼されて描くものは一生懸命考えるのですが、インドでの絵もしかり、絵は凄いスピードで描けるんです。何々を描きなさいと言われると、すごく困るんですよ。前、イルカを描いたら「エビフライですか?」と言われたこともありますし(笑)、今年の龍は架空の生き物なので、一番描きやすかったです。
■NATURE STUDIO主宰アートミーティングでの探求と展覧会「旅する木 髙濱浩子 めぶきのまつり」
―――五宮神社に奉納されている絵馬は、勢いのある筆致で素晴らしかったです。その神社の近くにあるNATURE STUDIO主宰のアートミーティングも髙濱さんの近年の取り組みですね。わたしも第1期生として参加させていただき、いろいろ探求できました。
髙濱:アートミーティングは、自然や土地、人の暮らしや歴史、日常としての自然との付き合い方を、例えばキャンプのような特別なものではなく、アートという切り口で、みんなで探求してみようという試みです。少人数のメンバーがやってみようと思うことにチャレンジする。違ったら方向を変えればいいのです。兵庫区の湊山・平野という場所は手付かずの自然が残っています。山と町の境に神社や仏閣があるのですが、それは生きるとか死ぬことに繋がっている。だから昔の神社はランドスケープ的な存在でした。そういうところから、3月2日に披露予定の踊り念仏にも繋がっているのです。
※3月2日に参加型イベント「シゼンを歩く シゼンに感じる シゼンと踊る」を開催予定
―――ワークショップは通常、何をアウトプットするか決まっているケースが多いですが、それを決めないでやっていくというのは予定調和ではなく、試行錯誤を楽しめていいですね。
髙濱:どんな形に行き着いてもいいというのが、ワークショップのいいところですね。
―――そういう考え方で行われているワークショップは本当に貴重ですね。目から鱗でした。最後に、3月にギャラリー島田で開催する展覧会「芽ぶきのまつり」について、教えていただけますか。
髙濱:今回はギャラリー島田の3会場(地下、地上Deux、地上Trois)を使わせていただけるので、自分が今やっている仕事や今までやってきたこと、それらの全貌をさきほどお話したように木に見立て、展示イメージを膨らませています。地上部分は実や葉っぱです。今までのわたしの変遷と共に、作品に至った出来事、旅などを見せていく実の部分と、いろいろなものと出会いつつ、最終的には大地の栄養となる葉っぱの部分は「旅する切手」シリーズを展示します。
誰かの手によって一度役目を終えた使用済み切手が、誰かと出会い再び旅に出る空想旅の作品です。また先ほどのNATURE STUDIOのように、瞬時瞬時の判断で方向を決めていくファシリテートの資料もお見せします。そこに風の存在として、日替わりカフェマスターによるお茶とお話ができる場を設けて、毎日違う風が吹くようにしようと思っています。地下は地中の部分ですから、自分の根幹であるインド・シャンティニケタンで描いた絵を中心にした展示をする予定です。
―――3月の展覧会、楽しみにしております!元町映画館で、また髙濱さんとご一緒できれば嬉しいです。
(2024年1月5日収録、1月31日追加収録)
<髙濱浩子さんプロフィール>
画家・アーティスト。
1969年神戸生まれ。美術学校で日本画を学んだ後、平面に限らず作品を発表。
1995年 阪神淡路大震災での体験をきっかけに人間とアートについて探求し始める。
2008年 詩人ラビンドラナート・タゴールが開いたインド国立Visva-Bharati Universityに1年留学。ベンガル地方の農村部に暮らしながら先住民の村を訪れ、原始的な営みに息づくアートに興味を持つ。
2011年 外尾悦郎氏(サグラダファミリア贖罪聖堂彫刻家)に学ぶ。
近年は国内外の様々な分野(環境教育、医療、福祉、地域、学校など)でアートワークショップのファシリテーターを務める。活動は、絵画、文筆、ファシリテーターなど多岐に渡るが、全ての核は「絵」である。
Text江口由美
もしよろしければサポートをお願いいたします!いただいたサポートは劇場資金として大切に使用させていただきます!