マガジンのカバー画像

本部御殿手

34
本部家に家伝として伝わる武術に関する記事です。
運営しているクリエイター

2023年5月の記事一覧

上原清吉と棒で勝負した古武道家

上原清吉にも戦前から戦後にかけて、いろいろな方と練習試合をしてさまざな武勇伝があるのだが…

300
本部流
1年前
6

沖縄唐手研究倶楽部結成の日の事件

上原清吉によると、沖縄唐手研究倶楽部は大正13(1924)年に那覇波の上に結成された。通称をク…

300
本部流
1年前
4

大城兼義と沖縄唐手研究倶楽部

沖縄唐手研究倶楽部は、大正末期に本部朝勇と宮城長順が中心となって設立した唐手の研究機関で…

本部流
1年前
6

琉球士族と刀

下の広告は、明治33(1900)年10月29日の琉球新報に掲載されたものである。内容は具志川朝及が…

本部流
1年前
8

高嶺善継:上原清吉の兄弟子

平成4(1992)年、沖縄空手道懇話会/琉球新報主催の空手道講座「流派に学ぶ」と題された一連…

本部流
1年前
6

御殿

御殿(うどぅん)とは、琉球王家の分家の称号である。日本の宮家に相当する。御殿のもともとの…

本部流
1年前
8

実戦の意味

某氏がまだ流派に在籍していた頃の話である。某氏から「本部御殿手は実戦で使えない」という言葉を何度か聞かされた。 某氏はもともと本部朝基の弟子の高野玄十郎氏(日本伝流空手道春風館)の弟子で当時たしか糸東会の所属だったが、本部流の再興を目指して宗家(本部朝正)と日本空手道本部会を結成し、本部流を名乗ることを許可された。 本部会の結成の前年(1976)、宗家は上原清吉から本部御殿手の継承を依頼されて師事するようになっていたので、某氏にも上原先生を紹介した。ほどなくして某氏は上原