店舗BGMとは①
様々な店で流れている音楽について。
BGMとは”バックグラウンド・ミュージック”のこと。
つまり、背景音楽なのです。
なんの背景かというと、その店舗や施設の主たるモノやコトの、です。
つまり、BGMとは脇役なのです。
では、脇役だからって、なんでもいいと思いますか?
例を挙げてみましょう。
月9恋愛ドラマの主人公の親友役がバケモノだ。
…こんなの、明らかに破綻していますよね。
これを飲食店のBGMに変換してみると
ラーメン店のBGMがオーケストラの演奏するクラシックだ。
または
マクドナルドのBGMが雅楽だ。
(余談ですがマクドナルドのBGMはかなり優秀です)
おかしいですよね。
でも、ここまでのエラーはなくとも
こういうことは多くの飲食店で散見されます。
脇役とはいえ、なんでもいいわけではないのであれば
そこにはNGがあり、ベターがあるということになります。
むしろBGMは、テーブルやイス、空調などと同じく
店が提供するサービスのひとつ
もしくは、実はもっと高度なサービスだとも考えられます。
ということで、次に良いBGMの例を示します。
カフェのBGMがピアノトリオの軽快なジャズだ。
…ありがちですけれど、実はいろいろポイントがあります。
詳しく解説します。
まず、カフェがどういう場所かを考えます。
※一旦、キャパシティーや細かい営業形態などは度外視します。
・飲食をする
・人と会い様々な会話をする
・ひとりでゆったり好きなことをする
では、このような空間に流れている音楽として
なぜピアノトリオのジャズがいいのか。
NGから先に見ていきましょう。
エレキギターの音と甲高いボーカルの声が目立ったハードロック
NG理由:
音源の性質上ある程度の大音量ではないと不自然なためうるさくなりがちで
会話の声が聞き取りづらくなったり、音のせいでゆっくりした雰囲気が損なわれてしまい、結果的に居心地が悪くなってしまう。
Jポップ
NG理由:
音楽としてJポップを否定的に捉えているわけではないと前置きしますが
カフェを利用する客層を考えると、その空間の文化レベルが低く感じられる
ボーカルが主役の場合がほとんどで、歌声の比重が大きく設計された音楽で
その周波数帯と同じ、人の会話の声の妨げとなる可能性が高い
日本語が母国語の人にとっては無意識に歌詞が意味として頭に流れ込み
会話や読書の妨げ、ひいては雰囲気自体に影響する可能性がある…など。
クラシック
NG理由:
余程の場所でない限り、クラシックをBGMにすると
優雅すぎたり、それ故でもある緊張感を場にもたらします。
そしてその音楽性から、演奏のダイナミックレンジが広く
つまり、音の小さいところと大きいところが極端な場合が多いジャンルで
これまた、BGMというにはかなり主張が強め、ということになります。
まだまだありますが、共通するNGポイントは
カフェの居心地や利用目的に悪影響がある可能性が高い
ということです。
では、ピアノトリオのジャズがなぜ良いのか解説します。
ジャズのピアノトリオとは例外を除き
ピアノ・ベース・ドラムの編成です。
それらはほとんどの場合、アコースティック楽器で
余程の意図がない限り、音響的にもアコースティック(=ナチュラル)な
質感でレコーディング〜ミキシング〜マスタリングを経て発表されます。
ここでのポイントは「ナチュラル」です。
人間の耳は、電気的に変質させた音(例:エレキギターのギャンギャン音)と、そうでない自然な音(アコースティック ギターを爪弾く音)をよく聴き分けます。
そして自然な音質は、人間の耳にも空間にも違和感なく馴染み、まさに背景となる音楽にふさわしいのです。
また、ピアノトリオはボーカル(つまり人間の声)が入っておらず、多くの場合は会話の妨げになるような周波数帯が大きく出過ぎる音には作られておらず、この点でもBGMとして適しています。
また、ジャズ愛好家の筆者としては少し気兼ねしなくもないのですが、ジャズのもつパブリックイメージを拝借することで、上質さや大人っぽさ、馬鹿みたいで嫌ですが、お洒落な感じも手軽に空間に付与することができます。小気味の良いリズムと、どこかで聴いたことがありそうな曲(ジャズにはスタンダード曲と呼ばれる有名曲がたくさんあり、本当に多くのミュージシャンが、それぞれ同じ曲を発表しています)に少し親近感をもつこともあるでしょう。
カフェにおけるピアノトリオのジャズが良いBGMである理由としては
もう十分かもしれませんが、良いところを挙げれば、正直、枚挙にいとまがありません。
そして、もっと発展的なBGMの選択メソッドもあります。
複数組の客が在店している場合の最大公約数となるBGMの決め方や
季節や天候、時間帯、年齢性別、だれと居る、何をしている、などに応じて
適宜BGMを合わせていくのです。
長くなりますので、それはまた次の機会に。