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質問箱より「自分は他人に有害でしかないから関わらない方がいい?」

元イさんなのだ!!


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このような質問が、質問箱に来たのだ。


いいたい事やいえる事が多すぎるのだ。

これが第一印象なのだ。多い、言いたいこと、言えることが多すぎるのだ。


そして回答が長文になったのだな。

noteに載せて欲しいというリクエストもあったので、質問箱に勢いで書いた回答を補足しながら、こっちに載せようと思うのだ。そしてさらに長くなってしまったのだ。



質問箱に来た質問は…

①:相手の時間を奪うのが申し訳ない

②:自分が相手に有益ではない

③:推測で動いたら相手の気分を損ねる


この3点なのだな。非常によくある悩みなのだ。


それぞれとてもよく聞く悩みな反面、「そうでもないよ、心配することないのだ」ということを、どう伝えればいいのか、何を言ったら耳を傾けてもらえるのか、心に響くのかわからないのだ。


まず厳しい事から言うのだ。


「他人の内心を勝手に決めつけるのをやめるのだ」

「自分の中での他人の価値の無さを認めた方がいいのだ」


この2つはきちんと意識をした方がいいのだ。


じゃあこれからやるべき事はというと

「大事なのは相手の内心、気持ちを直接確認すること」

「人とふれあう事の嬉しさや大事な相手の価値を再確認すること」


では、これらについてていねいに書いていくのだ。



①相手の時間を奪うのが申し訳ないという話


1つ目の質問について、非常によく聞くのだ。

自分に時間を使わせるのは、相手にとって損失。


客観的に考えると、

相手の時間を奪ってしまうというのは、同時に、自分の時間を相手に与えているという事にもなるのだ。


逆に言えば、

相手があなたに自分の時間を与えたなら、それはあなたの時間は奪われることになるのだ。



つまりあなたは、

相手の時間を奪いつつ、相手に時間を奪われいて

同時に、

相手に時間を与えつつ、相手からも時間を与えられているのだ。



しかし相手があなたに自分の意志で与えた時間を「自分が奪った」とだけ認識してしまうのは何故か?

それはあなた自身のどこかに「他人に時間を奪われることへの怒り」が強くあるのではないのだ?考えてみてほしいのだ。



「時間を奪う=時間を与える」に何故ならないのか

自分が他人に時間を奪われる事、貴重な機会を損失してしまう事への強い怒りが、そのまま他人の時間を奪うことへの大きな恐怖心になってはいないのだ?



またこれも言えるのだ。

相手に一緒にすごすように、付き合うようにアプローチされたときに


あなたは「時間を与える/与えない」という選択をしていないのだ。自分の意志とは関係なく「与えざるを得ない」の一択になってはいないのだ?


自分の意志で時間の使い方を決められないなら、それは「あなたは時間を奪われた」のだ。


元イさんなら「与える/与えない」のどちらかを自分の意志で選ぶのだな。選んだなら「奪われた」とは感じないのだ。



①の疑問についてだけでも、少しは見方や考え方が変わらないだろうか?のだな。



体験してきた人づきあいのパターンが少ない

もしくは、自分にとって人付き合い自体が「避けられない人付き合い」しかなくて、自分の時間を奪われたと感じるような人付き合いしか無かったか、なのだな。

そうなると人付き合いは自分にとって「悪」そのものなのだな。


会社の飲み会や集まり事などで避けられない人付き合いのみをしてきて、他の参加自由の人付き合いはすべて拒絶してきたなら、間違いなく自分の体験してきた人付き合いは悪なのだ。


自分の知る人づきあいが、他人から加害された、奪われたというものしかなかったら、それは自分の中で「他人に付き合ってもらう」=「相手にとって有害」となるのだな。


そうではない人づきあいを知る必要があるのだ。


自分からこの人に時間を与えたい、そして相手もあなたに時間を与えたい、与えあって嬉しかった、楽しかった、そういう経験を探しにいかないとなのだな。




別の質問について

②も③も根底には同じことが言えるのだ。



②自分が相手に有益ではない

これも上の解説を当てはめていくと、

「他人が自分にとって有益でなかった」

「他人に有益だと思われた経験がない」

となるのだな。


質問の本文には罪悪感、とあるのだが

罪悪感の根底には自分への強い怒りがあるんじゃないか、と思うのだ。

ひいては他人への怒りも、なのだな。


強い怒りに対して必要なのは「赦すこと」なのだ。

罪悪感には「罪滅ぼし」「みそぎ」なのだな。


自分への怒り、自分自身の罪、どうやって対処していこうなのだな。

他人をゆるせば自分も許せるようになるかも、罪を償うために動き続ければ許せるようになるのだ?

頭をひねっていかないとなのだな。



③先回りして動いたら怒られる


これも徹頭徹尾、他人の問題なのだな。

「他人は自分じゃない」ということをきちんと理解しないとなのだ。


元イさんは熱々のお鍋が大好きで西京の食事だと思ってるのだが、猫舌の人にそれを振る舞ったらどうなるだろう、なのだ。

最高のおもてなしと思ってやったことが、いやがらせ、敵対行為とすら思われてしまうのだな。


失敗しないやり方は簡単なのだ。


「最高のおもてなしをしたいと思っているのだ。何か食べたいものや好きな料理はあるのだ?」

本人に聞くだけ、簡単なのだ。


これを聞いて無礼だと相手が感じるなら、それは付き合うに値しない相手なのだ。お付き合いするのはおやめなさいなのだ。






まとめ

自分に関わる他人への大きな怒りや、自分自身への怒りや失望、経験不足や、相手の内心を確認せずに勝手に決めつけて動いてしまう事、それらが恐怖感や絶望感、トラブルを招いてしまっているのだな。




「他人は、自分ではない」

「他人は自分のようには考えない、感じない(こともある)」


それらを踏まえてもう一度言うのだ。





なぜ具体的なエピソードも無しに「自分は他人に害を与える」という強い思い込みがあるのか、のだな。





ちょっと勇気を出してみよう、のだ。自分に時間を与える事で迷惑をかけてないか?怒っていないか?有害じゃないか?



この質問に元イさんはかなりの時間を割いたのだ。

正直に言うと大変に答えがいのある、逆に言うとコストのかかる質問に骨を焼いたのだが、



noteやキャスのネタにもなるし、勉強にもなるし、非常に有益だったのだな。




質問したことに罪悪感はわくのだ?質問主さんは元イさんに有害だったのだ?元イさんは何か機会損失をしたのだ?


もしこれでキャスの視聴者が増えたりフォロワーが増えたならむしろ、これは良い機会を獲得したことになるのだな。



元イさんは、この質問に時間を使うことを選んだ、それは元イさんの責任において選んだのだ。


ゲームや、家族や、趣味に費やせたはずの時間を犠牲にして、この質問に答えることを、元イさんのために選んだのだ。

質問主さんに奪われたものなど一つもないのだな。


もしそれを奪ったと思うなら、それは自惚れかもしれないのだ。元イさんからもし奪えたなら、それはたいしたものなのだな。



他人の心や気持ちなんて、ハッキリ言ってわからないのだ。

有害と思ったか、いやだと感じたか、わからないのだな。



それについての一番簡単で最強の攻略法があるのだ。



相手に気持ちを「聞く」のだ。



察しろとかいう意地悪な人は相手にしなくていいのだ!




あなたが相手にされないんじゃないのだ。

あなたが相手にしなくていいのだ。そんな人間関係にこだわらなくていいのだ。捨てていいのだ。それこそ有害な人間関係なのだ。






気持ちを相手に聞くのだ。素直に、あなたが何を考えているかわからず怖いと思っている相手に。



それが人とかかわる、関係する、ふれあうという事だと思うのだ。




元イさんもエスパーじゃないし相手の気持ちなんてわかんないのだ。「聞かなければ」




元イさんは聞くことが出来る、少なくとも聞くのが死ぬほど怖いというわけではないのだ。



まずは聞きやすい人から、はじめて見るといいと思うのだな。

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