ファーストデートの思い出
何故こんなテーマが目に入ってしまったのだろう。
結婚して8年。言ってもまだまだなのだろうが、こんなこと思い出すこともなかった。ファーストデートの相手の名前も忘れてしまった。
だけれど、その名前も忘れた彼女とのファーストデートの思い出だけは、化石のように余分な肉は落ち、より強固に輪郭を残して僕の脳に刻まれているのだ。
今日はその化石となったファーストデートの思い出を痛みと共に掘り起こそう。
時は2001年に遡る。
当時、僕は男子校卒の童貞だった。栃木の田舎から東京の私立文系で一人暮らしを始めた。最初こそ僕は、浮かれていた。
こんな僕でも私立文系なら彼女くらいできるはず!
しかし、法学部でそもそも男女比が3:1未満。2年から法学部だけ別校舎でサークルも入りづらい(勿論入っている人もいたが)。勉強団体に所属し、自由が制限されていた。
それに周りは高校時代に恋愛を経験している中でのニュービーという状況。
こちとら学生時代は学ランばかりで、ナイキのトレーナーが最高にお洒落と思っていたファッション。
※今だと逆にお洒落に見えるか・・・?
サバンナの中のモルモット。サイヤ人の中のチャオズ。ハッキリ言って戦いにはついていけそうも無かった。
と、まぁ大小言い訳を上げれば、それこそ枚挙にいとまがないのだが、一つだけ確実なのは挙動不審であることだった。
とにかく、女性と話せなかった。
これには絶望だった。今までは「男子校」という言い訳が立ったのだ。でも、本当は気づいていた。そんな男子校でも、同じ中学校、友人のつて、予備校で、と女子と付き合う友人もいること。
現に僕も生徒会での交流会、それに上記の予備校で女子との出会いはあった。
結局、自身の性分なのだと共学に入ることで向き合わなければならないのだった。しかし、何をするわけでもなくQueenのSomebody to loveとSlipknotのPeople = Shitを聴いて気を紛らわせて過ごしていた。
※忙殺されている人は涙なしに聴けないと思う
※精神状態はこの2曲をいったりきたりする
そんな自分であるが、夏休みに入り、男子校時代の友人と遊ぶ機会があった。自分の家に泊まりに来て、地元での教習所の出会いの話しなんぞを聞いた。
そして、深夜、友人が「そういえば、教習所でもとじいのこと知ってるとかいう女の子いたよ?予備校同じだったみたいで。常盤貴子に似てるよ!!電話してみたら?」というので、あれよあれよとそのまま友人の電話で話すことになった。
若さ、そして深夜のテンション、何より常盤貴子の力だ。
※ビューティフルライフの熱も冷めやらない2001年。やむを得まい。
正直、その子のことは全く記憶にない。しかし、そのせいか思ったより話をすることができた。その日はメアドを交換して電話を終え、また友人とバカ話をするのだった。
友人が帰った後、僕は浮かれた。女子とまともにメールすることなんかなかったからだ。しかも常盤貴子似(未確認)。
喜ばしいことに、存外、メールは続いた。
電話も度々した。
そしてある日、衝撃的な一言を聞くのだ。
常盤貴子「実は私、高校時代もとじい君のこと好きだったの。」
勃起した
僕「じゃあ、付き合おう。」
顔も覚えていないのにである。
当時はメル友から付き合うなんてことも多かったという言い訳ぐらいはさせてもらおう。ハッキリ言って人の好意に慣れておらず浮かれていたのだ。
それに常盤貴子である。ビューティフルライフ開幕じゃー!と自身は観たこともないのに思っていた。
初の顔合わせは彼女の大学の文化祭だ。栃木の大学に行って、会ってきた。こっちは覚えてないが、相手が覚えているので待ち合わせは問題ない。
顔を見るに、やはり全く見覚えがない。
ていうか、常盤貴子じゃない。
相手にはなんか痩せたね!と言われた。相手はなんかぽっちゃりしていた。
そうして、彼女の友人カップル達と学祭を回った。アウェイはなはだしいわ、常盤貴子じゃないわでテンションは低めであった。
フィナーレの花火を見て帰り道、周りカップルが手をつないで帰っているので、僕も勇気をだして手をつないで帰った。
勃起した
もうその頃には好きになっていた。そもそも、パーツ毎に着目してバランスを考えなければ常盤貴子にも見え…なくもない。高校時代運動部とのことでサバサバした話し方も男子校卒の自分には却って話しやすい。
認めるしかない、常盤貴子関係なしに彼女のことを好きになっていたのだ。
実にちょろい。
その後、変わらずメールや電話をして過ごし、次に会うのはディズニーランドになった。それはちゃんと二人きり、つまりファーストデートになるのだ。
ファーストデートで夢の国である
今の自分なら言える、「やめろ。それは張り切りすぎだ。そこには罠が潜んでいるんだ!!」と。
しかし、当時の自分にはそんなこと考えられなかった。彼女は栃木住まい、夜も遅くなるだろう・・・そうなると・・・そうなるのか!!??
僕のビックサンダーはマウンテンだった。
そうして、学園祭から1月後の12月初旬。朝一から僕らはディズニーランドに行くことになった。
気合をいれすぎて、今思えば服装もちょっとバグっていた。
彼女とディズニー。とにかくこの事実に僕は打ち震えていたんだ。思えば最後に来たのは中学時代の遠足だったか。陰キャグループの僕らはゲーセンとかいったな・・・
当時はディスニーランドにゲームセンターがあった。今となっては訳が分からないが。
当日、無事彼女と合流。キャラクターと写真を撮ったり・・・することもなく、混むであろうビックサンダーマウンテン・・・に乗ることもなく、ファストパスをとることもなく、ひたすらディズニーランドをぐるぐる回った。
よく、ディズニーランドに行くカップルは別れるっていう。それは並んでる時間で会話のネタが尽きるだとか、夢の国から返ると現実に戻り気持ちもさめるだとか推測されるが、それ以前だった。
圧倒的にプランもなければ、行動力もなかった。ファーストデートの僕には情報過多で完全にキャパオーバーしていた。
僕は「どうしよっか・・・?何か乗りたいものある?」といいつつただただ周り続ける、自分の思考と共にディズニーランドをぐるぐる周ることしかできなかった。
彼女は「乗りたいのは特にないよ。私はこうやって景色見ながら歩くのが好きなんだ。」
と言ってくれた。僕はその優しさに益々好きになった。
そして当然の如くその言葉を鵜呑みにした。
1時間半以上は歩き続けただろうか。
ただ手をつないで歩いているだけで僕はとても嬉しかった。
当然勃起してた。
そうはいっても、アトラクションを楽しまなければお金を払った意味もないというもの。やっとこスペースマウンテンに乗ることに決めた。これは中学時代乗った数少ない乗り物である。
開園後1時間半以上も経てば普通に混む。その行列の中で僕はまさかの小学校の同級生(男)を発見してしまう。彼らもカップルだし今思えば、むしろ面白いとこなのだが、付き合っているということが妙に恥ずかしくて焦りに焦った。
童貞のニュービーここに極まれりである
その後、昼にマクドナルドを食べ、またぐるぐると歩く。並ぶとまた友人に出くわすのではないかと気が気でなかった。
スプラッシュとビックサンダーマウンテンくらいは乗った。パレードくらいは見た。でもそんなもんだった。
そして、夜のパレードも風が強いせいで妙に短いパレードだった。まるで僕らのデートかのような密度の薄さだった。
帰り際、人もまばらになって僕は一大決心をした。
僕「キス、してもいいかな?」
彼女「え、ちょっとそれは人もまだいるし…」
確かに人はまだいる。しかし、僕らは遠距離恋愛。何か証が欲しかったのかも知れない。かといって、食い下がるほどの度胸もなく
僕「そうだよね…えっとこの後どうする?」
彼女「遅いし帰るね。」
僕の気持ちと反比例するかのように彼女のテンションは低かったのだ。そりゃそうだ、ディズニーで1番費やした時間が散歩である。とんだうっかり八兵衛だ。
仮に黄門様といえどディズニーランドを数時間散歩したら助さん角さんも印籠を質に入れてゆみかおると駆け落ちするだろう。何を言っているかもはやわからないが、少なくとも僕の印籠が活躍することはなかった。
結局、僕のビッグサンダーはイッツァスモールワールドだった。
そのデートの後もクリスマスをどうしようかとかメールをしてた。挽回をしなくてはならない。しかし、そんな思いもむなしく、ファーストデートから一週間後、僕はメールで振られることになる。
理由は
彼女「何か違うから」
何か違うって何!!??
当時は思った。でもまぁ今なら分かる。
面白い話をしようと、楽しませようとして自分の話ばかりしてたかもしれない。
その癖、ディズニーでは主導権もなく、相手にまかせっきりに思われたのかもしれない。
帰り際、キスだけ迫る割には、その後の食事などのノープランになおさら呆れられたのかもしれない。
勃起に気づかれていたのかもしれない。
結果、「何かが」違ったんだろう。
彼女「私は好きじゃなくなると、嫌いになるタイプだからもうメールしないでね。」
もうコテンパンである。こちとらライフはとっくにゼロなのに。
しかし、今思えば、この時変に希望を持たせられたりしたら固執したかもしれないし、良かったと思える。サバサバした彼女の優しさだったのかもしれない。
結果としては、キスすらせず、3ヵ月で会ったのは2回という、付き合っていたかどうかすらもわからない恋愛であった。
あれからもう17年もたつ。
振られたあの頃よく聞いた今宵月の見える丘にでも今日は聴こう
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