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お勧めの習慣

何をやっても三日坊主に終わることの多い自分にとって、複数年続いていて、有益で、他の方にお勧めしたい習慣がある。それは10年日記だ

1日のスペースに書けるのはほんの3-4行。もし1週間程度書くことを忘れたとしても振り返って書くのにそこまで負担感はない。なんせ3-4行なので。
なぜこれがお勧めなのかその理由について述べてみたい。


  • 自分の成長の過程が垣間見える。書いてるのは同じ人間である自分なので、見聞きしたり経験したりしたことについてどうしても似たような感想を持ってしまう。そこにはなんらかの感情の起伏があったりするわけだが、これを後で振り返った時、微妙な変化に気づくことがある。それが成長なのだろうと思う。或いは後退したのか?

  • 自分の人生は随分単調な感じがしていたのだが、日記を書き始めて意外とそうでもないことに気づいた。なんと変化に富んだ、そして豊かな人生であることかという点に気づくことができる

  • 辛かった時代の自分を見て愛おしく思う。深いトンネルに入ってしまい何をやっても深く楽しめない悶々とした日々。その時は辛くてしょうがないが後で振り返ると(特に年月が経つと)良い思い出だったりする。そしてその不遇の時代を頑張って乗り越えた自分を褒めてあげたいと思うと同時に、そのトンネルから抜け出すことを助けた人がいたことに感謝し謙虚でいたいと思うことができる。(自分は調子が良い時はホント調子にのるので定期的にリセットするのに良い機会。)

  • 他人を思いやれるようになる。5年前一緒に笑いあった人がその2年後に他界しそれを(5年後の)今振り返るようなことをすることがある。勿論この数年で自分の人生に新たに加わった人もいれば去った人もいる。こちらが加わってほしい/去らないでほしいと思っていても、或いはその逆でも容赦なく入れ替わりは起き続けるし一方でずっと傍にいる人もいる。

  • 老後の楽しみが増えるだろう。親をみてると老後って何だろうかと思う。将来こうしたいという希望や気持ちが徐々に消え去り、病気や不自由や知人との離別といったあまり楽しくない今に向き合うことに加えて、「あの時こうだった」と昔を振り返ることも増える。写真などを見て懐かしむこともあるが、もしそこに自分の考えを記した日記があったらどうだろうか。きっと楽しいに違いない

ここまで読んで頂いて面白そうと思われた方に一つだけ強いアドバイスがある。
できるだけ起きたこと、例えば晩御飯に何を食べたとか誰に会ったとか何したということだけじゃなく、その時にどう思ったのか、それはなぜだと自分は考えるかということを記した方がいい。そっちの方が振り返った時に楽しいので。
後、これはどっちでも良いが、英語で日記をつけるとそれはそれで良い訓練になる。最初こういう場合どう表現するか?と調べてばかりだったのがほとんど調べなくてもすらすら文章が出てくるようになる筈だ。

自分が使っているのはちなみにこちらの石原出版社さんのものだ。

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