短編小説02◆あの夜に見た未来
店のウィンドーに映る自分の姿は、逆光で黒子のように見えた。その後ろには、鮮やかな色を纏った人々。まるでスクリーンの中の別世界のように幸せそうに映る。 孤独がじわじわと悪寒のように全身に広がって行く。おかげで、これから向かう場所への覚悟ができた。もう迷うこともない。しかし、こんな時なのに。いや、こんな時だから、なのか。ふと思い出していたのは…。
知り合いのクラブイベントで幼馴染みの真世(まよ)を見つけた。知らない男の膝の上で無邪気にはしゃいでいた。オレと目を合わせた途端。視線を外すことなく手に持っていたシャンパングラスを舌で舐め上げた。あからさまな挑発。面倒な事になりそうな予感しかしなくて、挨拶もそこそこに店を出た。
あてもなく246沿いを歩いた。気配を感じて振り返ると、息を切らしながら片手を腰に睨みつける真世がそこにいた。イヤホンを外して向き合った。
「あっきー、待ってってば…」
飲み直そうという真世の提案には、気が進むワケもなかったが、むげにもできず、明け方までやっていそうな居酒屋を探して裏通りに迷い込んだ。飲み屋よりも先にホテルのサインに目を奪われ、どちらともなく薄暗いエントランスに向かっていた。
「柔軟剤の匂いがする」
おれの脱いだくつ下を両手で掴み顔に押し当てて言った。
「なにしてんだよ」
失笑混じりに言うと。
「結婚、知ってるよ。誰か忘れたけど。友だちから聞いたから」
分かってて誘ったのか?苛立ちを隠せずそう言いかけて唇をふさがれた。
「バカ。自分だって・・・そんなことで不機嫌にならないでよ。もうちょっと大人になってると思った」
そう言うと、顔をくしゃっとさせる。そう、強気な物言いの後のその仕草に何度も誤魔化され、それはその場しのぎのようでいて、その実、いつも最良の結果を導き出していた。
こんな場所にこんなタイミングでいることの因果を感じずにはいられなかった。
友達の年子の妹だった真世を意識したのは、高校の頃、バイト先のファミレスで一緒に働くことになった初日のことだった。フロアでサラダバーを担当していたオレが、客のクレームを受けている時に、真世がデザートを誤ったふりをしてその客のテーブルに持ってきたのだ。その機転の利かせ方と絶妙なタイミングが、昼ドラぐらい芝居がかっていて、白々しさしかないんだけど、それを受け入れさせてしまう愛嬌と感じの良さがあった。店長も真世のそんな接客を高く評価していて、トラブル対応の最終兵器なんて言っていたぐらいだった。そして、その日のうちに恋に落ちた。いや、誰かが好きになる前に、そんな自分よりもはるかに魅力的な女を野放しにしておくことに恐れを感じていたのだ。
久しぶりに抱いた真世は、あの頃以上に、手荒い扱いに感度を高める従順さがあった。求められれば求められるほど、憎らしく、激しくサディスティックな感情に支配された。熱いシャワーを浴びた後も昂った気持ちは収まらず、備え付けの冷蔵庫から缶ビールを抜いていっきに空ける。しかし、酔いが回る前にどうしても言いたいことがあった。
「おれ、バイセクシャルなんだよ。結婚してからもずっと忘れられない男がいてさ。真世も知ってる男。バイト先の店長だった佐々木。大学出て就職して二年目だったかな。あの店が外資系FCに吸収合併されて、佐々木が出向させられた先のビアパブに偶然、仲間と飲みに入ってさ。始まっちゃった」
これまで誰にも言えず、やっとのことでカミングアウトしたつもりだったから、真世の次の言葉には驚きを隠せなかった。
「あっきーが店長を意識してたのも、私に対してすごい嫉妬心があったことも、何度も感じることあったから。あの頃は、あたしをもっと束縛したいのかな? ぐらいに思うこともあったけど。やっぱりなって感じ」
異性との浮気がバレたぐらいならまだ踏みとどまれたかもしれない。しかし、隠し通すことも、別れを切り出すタイミングも上手く計れず、まだ新婚とも言える二年目にして、妻とは世間体という見えない鎖だけでつながった冷えた関係になっていた。
そして、真世はシングルマザーだと打ち明けた。会社ではパワハラを受け、精神を病んだことも。それからというもの、定職にも就けず、結局、一番大切に守ってきた子供を施設に預けるという形で取り上げられてしまった。つらい今を表情ひとつ変えず淡々と話した。
愛するものをただ愛でることさえ許されない。その深い哀しみに、痛いほどシンパシーを感じた。
「あっきー。あたし、もう疲れちゃったんだ。一緒に死ぬ? どうせつらい未来しかないんだから」
わずかにカビ臭いラブホテルの一室で真世にそう言われたあの夜にきっと種は植え付けられていたんだ。だって。彼女は、いつも正しかったから。
あたりが急に暗くなって、ショーウィンドウに映る風景から色を奪う。人々の表情もモノクロームの陰に沈んで消えた。雷が遠くで低い音を鳴らしている。さあ、行こう。もう終わりにするべきだ。