短編小説03◆誰がためのリヴィングデッド
「気をつけてね」
母が声を掛けたのはペットのラッピー。見た目は柴犬のような昔の日本犬そのものだけど、彼は犬型のAI搭載ロボット。
寝たきりだったお爺ちゃんがこうして毎日散歩に出られるのは、腰に装着しているコルセット型の歩行補助ロボットと頭に埋め込まれたチップでラッピーと連携が取れているおかげだ。ちょっとぎこちない歩き方ではあるけれど、町に出ればそんなお年寄りで溢れている。これが、僕が物心ついてから普通に見かける日常の風景だ。
『LITA リータ』と呼ばれる頭に埋め込まれたチップによって認知症や成人病の予防と悪い生活習慣が抑制され、世間では老々介護を含めた長寿に起因する弊害が取り沙汰されることがめっきりなくなっていた。
いつものようにラッピーに先導されて食品倉庫に到着するとチップに送られた地図通りに各エリアを移動する。順路をトレースするだけで品物はカートに収められ、出口で自動精算を終えるとカートそのものが、輸送機となって、登録されている宛先に届けられる仕組みだ。
老人たちは、買い物を終えると、RICOサロンと名付けられたメンテナンス・ステーションに寄ってAIロボットの点検と脳に送られる神経言語へのレスポンス解析が行われる。これが彼らのミッションで、ほぼ毎日のルーティンとして続けさせられていた。
僕が住む末永区は、国が主導する「夢シティ計画」のモデル都市になっていて、高齢化問題への対策と地方自治の充実という表向きの目的とは裏腹に国の財政維持と人件費削減のために、老人たちをAIでコントロールし、こき使っているのが実態だ。
かつて『LITA リータ』の開発に大きく貢献し、国民的英雄と讃えられた太我博士でさえ、見る影もなく老いさらばえた現在は、身寄りのない老人TGとして、皮肉にも他人の買い物ミッションを粛々とこなすロボットと化していた。
「お帰りなさい」
母が声をかけると、ラッピーは通常のペットモードに変わり、リビングの一角でうたた寝を始める。お爺ちゃんも部屋に戻って全ての装備から解放されるとベッドに横になり。コンパクト・プラネタリウムから天井に映し出される美しい夜空を眺め。催眠の呪文をインプットされながらスリープモードに墜とされてゆく。
こうして全く手のかからなくなった老人たちは、生きる屍のようにやり過ごすだけの日々をただ送っていた。
首都と隣接する周辺のエリア全てをカヴァーする変電所を直撃した落雷によって末永区も全域が停電になった。
その深夜。虎が起きた。横になっていた老人TGは、ゆっくりと体を起こすと自分の意思で全ての装備を身につけて、ただの箱のような家を出た。
彼らをコントロールしていたRICOサロンのシステムが落雷によって破損し、老人たちは自由になった。
太我博士としての意思を取り戻した老人TGは、自ら制御を外し、新たににプログラミングを施したLITAで、老人たちの自立を支援すると同時に支配されないための独立した組織と共助コミュニティを立ち上げた。
それ以来。老人たちは、誰に迷惑をかけるでもなく。無為に過ごした時間を取り戻すように、毎日を精力的に生きている。
「おいラッピー。ぐずぐずせんと散歩行くぞ」
お爺ちゃんが声をかけるとオデコの出っ張った少しだけブサイクな柴犬が、ぴょんと居間から飛び出して後を追いかけてゆく。
LITAのおかげでアルツハイマー病から回復したうちのお爺ちゃんは、大好きだった囲碁が打てるようになり、ラッピーを連れて新しいRICOサロンに通い始めた。その帰りには、今までどおり、家族のための買い物もしてくれている。もちろん自分の意思なのだから仕方ないのだけれど、酒好きなところも回復して。カートからこっそり抜いてポケットに忍ばせたバタピーをつまみに、若いころから愛用しているスキットルボトルに入れたウィスキーをチビチビと歩きながらやっている。
僕はと言えば、大学の近くに見つけた中古レコード屋とカフェが隣接した、ケイジャン・キングという名の飲み屋に入り浸っている。
僕にレコードのイロハを教えてくれたお爺ちゃんのおかげもあって、マスターから若いのにアナログ盤に異常な興味を示す珍しいヤツと、可愛がってもらっている。
御年七十五歳になるマスターは、かつてブルース・ハープで鳴らしたミュージシャンで、本場ニューオーリンズで行われる大きなフェスで、子供の頃からずっと憧れ続けてきたミュージシャンと同じステージに立ちハープでバトルをするという信じがたい経験をしたらしいのだ。そんな逸話に惹きつけられてやってくる若いバンド連中に、ルイジアナの音楽を聴かせては、ウンチクを傾けるのが生きがいになっている。
あの夜の突風と雷は、自然災害ではなく、虎(太我博士)が仕組んだという噂がまことしやかに囁かれていたのも今は昔。数十年前に流行した都市伝説のようなものだ。