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時間鳥が奪ったもの

車の中で、馴染みの交差点に差し掛かり赤信号で止まることになった。僕は信号待ちをして横断歩道を歩く女性を見ていた。その姿に少し前に起きた僕のことを思い出してしまっていた。

その日はこの交差点の横断歩道の前で信号待ちをしていた。車ではない。ただそれだけの筈だった。思わず声を出してしまいそうな気持ちの良い晴天だった。僕の横には女性が一人で立っていて、この天気では決して開くはずのない傘を持っていた。少し離れたところから、歩道を散歩途中の犬が、喜びを演じているかのようにわざとらしく尻尾を上に向けこちらへ向かって来ていた。

犬を連れている人間が存在していたのか、していなかったのか僕の記憶では定かではない。そうなると、犬を連れていたのは男性だったのかも知れない。僕の記憶の繋ぎ方はおよそ女性しか残らない。思春期を越えて、女性を知った頃から思い出せる自分の記憶は、いつも女性ばかりだからだ。僕の世界では男性は見えない世界で生きているのかも知れない。だから、もし女性が犬を連れて散歩していたとするのなら、事細かに描写することが出来て、決して喜びを演じているような犬には見えなかった筈だから、きっとそういうことだろうと感じていた。

赤信号が青信号に変わるまでの間に立ち止まりながら少しの間僕は戸惑っていた。僕はいったいこの時間で、何を待っているのか考えていた。生まれてからずっと赤信号は止まれと教えられて生きてきた。それが世界のルールだと教えられて生きてきた。

この歩みを強制的に止めなければならないルールで、もしかしたら止まっている間に止まっている人間に対して、世界中で何かが行われているかも知れないと不安になってきていた。

一度赤信号で歩みを止めた間に、同時に世界中の赤信号で止まっている人達の時間を足したら一回の赤信号で合計24時間経過してしまうのではないかと考えた。それが、数秒置きの赤信号で世界で多発してるのではないかと考えた。そうなると、一日でいったいどれだけの時間を世界中で赤信号に捧げているのだろうか。

そして、肝心なのは本当に捧げているのか、もしくは強制的に奪われてしまっているのではないかということだった。

僕は、だいたい楽観的には考えられない。仮に強制的に奪われているとしたら、先にその覚悟を持ち合わせておいた方が気持ち的に楽になるからだ。だから、奪われているかも知れないと考えた。

たった一度信号で止まっただけで、世界中の人間の止まっている時間の合計、24時間以上の時間を「時間鳥じかんどりに奪われている」気になってしまった。実際に僕が生まれてから今までに時間鳥に奪われた時間も考えてみた。

時間鳥。それが何かを知る術はない。

もしかしたら、僕の時間も時間鳥にすでに24時間以上奪われているかも知れなかった。

止まれと言われて教えられてきたばかりに、僕の時間は自動的に奪われてしまっていたのだ。この事実に気付いた僕は、このルールを創った時間鳥の恐ろしさを知った。

時間鳥は、自分が決めさせたとは分からないように、人間が自分達で決めたように思わせる絶対に覆せないルールを創ったのだ。赤信号を止まらなければどうなるか、誰にでも想像出来るように教えられてきた。

このルールは例えどんなに正しいルールであろうとも、自分達の利権のために何かしらの言い掛かりを付けてルールを変えようとする人間達が束になっても「赤信号で止まる」という絶対的なルールに関して、未だにそれを覆せないでいる。

仮に信号無視をして、事故などを起こしてしまったのならば厳罰が加えられるという具合にだ。それほどまでにして時間鳥は、なぜ人間から時間を奪っているのか考えていた。

この集めた時間をいったいどうしているのだろうか。

強制的に集めた時間は、何か強制的にどこかに持っていかなければならないルールが在るのではないだろうか。もしかしたら、時間鳥も何かから何かを奪われているのかも知れない。

時間鳥が精一杯人間から運んだ時間は、もしかしたら「明日」を創っているのかも知れない。

僕は、とんでもないことに気付いてしまった。

人間は生態系の頂点にいて、決して奪われないと教えられて生きてきた。だが実際は、赤信号という決められたルールで止まった時間を時間鳥に運ばれて明日を創っている別の生態系の一部だったのだ。

そうなると、人間は創造の生態系の中では最下層かも知れない。無条件で止まって奪われていくだけだからだ。それなのに止まっている間もニコニコと人間同士で話している人達もいる。誰も怒っていないのだから素晴らしい。

なんと扱いやすく、奪いやすい存在なのだろうか。とても時間の等価で明日を創れると思えない。だから何ヵ所も信号があるのだろう。簡単だが割に合わないのかも知れない。

そうすると、本当に時間鳥は、何も考えずにただ奪える人間の時間を運ぶだけの仕事に面白味を感じるものなのだろうか。

時間鳥の時間を運ぶ時間は、本当に面白いのだろうか。

それはやがてきっと何か変化を付けたくなるに違いない。それは、きっと他の時間鳥に見付からないように、最初は秘密裏にバレないように全部を見せずに始める筈だ。他の時間鳥と違う時間の運び方をする時間鳥は、とても異質だ。普通ではない。存在が明かされてしまったら、排除されることになるかも知れない。でも自ら変化した時間鳥にはそんなことは関係ない。排除されようとも、面白いということに気付いてしまった好奇心と実行している時間の方が大事だからだ。そして、それを面白そうだと真似る時間鳥が密かに現れ始めて、明らかにならないように真似をし始める。それは真似ではすまなくなり、さらに変化させる面白味を知り始める時間鳥が現れる。そして、やがてそれが当たり前に変化するかもしれない。

だって面白いからだ。

当たり前になるくらい遊んだら、それはまた時間鳥の中で普通に変化する。

僕は頭の中でそんなことを考えていた。僕の頭の中では、変化の途中が一番面白そうだった。中途半端なものこそ大事にするべきだと思えていた。

何かの答えにたどり着きそうな時に信号が変わりそうな気配を感じた。どんなことでも答え合わせが出来ないように上手く出来ている。

本当のことは何も知らなくても良いことかも知れないと思わせるには充分な時間だった。

僕は、時間鳥とサヨナラをし、別の世界から帰ってくるように言われている気になっていた。普段は点滅している信号も明減しているようにゆっくりとした時間を感じていた。

そんなことを、信号待ちで考えていただけだった筈なのに、女性が遠くから向かってくる散歩途中の犬に遠慮がちにしゃがみながら「こっちへおいで」と言っていた。開くはずのない傘は居場所を失くしたしように女性に寄り添っていた。

犬にとっては、女性の方へ行くも行かないのも自由なのだが、犬は女性を避ける感じで僕の方へやって来た。女性は恥ずかしそうに僕を見上げたが、僕は女性のその上目遣いを見れて、犬に感謝した。女性は犬などはじめからいなかったかのように美しく立ち上がり、雨も降っていないのに開くはずのない傘を開いてみせた。

信号が青に変わり、女性は僕の前を歩いた。その後ろ姿を見ていると、雨なんか降らなくても傘を開くことは正しいと思えた。そして何かを奪われるのは自分だけで良いとさえ僕は思えた。

僕は犬にサヨナラをして、女性の後を追いかけるように横断歩道を渡った。

そんなことを思い出してしまった交差点で、再び信号が変わろうとしていた。僕は車の中で女性を追いながら、目の前のことに集中することにして時間鳥の存在を忘れることに成功した。

なんのはなしですか



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コニシ木の子
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