岩手のアニキ
誰かの記憶の誰かのはなし 7
岩手県水沢市
大阪府豊中市
熊本県八代市
2005年のKONISHIKIのCD、「LOCO STYLE」の日本縦断走り売りの中でも、圧倒的にその後の僕らの人生に影響を与えた人に出会った町である。
今回は、岩手のアニキのはなし。
岩手の盛岡に入ったポップとバザーの2人は、繁華街のお店を訪問しながら旅の事情を話し、宣伝し、営業していた。
町では、やはりキャリアカー付きの自転車は目立つ。
目立つ所に自転車を置いて、お店に入っていく。
そこで、旅の趣旨と事情を話していく。そして、営業するのだ。
この頃、ポップもバザーも僕の記憶では飛び込みで営業する事に、何の躊躇いも無くなったと言っていた。
旅を初めて2ヶ月くらい。
そんな事を簡単に出来るような奴らではなかった。
何も知らない町で、店先に自転車を停めて、中に入って行き営業する。
その難しさは、僕が東京での営業で、一歩が踏み出せない事でよく理解していた。
2人の成長が、僕を追い詰めていたのも間違いない。ただ、僕はそれを認めつつ2人には一切見せなかった。
これは、意地である。
僕は、2人には、
「もっとやれ」「もっといけ」「面白くしろ」
ほぼ、毎日この会話だったと思う。
僕らは僕らで、妥協は一切しないのが暗黙のルールになっていた。
盛岡にオシャレなお店がある。
DETOROA
ポップは、お店に入って営業した。
お店のスタッフの方が面白がって話を聞いてくれた。
話をする中で水沢市のお店にも顔出しなよと紹介された。
「え、いいんですか?行きます」
ポップは、答えた。
そして
バザーは、調べた。
盛岡から水沢67キロメートル。
2人の移動手段は、自転車と走りである。
途中、ご当地アイドルに遭遇したり
道行く人に営業しながら、
2人は水沢市にたどり着く。
水沢のDETOROAに着いた2人を待っていたのが、ヨシカズさんである。
ヨシカズさん。少し紹介するならこうなる🤔
怖い外見とは裏腹に、面倒見がいいアニキ肌。「なんでもやりなよ」と背中を押してくれる包み込むようなオーラを感じるやんちゃな大人。
盛岡のお店から話を聞いていたヨシカズさんは、2人の事を、面白いガキを見つけたとでも言わんばかりに歓迎してくれた。
お店で寝泊まりさせてくれて、とにかく2人をいろいろな場所に連れて行ってくれた。
居酒屋、クラブイベント。とにかく、飲め。営業しろ。
毎日、連れ回してくれた。
この町が大好きだというのが、思いっきり2人には伝わったらしい。地元が大好きな大人というものは、とびきり魅力的に見える。
僕らが現在、地元である、神奈川県伊勢原市を大事に思うのは、少なからずこういう出会いに影響されている。
連れて行ってもらっているうちに、ポップは真剣に考えたという。
以下ポップ談。
もし、ヨシカズさんが伊勢原市へ来た時俺は、伊勢原のどこに案内出来る?
伊勢原のどこが面白いか喋れるか?
俺は、伊勢原の事何も知らない。
もっと伊勢原の事を知らないとダメだ。
その時、神がポップに降りたという。
「ヨシカズさん、伊勢原に来たら連れて行きたい所あります」
「どこよ」
「抜群の知名度と集客力のオアシスです」
なんのはなしですか
オアシス。当時伊勢原で、ネオン輝いていた伝説のキャバクラであり、皆のオアシスである。
僕らはオアシスで育ってきたはなし。
ポップとは天然である。
なお、現在は存在しない。
一緒に行きたいと言っていたヨシカズさんを思い出す。
今回、久しぶりにやり取りしたヨシカズさん。
写真使っていいか聞きました。
「俺にとっても大切な青春の時間。3人と乾杯出来る時を楽しみにしてる」
やっぱりこんな大人になりたい。
と言いながらもうすぐシジュー。
あ、そういえば名前は勝手に出している。すみません。
とんだ大やけど
そうそう、バザーは、ゴールした後の夏。 DETOROAへバイトしに行く事になる。
それは、別のはなし。
たった5日の岩手での出会いだが、15年以上経過した現在も僕達を揺さぶる。
人に優しくされた記憶はずっと残る。
優しさバロメーター装備のポップは、
お別れした後、止まらない涙を流しながら走ったらしい。
それを見て、バザーは、後ろから自転車を走らせる。
ちょっと「オシャレ」になった2人は、一関を経て、宮城は仙台へ向かう。