「憧れの人」になった自分は、本当に違う自分が存在しているのではないかと疑った。
「そろそろ会いたいと思うのですが、予定どうですか?」
その連絡が来たのは九月中旬だったと記憶している。私としては今年は珍しく精神肉体ともに疲弊していた夏であり、人に会って会話をして、癒されたりする余裕などを感じることが出来ない日々だった。
「今は忙しくて。冬になったら会えると思うから」
まさか私が女性からの誘いを断るなんて。
「いっぱい女性と出会えて、いっぱいお話が出来た人生で楽しかったなぁ」という想いの中で人生を終えると思っていたのに、この夏の疲労は自分自身を思いもよらず裏切ってくれていた。
「心」を「亡」くして忙しいと呼ぶ。
予期せずにそれを実感することになり、私は自分で自分を裏切ってしまった重大なことに気付いてしまった。これは、生涯許せぬ出来事であり、これにより人生を終える時に「あの時、一度だけ断ってしまったな」と陥る自分が許せなかった。
思い起こせば「40代は恋愛対象外」とハッキリ言われて、初めて出会った日。
新橋で、今でもしっかりお世話になっているキレイなお姉さん達がいるお店の前を通り「今は行ってないけど昔は行ってたよ」と嘘をついて歩いた日。
そして、私の知らないところで、私に彼女が出来ていて、さらに勝手に別れていたと知った日。
こんな素敵な日常をくれた、私に対して憧憬を抱く彼女の誘いを断るなんて。それはもう、後悔して日々を過ごさぬワケなどなかった。
そして今回、裏切った自分とサヨナラすべく四度、その約束を実行したのだ。
私はもう自分を裏切らない。
事前のメッセージのやり取りで「なるべく長い時間お話したいの」と言われていたので、私は用事を早めに済ませ愛車を飛ばし、予定より早く到着することを満を持して連絡した。
「えっ?あと一時間くらいかかりますけど」
と、努めて冷静に、そして若干の戸惑い隠さないまま素直に言われた。
「なるべく長い時間お話したいとは、いったい何だったのだろうか」
この疑問が頭によぎったのだが、大人はこんな時に挫けたり、焦らない筈だと言い聞かせ一言だけ返事をした。
「ごめん。時計が狂ってた」
我ながら完璧なメッセージだったと思う。これで私のはしゃいでる感も、時間間違いでもないことが立証されたのだ。そして約束通りの時間にやって来た彼女は、お約束通りに私の愛車に乗る前に躓いた。
躓く女性を見るのが久しぶりだったので、これは何かの策略かも知れないとすぐに感じていた。
「お待たせしたので、お詫びに珈琲どうぞ」
笑顔を見せながら、私に憧憬を抱く彼女は、珈琲を差し出した。
「これから珈琲飲みに行くんじゃなかったっけ
?」
「あっ。そうでした。すみません」
このやり取りで、私は一年振りに会う彼女を心の中で絶賛した。次に会うまでにてへぺろ☆をマスターしておくように伝えておいたのをきちんと忘れていなかったようだ。
確実に「すみません」の言葉を発した頭の上に☆が浮かんでいるのが見えた。そして、これはきっとマイトン好みのおかしな女性方向へ進んでいると思いとても嬉しかった。
店に入ると小さな段差にすかさず躓いていた。まったく抜け目ない。しっかり成長している。
珈琲や、食事をいただき、久しぶりの近況報告をし、私に憧憬を抱く彼女の表現へ向かう悩みを聞いていたりした。私は話を聞きながら特段その内容のほとんどは頭に入ってこなかったのだが、私が気になったのは、会うたびに大人の雰囲気に変化しているその空気感だった。
だがそれを口に出すことはしなかった。
会う回数を積み重ねると変化を知れるものだなと感じていた。纏っている空気に浮わついた感じが無くなっていた。社会に出て働きながら経験したものや、感受してきたものが、所作や語り口からも感じられ、以前よりも落ち着いて見えた。
以前のように、ただその純粋さから発せられる興味本位な言葉とは違い、迷いながらも答えを探そうとし、一つ一つ真剣に考えている重みが加わっていた。それが大人になることなのかは分からないが、確実に変化をしていて、それを感じるのは寂しくもあり、嬉しくもあるが、これからさらに魅力的になっていくことを考えても、それが嬉しいのは旦那さんであり、私には何にも恩恵がないので考えていて悲しくなり、とても残念であった。
軸が定まらない自分を不安がっていた。
それは、そのまま出して記しておいた方が良い。揺れるようなことは、歳を重ねると素直に出来なくなることだからだ。歳を重ねると自分を飾ったり覆うことが上手くなり、本当の言葉をだんだんと書けなくなる。考え方を変化させられなくなる。
凝り固まり変に反論するようになる。
今、自分がすごくみっともなかったりしても、きっとその表現は内面を描いていて一番響くと思うし、私からすれば羨ましいと思う。
というようなことを言ったかも知れないし、言わなかったかも知れない。
いつの間にか、若さを通り越してしまった自分を重ねて考えていた。
「で、一番聞きたかったことは何なの?」
私は聞いた。私に憧憬を抱く彼女は、その微笑みも昔からの無邪気な真っ直ぐな一つのパターンではなく、この日一番の流し目をして、上目遣いを装い、私を刺すように囁いた。
「京都は楽しかったんですか?」
このベストタイミングで「なんのはなしですか」と出てこなかった自分が恥ずかしかったが、なんのはなしかまるで分からなかった。
「女性と三回くらい会ってますよね?」
京都、女性。このキーワードで私の過去の全記憶を遡ったのだが、そんな女性は存在しなかった。
「『三回会ったことある』と言っている方が関西の読書会に出現しております」
悪い顔をしている。いつからこんなに悪い顔を出来るようになったのか知らないが、焦る私を見て楽しんでいる。
私には寝耳に水も良いとこだった。
私は、全記憶を全力で思い出そうとし、遡りながら過去の女性達にもウィンクしながら挨拶をし頭の中をさ迷ったのだが、該当する女性はやはり居なかった。
「それはいつの話?」
「一ヶ月ほど前の話です」
現在進行形なのか。私はなぜかクラクラした。仮にもし、三度も同じ女性と出会っていて、わざわざ私が関西まで出向いているのだとしたら、確実に何かしら触れている。
手を出しているはずだ。紳士でいれないはずだ。
駄菓子菓子、触った記憶もなければ、香りを感じた記憶もない。残るのは圧倒的な敗北感だけだ。
これは、またしても言われ損だ。
この手の話題でいつもガッカリするのは、すべて言われ損だと言うことだ。ここでこうして違うと言ってもあとの祭りだ。否定すればするほど真実味が増す。
嘘など付かずに、なぜ最初から誘ってくれないのだ。
私からしたら、少しでも触れさせてもらったり、感じたものがあるのなら、正々堂々フフフと述べるのだが、誰なのかすら分からない。しかも、もう辞めて何年にもなるInstagram関係の読書会である。
「もしかして、それ私の本名で言われてる?」
私は恐る恐る聞いた。
「そうですね。受賞はInstagramでも話題になりましたが、本名での話題でした」
悪い顔をしている。
私の本名は、いったいどこまで色んな女の人と遊んでいるのだろうか。去年は、知らない間に女性と付き合っていて、知らない間に別れていた。今年は三度も女性と京都で会っているという。
もう、別の誰かが私役なのではないだろうか。
それなら私は、そっちの私に憧れる。
モヤモヤとしたまま、駅まで送って行くことになったのだが、車から降りて私に憧憬を抱く彼女は期待どおりに三度目の躓きを華麗に魅せてくれた。
躓きながらも、進んでいく彼女の姿は微笑ましかった。
私は、貰った珈琲を飲みながら帰宅し、その日の夜には立ち直り、かなりタイプの女性にメッセージを入れていた。実際に返信がきてもこなくても、返信を待つ間にすぐにデレデレとしてしまう自分に、私は本当に大丈夫なのだろうかと思わずにはいられなかったのだが、これが私なのだと納得していた。
なんのはなしですか