息子と名乗った想いを、生涯忘れることはしない。2024年のオマケ。
車の中で、久しぶりに私からポップに話しかけた。私からポップに話しかけるのはいつぶりだろうか。それを思い出す限り、前回会った時だから二週間ぶりだろうか。
「今日、大関に話そうかなと思う」
「ああ、言うんだ」
それ以上、何かを聞く素振りを見せないポップに感謝した。
この日、今年一年の報告と顔見せを兼ねて、大関に会いに行った。大関とは元大相撲大関小錦八十吉、タレントのKONISHIKIのことである。
私達と、大関との付き合いは20年になる。私達の人生を変えてくれた恩人だ。価値観が全てひっくり返った20代を、この人と出会えたこと、過ごせたことを抜きにして、私達の人生など語れない。もう人生の一部だからだ。
どれだけの想いを綴っても、安っぽく見えるから書き連ねたくないのだが、それでも私は書くことを挑戦し続けると思う。私達の生きた証を自分の表現で記すことを、生涯続けていきたいからだ。
久しぶりに時間の許す限り三人で、目一杯、何時間も話をした。一つも伝え忘れがないように思い出しながらだ。会話は私達の近況報告の筈だったのだが、いつの間にか大関の話は笑顔のまま止まらなかった。
これからやりたいこと、今手掛けていること、こうしていきたい、ここの目標に向かって進んでいる。
止まらない話を私とポップは大きく頷きながら、精一杯理解しようと話しについていく。
先の話しかしない。
本当にいつもそうだ。
嬉しそうにアイデアを話して、私達がそれを聞いて、出来る限りふざけた解答をして怒られる。ずっとその繰り返しで私達は続いている。
大関は、私達に話したことを成し遂げる。
今まで聞いてきたこと全てが形になっている。
私は、どうしたらこの人みたいになれるのか。追いつきたいと、背中を見ながらこの20年間を生きてきた。
20年前に大関と出会った当時の大関の年齢が、今の私達の年齢だ。
少しも追いついていない。
私達の人生は、大関から貰ったものを返しているに過ぎない。人に貰ったものを返す。当たり前のようにそれを自然にしている人を見続けてカラダに染み込んでいる。
人に裏切られようとも、裏切るようなことはしない。
それがずっとそばで見て感じてきたことだ。社会人に成り立ての私が大関のそばにいて、出来ることなんて限られていた。それでもどんな失敗をしても、呆れて笑いながら、接してきてくれた。
色んな場所に一緒に行き、色んな人に一緒に出会ってきた。
人間には、良い人も悪い人もいることを知った。
もしかしたら、何も知らないで、ただ大関をただ好きだというだけでそばにいて、認めて貰いたい一心で、がむしゃらな姿が可愛かっただけなのかも知れない。
私達が大関に提案したことは、誰に反対されようとも「やりたいならやれ」と、私達の背中を押してくれた。
「目の前のことを好きなように精一杯やれ。
それ以外のことは、こっちの話だから何も気にするな」
私達は、私達を信用してくれて、全力で味方になって支えてくれる、そういう大人が実在することをこの時初めて知った。
いつからかハッキリしたことは覚えていないが、好き勝手に楽しくやるうちに「息子みたいなもの」と言われるようになった。
嬉しかった。どの言葉よりも嬉しかった。
何者でもない、ただ若いだけの私達を、全力で信頼して信用してくれた。「息子みたいなもの」と言ってくれてかばってくれた。
この事がどれだけ生きる糧になっているかなど、本人は知らないと思う。だけど私達にとっては、嘘でもなく、生まれてきて一番の宝物の言葉になっている。
この人の息子になるなら恥じる生き方はしたくない。
せめて、同じように生きると決めた。
精一杯、生きていることを示すのに、私達は大関を地元神奈川県伊勢原市に呼び、何度かイベントを主催したりしている。
それが、何になるか分からないが、私達にしたら精一杯の恩返しになる。自分達が生まれ育った場所に連れて来てイベントを全力でする。
その都度「よくやったな」と一言だけ貰い、ハグをするのだが、何度しても泣いてしまう。一生懸命やると、涙は勝手に溢れ出ることを、もう知っている。
馴れ合うより、何かをして一緒に笑いたい。
出来は悪いが、人を裏切るようなことはしてこなかった。誰かに何かを貰ったら返すことを心掛けてきた。
私達は、私達なりに精一杯生きている。
大関が「これやるよ」とポストカードをくれた。
私は、タイミングが来たと思った。
昔を思い出すような緊張で、汗ベッタリの手だったのだが、発生した声も緊張から震えていて自分でもビックリしていた。
「僕もお返しに渡したいものがあります」
私は「コニシ 木の子」の名刺を渡した。
「僕、ずっと書くのが好きで、ペンネームでコニシ木の子、KONISHIKIの子と名乗っています。今年、一つだけ賞を貰いました。自分が書いたものじゃないんですけど、そして今「なんのはなしですか」っていう、一つの言葉で多くの人達と遊びながらジャンルを創作していて、そこでも色んな人に助けられて、電子書籍も作ろうとしてます」
大関は、ずっと名刺を見ている。
「俺もポップで有名人なんですよ。コイツが書いてくれてるおかげで。コイツは、コニシさんとか木の子さんとか言われてるみたいです」
私とポップが有名なのは、度を超した女性好きで有名なのだが、それを言うのは、なんとなく止めておいた。ましてやポップは、私の記事を何一つも読んでいない。
お前はパグが好きで、酔えば九州の女性と結婚したいと叫び、呑みに行けば元彼女と会い、隙を見つければ夜の蝶に会いに行く男であり、noteの世界では無類の女性好きとして私と共に過ごし、相棒として君臨し有名なのだと、私だけが知っている。
大関は、ずっと私達の話を聞いて笑っている。
「このロゴ、土俵みたいだな」
なんのはなしですかのロゴを見て笑っている。
「土俵をイメージしています。嘘です。優しい人が応援して作ってくれました」
とりあえず、今出来る精一杯の嘘をついた。
「書けよ。俺から見てるお前と、お前から見てる俺は違うだろ?それを書けばいい」
たまらないと思った。
私は、自分が見た世界の本当のことを書きたいとずっと書き続けてる。それを真正面から言われた。心から沸き上がってきたものを何という感情と説明すべきか伝えきれない。
「はい。これから、一生『KONISHIKIの子、コニシ木の子』を名乗ります」
20年。20年かかったけど、私はやっと本人に直接言えた。
やっと息子を名乗れた。
なんのはなしですか
笑いながら、ずっと名刺を離さないで持ってくれている大関がやっぱり好きだった。
私の生き方は、これでいい。
悪くない。
やっと息子として土俵に立てた。
こっからが始まりだと思っている。
負けないくらい土俵で前進していきたい。
20年かけて大関に名乗れたこと。精一杯突き抜けた2024年の自分を認めることが出来たこと。すべて皆様のおかげです。
2024年に感謝します。良いお年を。
大事なお知らせ
というわけで、こんな私達と呑みたい方は、DMください。これはプライベート案件です。
謝罪対象外になります。
年明けしばらくまでSNSにはいません。
皆様と同じ時間を過ごせて最高でした。
来年もくだらない毎日を楽しみましょうね。
以上です。