往復書簡 マイクロ社会
こんにちは。
お返事ありがとう。
この往復書簡に関しては一月以内に返信を書くのが健康的なのではないかと頭の片隅に置いて過ごしています。
ただぼんやりと。半年に一回でももちろん健康だ。
春の温度差に気をつけていたつもりだが、やはり体調は崩れるものですね。
周りの人もばたばたと体を病んでいるようで今年は一段と難しい冬から春への移行となっている。
得意料理を聞いたはいいが、定義を明確に設定していなかったのはこちらのほうなのでむしろ悩ませてしまったことをお詫び申し上げ云々。
こちらの得意料理の定義はすごく下世話ですが、女の子が初めてうちに遊びに来たときに振る舞うのに頭に浮かぶ二、三の料理が得意料理と言えるものだと定義している。
この質問はすごくタイムリー。
常に新しい環境へ移ることを楽しんで生きてきた自分は、固定の人付き合いというものにこだわったことがない。
離れていく友達は離れていくし、離れたい人からは離れていく。
方丈記の一文のように、(行く川の流れは絶えずしてもしかも本の水にあらず)流動的な人生において自分の手元に人をがっちり握るようなことは避けてきた。
そのためにフットワーク軽く異国へ移住もできた。
もちろんインターネットのおかげで、繋がり続けられる友人も多く、幸せなことこの上ない。
スマホができてより楽に海外生活が送れるようになった。
ここまで下書きにして続きを1週間ぶりに書いている。
誰かと共にいることについて。
誰かと共に居る時点で、それはミクロな社会だよねって思う。
僕は今まで本当に好き勝手に生きてきた。周りのことお構いなしに、僕の好きなものは素晴らしい。僕の嫌いなものは良くない。
このように自分の価値観が僕の社会だったわけだけど、誰かと共に居るときは、その関係を社会として機能させなければいけない。
もちろん良い社会を築きたい。
だから自然と自分はポジティブな言葉を選ぼうと気をつける。
また、相手を気遣いながら意思決定をしていく。
自然と本音のうちの70%ぐらいの出力をするようになる。
でもそうすることで社会は上手く回るのだ。
妥協なくしてみんなが幸せな社会は成立しないのではないかと思う。
次回は、次にどこかに引っ越すとしたら、どこの土地に住みたいか教えてください。
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