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1月某日 雪国

よしだの日記。
よしだという人間が、感じたことです。

1月某日、雪国。連日の雪により 交通網が麻痺に麻痺していた。
いつもなら何ともない雪。
私は来るであろうバスを待っていた。
というのも、始発のバスが一向に来ないのだ。
気づけば5本もバスが来ていない。はじめてのことだった。
長くなる人の列。様子を見に来る人。人の列はどんどん伸びていた。
私は、前から数えて5人目に並んでいた。座ることもできるだろう。
ただ、夕方とはいえ列に並ぶ人の中には小さな子ども、お年寄りがいた。
果たして、私が座るのはいいのだろうか?
そりゃあ、間に合うように急いで帰ってきたし座っていいことはわかっている。だけど、よくない気もする。
幸いにも雪はしんしんと降っている程度。歩くことは好きだし、靴はこの前手入れしたばかり。なんてったって上着にフードだってついてる。
雪国に住んでいる人であればわかるであろう。上着にフードがついているかついていないかは、割と運命を左右する。
帰りに好きな串焼きでも買って食べながら帰ろう。
そんなことを思って列から外れた。

冬という季節が好き。
しんしんと雪が降り積もる夜道を一人で歩くのが好きだ。
一人だけの街にいるようで、そうではない。
外にはあまり人が歩いていなくて、一人だけの世界だと錯覚するが
ひっそりと立つ街灯が静かに行先を照らしてくれていて、人の作ったその存在が、1人ではない事を感じさせてくれる。だから、冬の夜道が好きだ。
ただ、冬という季節は、普段は何処か隅にいる孤独という存在が大きくなって後を付け回す、そんな嫌な季節だとも思う。

相変わらず雪は降っていた。
途中、少年2人を早歩きで追い抜かし、信号で待ちぼうけをした。気づけば少年二人も近くにいた。全然、信号 変わらないじゃないかと思っていたけど、ボタンを押していないだけだった。そりゃあ通りで信号が変わらない訳だ。

少年の証


まだ新しい、誰かの足跡があった。
その足跡はシンシンと空から落ちてくる雪に次々とかき消されていく。
ふんわりと降り積もった雪をかき分け進む。
進む度に疑問が浮かぶ。
何が原因で、バスが来なかったのだろう。
道路には雪がうっすら積もっているだけで、バスが来なくなるような雪には見えなかった。けれども、バスは一向に来ることがない。
事故?除雪の遅れ?
なんなのだろうか、バスに乗っていれば車内アナウンスで知ることが出来たのだろうか?
歩き始めてしばらくして、私の横を人をぎゅうぎゅうに乗せたバスが横切った。どうやら、私は出て10分もたたない内にバスは来たようだ。
待っていてもよかったかもしれない。
惜しいことをしてしまったかもしれない。なんてことを思いながらも、歩いた。途中でバスに乗らないで歩く人達を何人か追い越し、ただただ歩いた。

「酷い」
そんな言葉が自然に口から零れ落ちていた。
渋滞だ。
車の列は一向に動く様子を見せない。
気づいた頃には、私を追い越したバスのことを追い越していた。
どれだけ進んでも渋滞の先が見えない。初めてみる景色だった。
どこからか、サイレンの音が聞こえる。私が向かう方角からだった。
けれども、車道は狭くどんなに車が横に詰めようとも元々4車線だった道は2車線に減っていて、通り抜けることはできない。やっとのことで救急車は、通り抜けていた。

雪害 その言葉が脳裏をよぎった。

歩きながら考えた。
漠然と考えていた。
きっと、近い将来。
既存の仕組みが成り立たなくなる。
色々なものが、人材不足に対応する為に急激に切り替わってはいるのだろうと思うのだけれども。それにはコストがかかる。コストがかかるということは選択が必要になり、必ず何処かで零れ落ちてしまう人がいる。
恩恵が一部の人しか、受けられないということになってしまえば。

同じ日々だけ繰り返すことがいいことだとは思わない。
変化するのが怖い。
非常に勝手な話でもあるのだが、その一人であるのがとても怖い。

漠然とそんなことを思った。

きっと、この気持ちは忘れてしまうのかもしれない。
けれども、なんだか忘れてはいけない気がするので。
ここに書き残こす。




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