単なる娯楽として小説や映画が消費されているのは本質的ではない(意訳)|中野信子さんの発言書き起こし

YouTubeショートを見ていたら2時間くらいはあっという間に経ちます。

残念ながら、ほとんど記憶にのこっていないのですが、
その中でも、「なるほど…!」と腑に落ちた内容を書かせていただきます。(そうすることで、私の不毛な時間を成仏させてください…(笑)。)


■脳科学者 中野信子さん発言内容書き起こし
(※勝手ながら、()内をこちらにて付け足しています)

人間って自分のことをちゃんと見れないんですね
ちゃんと見れると多くの人は思っていると思いますが…

鏡をみるようには、自分の脳の動きなんて見ることできる人いないはずです
(でも皆)世界で3番目くらいに頭がいいとおもっているじゃないですか
そういう人たちがほとんどの世界

自分たちがダメなところってなかなか気づかないし
そういうものに気づくために物語があったり
フィクションである映画(を)みたり鏡として自分たちの機能がこのようだと知るためにあるんですけど

そういうものが単なる娯楽として扱われてしまって
時間とかコストに余裕がある人の趣味って扱われるのはちょっと本質的なことを誤っているんじゃないかな


※だらだら次から次へとショート動画を見ていた際に、初めて拝見しました。ただこちらのショート動画の元ネタとなる動画を見つけることができませんでした…!


自分の心に突き刺さった理由ですが…

以前、同僚に「小説は読む意味がない。それなら実用書とか読んだ方が有効的だ」と冗談交じりに言われたことがあります。

その時は、確かにそうかもしれないけど、小説も意味があると思うんだけどなあ、でも何故自分はそう思うんだろうと、言語化できずにモヤモヤしたことがありました。

中野信子さんの上記の発言は、小説をよむ意味について触れられている気がしたため、自分の心に刺さったのではないかと思います。

もっと自分なりの言葉で小説を読む意味をみつけたいですが…
(自分のすきなことを意味ないとか言われたら腹立つので)
ひとまず、次言われたら、こう言ってやりたいと思います(笑)。


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